NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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2019年2月のフィリピン・ツアー

1945年2月、フィリピン・ルソン島では様々な悲劇が起きました。

 

2月3日から一ヶ月、首都のマニラでは日本軍と連合軍によるマニラ市街戦が起き、一般市民10万人がその巻き添えになって死亡したと言われています。また、ルソン島南部のバタンガス州ではゲリラ容疑で疑われた主に男性らが、日本兵によって惨殺される事件が多数起きています。 だからこそ、2月はフィリピンに想いを馳せ、慰霊祭などに出席させて頂くようにしてきました。

私自身の渡航が叶わないときでも、理事またはBFP会員の誰かしらが手を挙げてくださり、関係性を繋いできました。 そして数年前くらいから、フィリピンの方々が私たちを紹介するとき 「【毎年フィリピンに来てくれている】ブリッジ・フォー・ピースの人たちです」と枕詞をつけてくださるようにようやくなりました。やっと活動を認めていただけた、と嬉しく思っています。

 

今年も代表である私自身は、別法人の仕事で多忙となってしまい、どうにも渡航が叶いそうにありませんでした。しかし、メーリングリストで呼びかけたところ複数の方々が手をあげてくださいました。中には、

「どうしても誰も行けずに難しい状況にあったら、声をかけてください」

と心強いメールをくださった働き盛りの世代の方もいます。結果的にその方を頼らずにすみましたが、そういう声をかけて頂けるだけでも心持ちが全く違います。まさに、BFPは会員や支援者の皆様に支えていただいて、ここまで歩むことができました。


最終的に、長年にわたってBFPを支え続けてくださっている会員の伊吹由歌子さん、そして昨年フィリピン渡航をご一緒してくださった刀川和也さんが渡比を決断してくださり、さらには理事である一橋大学の中野聡先生がメモラーレマニラの式典でのスピーチも快くお引き受けくださいました。


また、現地ではNPOサルボンの今泉光司さんも合流してくださり、様子を撮影してくださいました。 その映像がこちらです。中野先生のスピーチは、参列されていた多くの方々の心を打つものだったと聞いています。ぜひご覧ください。


当初、式典への参列だけでもお願いできたらと思っていましたが、ルソン島南部のリパまで皆さんで足を運んでくださると聞き、とても嬉しく思いました。83才になられたアレックス・マラリットさん(お父様を目の前で日本兵に連行され、殺害された遺族)の容体が気にかかっていましたし、事件の慰霊碑建立のその後の計画が気がかりだった為です。

 

親戚が集まる日だったにも拘らず、アレックスさんが皆さんを歓待してくださったこと、そして慰霊碑建立のその後についても少しだけ進展がある旨を帰国した皆さんからお聞きしました。

具体的には、フィリピン政府によるパンガオ高校設立計画が進む中、建設用地購入の費用としてBFPがアレックスに託した寄付金を借用する方向でもともと話が動いていました。現在の計画では、建設後、高校敷地内に慰霊碑を設置するというものです。現在、土地の交渉が進んでそうです。 今回、慰霊碑構想に関する説明書類を持ち帰ってくださいました。内容をよく読んで署名させて頂き、いよいよこれでBFPで集めた寄付金が現地に手渡されることになりそうです。ずっと気を揉んでいたアレックスさんも、これでホッとされるかなと思っています。

もちろん、今後も一筋縄ではいかないことは想定していますが、少なくとも足を運んでくださった皆様のお陰でまた一歩前進できましたこと、心から感謝しております。アレックスさんにも先ほどお電話したところ、BFPの皆様が足を運んでくださったことをとても喜んでおられました。


3日前の3月10日(日)には、Philippine Daily Inquirer に私が出てるとフィリピン人の友人から連絡があってびっくり。昨年、式典に出席させて頂いた写真と共にコメントなどが掲載されているとのことでした。ささやかな小さな活動しか出来ていませんが、少しでもフィリピンの方々の心に届くものがあれば、これほどありがたく、嬉しいことはありません。

活動を始めた当初、恩師の関田寛雄先生から言われました。

「戦争で受けた傷は、ちょっとのことで癒えることはない。例え一人でも、心を動かすが出来たらそれはすごいこと」
その言葉を受けて、心してはじめたこの活動は、今年で15周年を迎えます。
| フィリピン訪問レポート | 13:29 | comments(0) | - | pookmark |
BFP東京ワークショップ『娘が語り継ぐ ”父の沖縄戦” 〜 柳川たづ江さんが腹話術で語る戦場の苦しみと心の傷』

2019年3月24日、東京でのワークショップのご案内です。

 



日本で唯一、地上戦が行われた沖縄、実に県民の4人に1人、住民、兵士、
ひめゆりをはじめとする学徒隊、地域の護郷隊など20数万人もの方々が
亡くなられました。これまで、BFPでは学徒隊の証言や伊江島での戦闘などの
証言をもとに沖縄戦のワークショップを開催してきました。

 今回は陸軍兵として従軍した日比野勝廣さんの壮絶な戦場体験と戦後も続く
苦しみを、娘さんの柳川たづ江さんが腹話術の人形「ふくちゃん」とともに語ります。
柳川さんはどうしたら平和を築くことができるのか、若い世代にも考えてほしいと
行動されいます。
柳川さんは藤沢から来てくださいます、貴重な機会ですので、誘い合ってご参加ください。

(柳川さんの父、日比野さんは1943年に徴兵、中国大陸で転戦後、1944年に沖縄に
派遣されました。砲撃で瀕死の重症を負い、糸数壕(ガマ)にあった野戦病院へ収容
されました。しかし日本軍は後退を続け、身動きできない日比野さんたち重症兵は
壕に置き去りにされ、奇跡的に生き延びました。8月22日に投降、2009年に死去。)
 
日 時: 3月24日(日)13:30〜16:30 
場 所: 東京ウィメンズプラザ 2階 和室 (20名)

http://www.pbls.or.jp/event/map_tokyo-womens-plaza.html
参加費:学生500円、一般1000円

 

| BFP日々の出来事 | 12:37 | comments(0) | - | pookmark |
岡崎市での上映ワークショップ
2019年2月9日(土)、愛知県岡崎市の Global Studies Cafe にてBFP15周年祝し、ビデオメッセージ上映ワークショップ開催しました。



長年活動してきたことをご理解頂けるよう、10数年前にNHK「おはよう日本」でBFPを取り上げてもらった際のニュースなどもご覧頂きました。

その後、BFPの原点でもあるフィリピンと日本を結ぶビデオメッセージに加え、元日本兵の心の澱(おり)もご覧頂きました。

初めて聴くという話に涙される方がいらしたり、
「今日で戦争に対する見方がすっかり変わりました。今までは被害者の視点に全然立った事がなかった」
という方もおり、開催して良かったなと思いました。
参加者の中には、市役所の方、教員を目指している方、遺族会の方などさまざまな背景の方々が参加してくださり、意見交換の時間もあっという間でした。

2019年も、こういう機会を益々増やしてゆきたいと思います。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
| イベントのお知らせ&レポート | 21:53 | comments(0) | - | pookmark |
今年はBFP15周年です!
新しい年、いかがお過ごしでしょうか。

BFPでは毎年のように戦争体験者の訃報が続き、喪中ハガキも多く届いた事から、組織として年賀状をお送りするのを数年前から控えるようになりました。

ある元日本兵の方も、
「年賀状に『おめでとう』の文字は絶対いれない。だって、目の前で戦友がたくさん死んでいったから」
とおっしゃっていたのが忘れられません。

でも、今年はBFP15周年! 晴れやかな気持ちで新年を迎えています。
| BFP日々の出来事 | 23:30 | comments(0) | - | pookmark |
BFP東京ワークショップ 『私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在』

12月16日(日)の午後、専修大学神田キャンパスで、今年最後のワークショップを開催しました。

 今回はフィリピンクイズならぬ初めての「ベトナムクイズ」(石黒さん作)にチャレンジ、

知っているようで知らないのは、フィリピンと一緒、なかなか新鮮でした。

その後『私の父もそこにいた』(脚本・監督 佐山剛勇)を鑑賞、

茨城県土浦市の添野(そえの)江実子さんに製作者としてのあふれる想いを

語ってもらいました。

「真実が知りたい」と自主製作でドキュメンタリー映画を製作したきっかけや

その後3年にわたる粘り強い調査、ベトナム取材などなど。

生前多くを語らなかったお父さんへの娘としての深い思いに共感しつつ、添野さんの

熱意と行動力には圧倒されました。

なぜ父は戦争が終わっても帰国せずにベトナムに残留したのか?

 

添野さんの父、綱河忠三郎さんは大正9年生れ、昭和15年に20歳で入隊後すぐに中国に

送られ、5年間中国戦線で戦い、その後ベトナムへ、終戦はベトナムのヴィンで迎え、

終戦後は「逃亡兵扱い」となっていました。

約600人の日本兵は帰国せず、ホーチミン氏とともに9年間も

フランスからの独立戦争(第一次インドシナ戦争)に加わって戦い、

舞鶴への帰還がかなったのは、1954年だったといいます。

このことは、日本では全くと言っていいほど知られていません。

添野さんは、父の娘として、一人の日本人として、この忘れ去られた史実を映像に残したい

と決意、また父の足跡を辿るうちに自らも養子だった事実を知りました。

 

就職し2年ぶりに参加した教員やお子さんを出産して育休中の方、長年中国山西省の

慰安婦被害女性を支援し続けている方、高知から駆けつけてくれた新聞記者さんなど、

多様な方々が参加してくださいました(スタッフを含め15人)。

 

▪️参加者からの感想

・一人一人の個人の歴史から学びとることの大事さを考えさせられました。

 添野さんには、ますます、たくさんの資料を発掘されて調査を進めて

 頂きたいと思います(川見さん)。

 

・キュメンタリー映像もインパクトがあってよくできていて、残留日本兵の

 お嬢さんの、いろいろな思いが溢れる貴重なお話も聴かせていただくことが

 できて、とても有意義な会だったと思います(長谷川さん)。

 

・ベトナム戦争のテーマ、勉強しなくては、と感想持ちました。嬉しい悲鳴。

 亡父は南洋の何処で逃亡譚。その弟は海の藻屑と散って遺骨さえ出てきません。

 諦めかけていたけれど、最近、防衛省、厚労省辺りを徘徊。

 史料調べとりかかろうかと考えてる矢先でした。

 企画、くれぐれも感謝申します(松本さん)。

 

・添野さん、膝を痛めながら気丈に遠路を出向いてくださり感謝です。こころに

 溢れる思いが伝わりました。戦争の非情理。それが共有されない非情理(伊吹さん)。

 

*ご参加いただいた皆様、添野さん、専修大学の教室を貸してくださった長谷川さん、

 ありがとうございました。

 2019年が平和な良い年になりますように!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

| BFP日々の出来事 | 23:25 | comments(0) | - | pookmark |
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