NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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国際会議に出席しました!
韓国・高麗大学で開催された歴史NGOフォーラムにBFPが招待され、代表の神直子と理事の浅川和也が出席しました。


さまざまなプログラムが同時開催されましたが、「対話」のワークショップでBFPの紹介をしたところ、ペアになった韓国人大学教授が涙を浮かべる場面も。


まさに「対話」の重要性を実感しました。

他にも、今後の会議の方向性について議論がなされ、これまでは過去の出来事に関する研究や議論が多かったけれど、未来志向で共通の夢ー「平和」に向かって具体的な歩みを進めていこうと前向きな話がなされました。


これまでも様々な会議にBFPは出席していますが、今後も連携を深めながら、日本でできることをやっていきたいと改めて実感しています。
| BFP日々の出来事 | 12:42 | comments(0) | - | pookmark |
三宅信雄さんの取材報告 (広島で被爆、当時16歳)
2017年6月18日、斉藤由美子さんと、16歳の時に広島市で被爆された三宅信雄さん(88歳)のご自宅を訪問し、取材をさせていただいた。

三宅さんは、爆心から1.8キロメートルの市電の中で被爆した。幸いご家族も全員無事でしたが、広島の高校を卒業するとすぐに東京に引っ越した。「広島から逃げる生活だった。」と三宅さんは語る。原爆という強大な暴力によって、故郷に地獄を見るという経験はどんなものだったのだろう。そして、故郷から逃れたい、忘れてしまいたいという、気持ちはどんなものだったのだろうと想像すると、本当に胸が苦しくなった。




 三宅さんは、原爆投下直後に見た生々しい光景を、身振り手振りを交えながら語ってくださった。
 火の手から逃れるように、うめきながら皆が川を目指した。それは地獄だった。腕を胴にくっつけると痛いから、二の腕を胴から離し、肘から下は前面に出す。それこそ幽霊のように。
 当時のことを話す三宅さんの表情は、厳しく、そして悲しかった。
わたしはこのときの三宅さんの表情と、この光景が頭にこびりついて、取材を終えて2週間経た今も忘れられない。



三宅さんが乗っていた電車
(混んでいて一番後ろに乗っていて飛び降りたので、助かった)

 三宅さんはさらに、被爆体験を敗戦後すぐには語ることができなかったという。GHQによって、原爆について語られることが強く取り締まられたからでもあるが、自分が「被爆者」だと言うことで、差別的な視線を向けられることを恐れたから、ということも理由のひとつであった。自分の体内で何が起こっているのか知りたくても、当時は国民皆保険ではなかったので、医者にも行けなかった。

 わたしは、「同じ日本人でありながら被爆した人々に差別的な目を向ける人を恨む気持ちにはならなかったのか」と聞いた。すると、「彼らを責めるわけにはいかない。彼らにもそういう気持ちになる事情があったのだ。逃げるより仕方がない。」と、静かに答えてくださった。



三宅さんは、現代社会を「監視社会になりつつある」と危惧していた。そして、世論がいまだにそういった社会に対して危機感を持っていない人の方が多いと指摘する。私たち若い世代に対しては、就職や、恋愛などの自分の人生のことだけで頭がいっぱいになってしまうのではなく、もっと広い視野を持って、「自分はどんな社会に生きているのか」「権力にだまされてはいないか」など目先のこと以外のことも考えて欲しい、と仰っていた。

 例えば、共謀罪が可決されるなど、時勢はどんどん怪しくなっている。治安維持法が制定された当初からすぐに「悪法」であって、大勢の人を検挙していたわけではなく、徐々に拡大して「悪法」になったのと同じように、今回の共謀罪も思想的な縛りを拡大していく恐れがある。それはすぐに猛威をふるうのではなく、私たちの世代の子どもや孫の時代に、戦前のような空気を作り出してしまうかもしれない。そんなふうに未来のことも考えることで、戦争のない世界をつくることの小さな一歩になるのかもしれない。

 三宅さんのお話を聞いて、私たちの目先のことばかりではなく、何十年後の未来まで考えていこう、それを続けていこう、そしてそれを同年代と活発に語り合えるような社会にしよう、と強く思った。

 三宅さんのお話は、原爆投下直後の生々しさ、凄惨さには心が震え、その晩はずっとそのことを考えて眠れなかった。しかし、アメリカでは原爆投下に対して肯定的である人が50%以上いる。アメリカと日本では、原爆投下に対する見解はまだまだ隔たりが大きい。しかし、まさにその原爆投下に対する見解、さらには戦争の記憶が重ね合わされ、「立体的に捉えられる」ものになればと、心から願ってやまない。

三宅さん、貴重なお話を語ってくださり、本当にありがとうございました。
(金子聖奈)

★★三宅さんは東京の被爆者団体「東友会」の事務局長をされたこともあり、2015年にはピースボートの「おりづるプロジェクト」で世界の各地を回ってで証言を続けてこられました。
以下のサイトでその様子が見られます。
記録ドキュメンタリー映像 "I Was Her Age"「過去と今の対話」(ピースボート)
https://vimeo.com/137809836



| BFP日々の出来事 | 23:38 | comments(0) | - | pookmark |
沖縄戦ワークショップを開催しました!
今日は愛知県岡崎市のGlobal Studies Cafeにて、沖縄戦のワークショップを開催しました!

冒頭はBFPらしく、アイスブレーキングから。沖縄戦に関するクイズを8つ。参加者の皆さんに考えて頂き、基礎知識を頭に入れました。


その後、地図を見ながら参加者同士、沖縄戦の経過を確認。


そして、ビデオ・メッセージの上映へ。


BFPのミッションは「過去の戦争を知り、未来のかたちを考えるきっかけをつくる」こと。今回は、先日沖縄へ行って来られた稲垣さんから現地の様子を写真入りで伺いました。


沖縄戦から現代に至る問題まで、様々な視点を参加者に投げかけてくださいました。

ワークショップ終了後も、来店したカフェのお客様も交えて話しは尽きず、夕方まで!

こういう場の重要性を改めて認識する一日となりました。ご参加くださった皆さん、話題を提供してくださった稲垣さん、映像を撮りためてくださった東京メンバーの山地さん、本当にありがとうございました。
| イベントのお知らせ&レポート | 21:58 | comments(0) | - | pookmark |
BFPフィリピン・ツアー2017
2月に実施した、BFPフィリピン・ツアーのレポートです。
今年は、長年夢見ていたプロジェクトが、大きな一歩を踏み出すことが
できました。ぜひ参加者3人のレポートから、それらも感じ取って頂け
たら幸いです。


着実に交流が根付いているのを実感(淺川和也)
ただ感じるだけでなく、もっと深く考えて向き合うフィリピン(金子聖奈)
戦争という「現実」に触れて(大学生S.S)
| フィリピン訪問レポート | 17:26 | comments(0) | - | pookmark |
着実に交流が根付いているのを実感(淺川和也)
 初日は、入国後、手配の車でリパのアレックスさんのお宅をたずねしました。アレックスさんは日本軍による虐殺の遺族で、お父さまが日本兵に殺害され、井戸に投げ込まれたとの証言も映像に所収されています。ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の理解者の一人で、長年、交流を続けています。昨年、交通事故をおこし、まだ傷が顔にのこっているとのこと。海外での国際機関で勤務の後、リパに戻り、博物館の顧問もされていました。石田甚太朗さんの記録にもとづいてみずから描いた絵も展示する活動もしてこられました。BFPがおとづれるたびに、パガオの井戸に案内していただています。井戸は2つ、バナナの茂みのなかと民家のきわにあり、案内がなければ、まったくわからない状態になっています。以前より、何らかのモニュメントをつくったらよい、という話をしてきました。ずっとそのままになっていましたが、昨年はバランガイ・キャプテンとも会い、具体化する話がすすみました。そこで、BFPがクラウドファンディングにより、資金を募り、今回、アレックスさんに託すこととなりました。
 アレックスさんは体調のこともあり、やはりこの計画を担うのは難儀と話しておられましたが、若い学生も同行したこともあり、バランガイ・キャプテンを一緒に訪ねて話をすすめることになりました。
 2日目は、バランガイ事務所を訪ねました。バスケットコートと事務所を併設したようになっており、職員も数名いるようでした。相談の結果、バランガイ事務所に祈念碑を、井戸には崩壊を防ぐよう工事をすることになりました。バランガイ・キャプテンの選挙が8月にあるので、そのかねあいもあるようですが、再選をもくろんでおり、いずれにしろ、アグリーメントに署名いただきました。資金については、アレックスさんは、バランガイ・キャプテンとの共同名義で口座を開設することを望んでいましたが、結局、アレックスさんが管理することになり、アレックスさんの口座に入金してきました。アレックスさんは、前日のご自宅での打ち合わせ、バランガイの事務所での折衝、パガオの井戸、銀行と同行いただき、お疲れのようでしたが、実現への第一歩となりました。
 3日目は、バウアンにランディさんを訪ねました。2月末に虐殺があったところです。教会を案内いただきながら虐殺(爆破)事件のこともうかがいました。スペイン時代は修道院であった建物で、アメリカ統治下では学校となり、現在は大学も併設されています。ランディさんは、米国に渡るそうで、ランディさんから、今後は、ここの学校の先生を訪ねるようにと、ご紹介いただきました。その後、祈念碑を見学し、昼食後、マニラに向かいました。
 4日目は、8時にマニラをケソンシティにむけて出発しました。渋滞もなく、8時40分ごろにケソンシティにあるミリアムカレッジの平和教育センターに到着しました。ロレッタ先生は、午前の授業の準備をされていて、ハスミンさんに校内を案内していただきました。夕刻にひらかれている成人コースの模擬店がでており、食べ物やクラフト、ネールアートを学んでいる方々によるテントもありました。図書館の平和関連書籍のコーナーや、ロレッタさんの名前のついたガーデンも見せてもらい、ロレッタ先生の2時間目の講義の教室に向かいました。
 ロレッタさんからは、戦争と和解がテーマとの紹介をいただきました。現在、核兵器禁止条約について学んでおり、原子爆弾のことに触れて欲しいとのことでしたので、ヒロシマ・ナガサキのことについて提示し、美甘さんのことも紹介しました。そして、NHKワールドのBFP紹介、その後、30分の英語字幕付のフィルムを上映しました。学生さんからは、日本とフィリピンの関係について、当事者の遺族の方とどう連帯するかなど問われ、こちらからは、どのようにフィリピンでは歴史を教わっているか教えていただきたいとの質疑もしました。
 午後は、マカティにあるアラヤ・ミュージアムで高木さんと待ち合わせ、チョロスというスペイン菓子をいただきました。高木さんはマニラ在住40年になるとのことで、当初、駐在員むけの情報誌をつくったり、勉強会を続けているとのことでした。フィリピンの伝統織物や現代美術にも造詣が深く、文字通り、日本との架け橋となっておられます。
 そこにフィリピン大学マニラ校のバーナード先生がおいでになったので、高木さんと別れ、バーナードさんにアラヤ・ミュージアムを案内いただきました。ジオラマで歴史をただる展示は、わかりやすいものでした。翌日のコレヒドールへのツアーの船がでるターミナルを確認し(モールオブアジアのバイキングというレストランの隣)、バーナードさんに同行いただき、ロビンソンというショッピングモールにあるバコロド名物のチキン料理をご一緒しました。バーナードさんは日本通で、ロビンソンにあるCoCo壱番屋のカレーを毎日のように食べているとのことでした。日本からのラーメン屋やダイソー、ユニクロも入っていました。
 5日目はコレヒドール島へのツアーでした。船で1時間半ほどで到着。20人ほどづつ、9台のバスにわかれての島を見学しました。アテネオ大学の学生がたくさん参加していました。スペインによる植民地時代からアメリカ統治となり、第一次世界大戦の際には、最新技術の砲台であり、日本軍による一ヶ月にわたる爆撃で陥落したとのこと。砲台や補給敞、兵舎、将校らのための施設などの焼け跡や、コンクリートの骨組みがそのままになっていたり、日本兵が自決した塹壕を巡りました。昼食の後、展示館やトンネルでの歴史劇も見て、最後は、日本兵の慰霊の場所でした。いくつもの慰霊碑や観音像が建立されていました。シンガポールからの医師とその方の知人のフィリピン人医師と言葉を交わす機会もありました。英語でのツアーでしたので、日本からの方は少なく、お一人のみのようでした。
 マニラのターミナルに戻り、バーナードさんのUPマニラ校をたずねました。とくに学生さんとの約束はなかったのですが、タクシードライバーさんへの指示が甘く、看護学部に連れていかれたこともあり、午後6時半過ぎになり、すでに学生さんはおられませんでしたが、バーナード先生と夕食をとりました。
 6日目、メモラーレ・マニラの会場に午前8時半に到着すると、今泉監督がおられ、チトさんに伊吹さんからあずかったDVDを渡したりしているうちに、楽隊の音楽が流れ、開式となりました。リビング・ヒストリー・ソサエティという当時の状況を再現する劇や、若い学生が証言を読み上げる趣向もあり、ホセさんなど次の世代にメモラーレ・マニラの活動を引き継がれていくさまが見てとれました。献花、そしてスピーチとなり、BFPからは、金子聖奈さんがスピーチをしました。都留文科大学の内山さんや、以前、バタンガスにご一緒した毛利さんにもお会いできました。
 10年以上にわたり、BFPが交流をつづけてきていますが、今回は、パガオに祈念碑を建てるためのプロジェクトに着手するための覚え書きを交わすことができ、着実に交流が根づいているのを実感することができました。
| フィリピン訪問レポート | 17:20 | comments(0) | - | pookmark |
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