NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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伊勢市空襲展で平和講演会
今日は、平和講演会の講師として三重県伊勢市に行って来ました。なんと、来年で40回目となる空襲展を毎年欠かさず開催してきたとのこと。

講演会の他に、展示、紙芝居、映画な様々な企画が2日間にわたって実施されていました。


映像を交えてBFPのお話をしたところ、「とても大切な取り組み」と評価して頂くことが出来ました。


主催者も戦後世代ばかり。これから、それが当たり前の時代に入っていきますが、その取り組みにとても希望を感じました。

BFPの拠点がある愛知県岡崎市も7月20日未明に空襲を受け、280名もの方々亡くなっています。

何ができるかを、しっかりと考えていきたいと思いました。主催者の皆様、ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
| BFP日々の出来事 | 17:30 | comments(0) | - | pookmark |
現代版・朝鮮通信使プログラム、無事に終了!
昨年「パクス・トクガワーナって、なに?!」という徳川家康公の功績に学ぶイベントを、愛知県岡崎市で開催しました。その際招待した先生から、
「来年はぜひ学生を連れて来たい!」と提案があり、今年実現しました!

8月7日に来日し、5泊6日の行程を経て昨日無事に帰国しました。

「平和のふるさと・岡崎」を実感して頂くべく、まずはレクチャーと岡崎城、大樹寺訪問。


その後は岡崎をより深く知ってもらう為に特産であるお茶摘み、花火体験。浴衣や華道体験も日本を感じてもらう素晴らしい機会になりました。





その後は2日間のホームステイ!
学生からは不安がる声が多々聞かれましたが、「家族最高!」「ホームステイ体験が一番良かった!」という声があがったほど。やはり、臆せずに交流することが大切だと実感しています。

さらに、学生同士の交流が素晴らしかった!口々に「会う前は正直偏見を持ってたけど、共通点もいっぱいあって印象が変わった!」と喜ぶ声が多々聞かれました。

BFPが目指す国際交流の重要性を再確認することができました。
| BFP日々の出来事 | 17:10 | comments(0) | - | pookmark |
神戸の中学校で授業を担当させて頂きました!
6年前から継続してご依頼くださっている、神戸の学校に今年も呼んで頂きました。毎回、感性の良い学生さん達との時間となり、楽しみな時間です。


今年も中学2年生のクラスを、全4コマ担当させて頂きました。


ビデオメッセージを見てもらった後、ディスカッションです。日頃から様々な国際問題に積極的に取り組んでいる学校ということもあり、意見交換も活発です。




もし今が戦時中だったら、少年兵として赴く生徒さんがいるかもしれない、という年齢の彼ら。少しでも感じ取り、心に残るものがあればと、戦争体験者の方々の思いをお届けしました。

「過去の戦争を知り、未来の形を考えるきっかけ」になれば幸いです。生徒の皆さん、N先生をはじめとする関係者の皆様、本当にありがとうございました。
| BFP日々の出来事 | 14:23 | comments(0) | - | pookmark |
国際会議に出席しました!
韓国・高麗大学で開催された歴史NGOフォーラムにBFPが招待され、代表の神直子と理事の浅川和也が出席しました。


さまざまなプログラムが同時開催されましたが、「対話」のワークショップでBFPの紹介をしたところ、ペアになった韓国人大学教授が涙を浮かべる場面も。


まさに「対話」の重要性を実感しました。

他にも、今後の会議の方向性について議論がなされ、これまでは過去の出来事に関する研究や議論が多かったけれど、未来志向で共通の夢ー「平和」に向かって具体的な歩みを進めていこうと前向きな話がなされました。


これまでも様々な会議にBFPは出席していますが、今後も連携を深めながら、日本でできることをやっていきたいと改めて実感しています。
| BFP日々の出来事 | 12:42 | comments(0) | - | pookmark |
三宅信雄さんの取材報告 (広島で被爆、当時16歳)
2017年6月18日、斉藤由美子さんと、16歳の時に広島市で被爆された三宅信雄さん(88歳)のご自宅を訪問し、取材をさせていただいた。

三宅さんは、爆心から1.8キロメートルの市電の中で被爆した。幸いご家族も全員無事でしたが、広島の高校を卒業するとすぐに東京に引っ越した。「広島から逃げる生活だった。」と三宅さんは語る。原爆という強大な暴力によって、故郷に地獄を見るという経験はどんなものだったのだろう。そして、故郷から逃れたい、忘れてしまいたいという、気持ちはどんなものだったのだろうと想像すると、本当に胸が苦しくなった。




 三宅さんは、原爆投下直後に見た生々しい光景を、身振り手振りを交えながら語ってくださった。
 火の手から逃れるように、うめきながら皆が川を目指した。それは地獄だった。腕を胴にくっつけると痛いから、二の腕を胴から離し、肘から下は前面に出す。それこそ幽霊のように。
 当時のことを話す三宅さんの表情は、厳しく、そして悲しかった。
わたしはこのときの三宅さんの表情と、この光景が頭にこびりついて、取材を終えて2週間経た今も忘れられない。



三宅さんが乗っていた電車
(混んでいて一番後ろに乗っていて飛び降りたので、助かった)

 三宅さんはさらに、被爆体験を敗戦後すぐには語ることができなかったという。GHQによって、原爆について語られることが強く取り締まられたからでもあるが、自分が「被爆者」だと言うことで、差別的な視線を向けられることを恐れたから、ということも理由のひとつであった。自分の体内で何が起こっているのか知りたくても、当時は国民皆保険ではなかったので、医者にも行けなかった。

 わたしは、「同じ日本人でありながら被爆した人々に差別的な目を向ける人を恨む気持ちにはならなかったのか」と聞いた。すると、「彼らを責めるわけにはいかない。彼らにもそういう気持ちになる事情があったのだ。逃げるより仕方がない。」と、静かに答えてくださった。



三宅さんは、現代社会を「監視社会になりつつある」と危惧していた。そして、世論がいまだにそういった社会に対して危機感を持っていない人の方が多いと指摘する。私たち若い世代に対しては、就職や、恋愛などの自分の人生のことだけで頭がいっぱいになってしまうのではなく、もっと広い視野を持って、「自分はどんな社会に生きているのか」「権力にだまされてはいないか」など目先のこと以外のことも考えて欲しい、と仰っていた。

 例えば、共謀罪が可決されるなど、時勢はどんどん怪しくなっている。治安維持法が制定された当初からすぐに「悪法」であって、大勢の人を検挙していたわけではなく、徐々に拡大して「悪法」になったのと同じように、今回の共謀罪も思想的な縛りを拡大していく恐れがある。それはすぐに猛威をふるうのではなく、私たちの世代の子どもや孫の時代に、戦前のような空気を作り出してしまうかもしれない。そんなふうに未来のことも考えることで、戦争のない世界をつくることの小さな一歩になるのかもしれない。

 三宅さんのお話を聞いて、私たちの目先のことばかりではなく、何十年後の未来まで考えていこう、それを続けていこう、そしてそれを同年代と活発に語り合えるような社会にしよう、と強く思った。

 三宅さんのお話は、原爆投下直後の生々しさ、凄惨さには心が震え、その晩はずっとそのことを考えて眠れなかった。しかし、アメリカでは原爆投下に対して肯定的である人が50%以上いる。アメリカと日本では、原爆投下に対する見解はまだまだ隔たりが大きい。しかし、まさにその原爆投下に対する見解、さらには戦争の記憶が重ね合わされ、「立体的に捉えられる」ものになればと、心から願ってやまない。

三宅さん、貴重なお話を語ってくださり、本当にありがとうございました。
(金子聖奈)

★★三宅さんは東京の被爆者団体「東友会」の事務局長をされたこともあり、2015年にはピースボートの「おりづるプロジェクト」で世界の各地を回ってで証言を続けてこられました。
以下のサイトでその様子が見られます。
記録ドキュメンタリー映像 "I Was Her Age"「過去と今の対話」(ピースボート)
https://vimeo.com/137809836



| BFP日々の出来事 | 23:38 | comments(0) | - | pookmark |
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