NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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今年はBFP15周年です!
新しい年、いかがお過ごしでしょうか。

BFPでは毎年のように戦争体験者の訃報が続き、喪中ハガキも多く届いた事から、組織として年賀状をお送りするのを数年前から控えるようになりました。

ある元日本兵の方も、
「年賀状に『おめでとう』の文字は絶対いれない。だって、目の前で戦友がたくさん死んでいったから」
とおっしゃっていたのが忘れられません。

でも、今年はBFP15周年! 晴れやかな気持ちで新年を迎えています。
| BFP日々の出来事 | 23:30 | comments(0) | - | pookmark |
BFP東京ワークショップ 『私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在』

12月16日(日)の午後、専修大学神田キャンパスで、今年最後のワークショップを開催しました。

 今回はフィリピンクイズならぬ初めての「ベトナムクイズ」(石黒さん作)にチャレンジ、

知っているようで知らないのは、フィリピンと一緒、なかなか新鮮でした。

その後『私の父もそこにいた』(脚本・監督 佐山剛勇)を鑑賞、

茨城県土浦市の添野(そえの)江実子さんに製作者としてのあふれる想いを

語ってもらいました。

「真実が知りたい」と自主製作でドキュメンタリー映画を製作したきっかけや

その後3年にわたる粘り強い調査、ベトナム取材などなど。

生前多くを語らなかったお父さんへの娘としての深い思いに共感しつつ、添野さんの

熱意と行動力には圧倒されました。

なぜ父は戦争が終わっても帰国せずにベトナムに残留したのか?

 

添野さんの父、綱河忠三郎さんは大正9年生れ、昭和15年に20歳で入隊後すぐに中国に

送られ、5年間中国戦線で戦い、その後ベトナムへ、終戦はベトナムのヴィンで迎え、

終戦後は「逃亡兵扱い」となっていました。

約600人の日本兵は帰国せず、ホーチミン氏とともに9年間も

フランスからの独立戦争(第一次インドシナ戦争)に加わって戦い、

舞鶴への帰還がかなったのは、1954年だったといいます。

このことは、日本では全くと言っていいほど知られていません。

添野さんは、父の娘として、一人の日本人として、この忘れ去られた史実を映像に残したい

と決意、また父の足跡を辿るうちに自らも養子だった事実を知りました。

 

就職し2年ぶりに参加した教員やお子さんを出産して育休中の方、長年中国山西省の

慰安婦被害女性を支援し続けている方、高知から駆けつけてくれた新聞記者さんなど、

多様な方々が参加してくださいました(スタッフを含め15人)。

 

▪️参加者からの感想

・一人一人の個人の歴史から学びとることの大事さを考えさせられました。

 添野さんには、ますます、たくさんの資料を発掘されて調査を進めて

 頂きたいと思います(川見さん)。

 

・キュメンタリー映像もインパクトがあってよくできていて、残留日本兵の

 お嬢さんの、いろいろな思いが溢れる貴重なお話も聴かせていただくことが

 できて、とても有意義な会だったと思います(長谷川さん)。

 

・ベトナム戦争のテーマ、勉強しなくては、と感想持ちました。嬉しい悲鳴。

 亡父は南洋の何処で逃亡譚。その弟は海の藻屑と散って遺骨さえ出てきません。

 諦めかけていたけれど、最近、防衛省、厚労省辺りを徘徊。

 史料調べとりかかろうかと考えてる矢先でした。

 企画、くれぐれも感謝申します(松本さん)。

 

・添野さん、膝を痛めながら気丈に遠路を出向いてくださり感謝です。こころに

 溢れる思いが伝わりました。戦争の非情理。それが共有されない非情理(伊吹さん)。

 

*ご参加いただいた皆様、添野さん、専修大学の教室を貸してくださった長谷川さん、

 ありがとうございました。

 2019年が平和な良い年になりますように!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

| BFP日々の出来事 | 23:25 | comments(0) | - | pookmark |
11/23(金)早稲田大学でのワークショップ報告

学生会員の金子聖奈です。

11月23日(金)に、早稲田大学でワークショップをおこないました!
 

早稲田大学の豊田真穂先生にお招きいただき、3年連続のワークショップとなりました。

1年目(2016年度)のブログはこちら(http://blog.bridgeforpeace.jp/?eid=1489882

 

初めて早稲田でワークショップを行ってから3年がたち、私も様々なところでスピーカーとしてワークショプをする機会が増え、慣れも出てきていました。

その中で感じたことがあります。

この壇上に立って、戦争体験者からお預かりした貴重なメッセージビデオを届ける私たちは、それにかける思いや知識、伝えたいポイントなどを明確に持っていなければならない、ということです。

 

特に一番最初の「気持ち」のところ、これが難しくて、私はなんだかやりこなすことに精一杯でそれを忘れていたような気がします。

 

それを思い出させてくれたのは、新会員で大学1年生の上田汐さんです。

初めてのワークショップにも関わらず、丁寧に、アイスブレイクのクイズをやってくれました!

 

 

アイスブレイクののち、活動の紹介、それから戦争体験者のビデオメッセージの上映。

最後に、グループワークをおこないました。

 

 

 

 

 

 

早稲田大学ではいつも活発でレベルの高い、批評的な意見が多く生まれるので、私も示唆を得たり学んだりすることが毎回たくさんあります。今回も例に漏れず、私たちBFPの姿勢として考えなければならない重要な指摘もいただきました。

  • これからは歴史を踏まえた議論として正解ありきの議論や教育から脱するべき。同調の習慣をやめるべき。
  • 「戦争が勝ち負けなどではない、人が死ぬということ」…国籍、文化、民族を超えた「人間」の普遍性の問題を忘れている。
  • 国の政策と民間活動の温度差を感じた。国家レベルではできないことをNPOがやっているという意味を感じた。
  • フィリピンの人々は、ビデオを見ることで本当に許せているのか。個人的な恨みはあるけれど気持ちを切り替えるために「許す」と言ったのではないか。
  • 戦争体験者がいなくなってしまいそうなこの時期こそ戦争にもう一度向かってしまうかもしれない。
  • ビデオで語ることなく亡くなった人、まだ整理のついていない人、そういった人たちがいることを忘れてはならない。
  • この問題に限らず、加害者としての事実をもっと知らなければならないし、知る機会を自分から得なければならないと思った。知らずに議論するのは上っ面を撫でているようだ。
  • 我々につながりとしての戦争責任はない(自分は何もやっていないという点において)。ないからこそ、距離を取れるからこそ、戦争について考えなくてはならない。
  • 知ること、自分ごととして考えることが大切。
  • 日本兵の中に「完全に自分が悪い」という言葉はなかった。罪が深すぎて受け止められていないのではないか。
  • 加害者のみならず被害者も、物事を敵と味方に分ける二元論的思考をしてしまうことがそもそも悲惨なことが起こる原因なのではないか。
  • 正しい戦争責任のとり方ってなんなんだろう。

 

多く見られたのは、「許す」とはどういうことか、「責任」をどう取ればいいのか、という意見でした。

 

「正しい戦争責任のとり方ってなんなんだろう。」

 

この問いが教室で生まれたこと、そして教室で共有できたことを、嬉しく思っています。

この問いについては答えがないからこそ、私は、ずっと考えなければならない、わからない「何か」、語られなかった「何か」を想像して考え続けなければならないと思います。

そのさきに、私たちにできる自分なりの「責任」が見えてくるのではないかと思います。

 

そういう思いでBFPに入ったのだったな、と初心を思い出すことができたのも、私の中では大きな出来事でした。

早稲田大学のみなさん、そして豊田真穂先生、TAの重松さん、

学生メンバーによる授業ということで至らない点も多々ありましたが、本当にありがとうございました。

 

 

上田さんの感想:

今日は貴重な機会をいただきありがとうございました。初めて学校でのワークショップに参加させていただき、とても緊張してうまく喋れなかったのですが、今回の反省を今後に生かしていきたいと思います。また、ビデオ後のグループワークではみなさん本当に熱心に取り組んでくださり、意見交換の場では逆に学び得るものが本当に多かったです。BFPの会員として発表する側ではありましたが、みなさんと真剣に戦争について考え、共有する時間を過ごせて本当に実りある時間でした。本日は本当にありがとうございました。

 

 

 

 

| イベントのお知らせ&レポート | 16:07 | comments(0) | - | pookmark |
東京ワークショップ ”記憶を失って生きた6歳スペイン少女のその後”(1945 フィリピン・マニラ戦)

10月21日(日)の午後、専修大学・神田キャンパスでBFP東京の

ワークショップを開催、

スタッフを含めて10人が参加、貴重な学習の機会となりました。


2018年は日本とスペインの外交関係樹立150周年にあたるそうですが、

第二次世界大戦の中立国スペインの人びとがアジア太平洋戦争で被害を受けた

ことは知られていません。

被害の多くは1945年2月3日から一カ月にわたったフィリピン・マニラ戦による

もので、なかでも数名の日本兵による在マニラ・スペイン総領事館襲撃事件は、

スペインがその直ぐあとに日本との国交を断絶する主要な要因となりました。

このとき総領事館に避難していた数十名のうちただ一人生き残った六歳の少女、

アナ・アギレーリャ・リョンク(Ana Aguilella Llonch)さんをスペイン・

バルセロナに訪ね、聞きとりを重ねながら交流を続けてきた一橋大学大学院の

荒沢千賀子さんに、お話しいただきました。

 

 

荒沢さんは膨大な外交資料や調査資料を駆使して説明、

アナさんは6歳で家族全員を殺害され、自身も16カ所も傷を受け、

あやうく命を落とすところでした。この過酷な体験は心的外傷後

ストレス性記憶喪失を引き起こしました。

後半は現在のアナさんとの聞き取りや交流の様子をビデオで紹介。

記憶を失って生きたアナさんを語る荒沢さんの話に深く心を打たれ

ました。

 

 

【参加者の感想】

●少人数で中身の濃い意見交換ができ、大変有意義でした(上丸さん)

●とても幅広い内容のお話しでした。何より、最初は日本人に会うことを

 ためらっていたアナさんと友情をはぐくんでいったことに感銘しました。

 聞き取りの姿勢など、学ぶことの多い講演でした(高川さん)

●マニラ市街戦の中でのスペイン総領事館襲撃事件そのものについて

 全く知らなかったので、今回のお話しは示唆に富むものでした。

 外交資料の緻密な調査にも驚かされました。日本の戦争の加害責任は

 50年代にはもうこんなになおざりにされてきたのかと思うと、BFPが

 取り組んでいる問題は根が深いなと改めて思いました。

 また、日本軍のフィリピンにおける残虐行為は、フィリピン人との問題

 だけでなく、スペインという広範にわたる問題でもあることを感じ、加害

 責任を考えるうえでもっと焦点をあてていくべきエリアがあるのでは

 ないかと考えさせられました。

 さらに、荒沢さんの「人と人として」話を聞き届ようとする姿勢には

 学ぶものがたくさんありました。トラウマや経験や記憶を「聞く」そして

 「受け止める」ことの中で、私も戸惑いながら苦しみながらやってきました。

 お話しを聞いて、改めて、自分のその迷いやためらいときちんと向き合って

 記憶を継承することの難しさを引き受けていきたいと、思いました(金子さん)

 

*今回も長谷川さんには会場をお借りし、大変お世話になりました、

 ありがとうございました!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



| BFP日々の出来事 | 23:12 | comments(0) | - | pookmark |
立命館大学でのワークショップ授業
10年ほど前から毎年呼んで頂いている立命館大学より、今年も90分×2コマの授業をご依頼頂きました。

9月から会員として関わってくれている同大学の山田有夏さんも同行し、コメントをしてくれて心強かったです。


それぞれ200名と250名のクラスで、なかなか想いを伝えるには難しい大教室ではありましたが、しっかり聴いてくれている実感が持てる瞬間、瞬間があり励まされました。


自分がそうでそうであったように、人はなかなか一つの体験で変わるものではないように思います。すぐに行動に繋がるものにならなくとも、何か一つでも心に残る言葉やエピソードをお伝えでき、先々で花開くきっかけになればという気持ちで毎回臨んでいます。

受講してくださった皆様、いつも良い機会を与えてくださる藤岡先生、本当にありがとうございました。
| イベントのお知らせ&レポート | 17:29 | comments(0) | - | pookmark |
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