NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
ここに記載される会員もしくは参加者の見方や考え方は、必ずしもBFPを代表するものではありません。
個人の自由な想いを尊重して運営しています。
Copyright(C) 2005-2015 Bridge for Peace All rights reserved.

岡崎市の平和祈念式で講演させて頂きました!
先週、愛知県岡崎市で開催された平和祈念式の第2部にあたる講演会で、私・神直子がお話させて頂きました。

岡崎市遺族連合会が主催の講演会という事もあり、普段以上に緊張しました。ご遺族の方々を目の前にフィリピン人の受けた被害について語ることは、正直憚られます。


しかしながら、あの戦争を語る上で避けては通れない視点であり、そこに目を向けてきたからこそ、今のBFPがあるのも事実です。どう伝えてゆくべきかは今後もしっかりと考えてゆきたいと思いますが、私自身多くを学ばせて頂く機会となりました。
私のような戦後世代に、白羽の矢を当ててくださった遺族連合会の木俣会長には、心から感謝しております。


内田康宏岡崎市長も、ブログでBFPの展示に写真を掲載してくださいました。誠にありがとうございます。
| BFP日々の出来事 | 22:49 | comments(0) | - | pookmark |
5/19(日)13:30〜「日本人として戦争に動員されて」元BC級戦犯、李鶴来(イ・ハンネ)さんの闘い

2019年 第2回目

【BFP 東京ワークショップ】を開きます。

 

李鶴来(イ・ハンネ)さん(1925年生まれ、93才)は日本の植民地だった朝鮮で、

日本人として育ち、17歳で日本軍捕虜監視員として、タイービルマの泰緬鉄道へ

動員されました。

戦後は捕虜虐待の罪でBC級戦犯として死刑判決を受けました (後に減刑)。

しかしサンフランシスコ講和条約で日本人ではなくなったとされ、

日本政府からは一言の謝罪も補償もありません。

1991年に東京地裁に提訴、裁判を闘い続けてきました。

日本が朝鮮や台湾を植民地として統治したことを知らない世代も多い現在ですが、

李さんのビデオメッセージを受けとめ、ご一緒に考える機会にしたいと 思います。

ご参加お待ちしています。

 

日 時: 5月19日(日)13:30〜16:30

ビデオ: 『戦後補償に潜む不条理:韓国人BC級戦犯の闘い』      

     (法政大学・鈴木靖ゼミ制作 / 2017年 / 27分)

話題提供者: 伊吹由歌子さん

会 場: アカデミー湯島(文京区湯島2-28-14)     

    (地図)https://www.b-academy.jp/access/index.html

アクセス: 千代田線湯島駅(出口3)から徒歩7分       

      丸ノ内線・都営大江戸線本郷三丁目駅から徒歩10分

参加費: 学生500円、一般1000円

申し込み先:http://bridgeforpeace.jp/primary/20190519/

 

| BFP日々の出来事 | 17:33 | comments(0) | - | pookmark |
3/24 娘が語り継ぐ”父の沖縄戦” 〜腹話術で語る戦場の苦しみと心の傷

3月24日(日)の午後、東京ウィメンズプラザで2018年度最後の

BFP東京ワークショップを開催しました。

藤沢から柳川たづ江さんに来ていただき、腹話術のふくちゃんとのトーク、

映像やパワーポイントを使って、 柳川さんの父、日比野勝廣さんの沖縄での壮絶な

戦場体験と戦後長いこと苦しみ続けてきた姿を、家族の目、娘の視線から話して

いただきました。

 

柳川たづ江さんとふくちゃん              

 

愛知県出身の日比野勝廣さんは1923年(大正12年)生まれ、

19才で志願兵として軍隊へ。

20才で中国、石家荘へ、1944年8月に対馬丸で沖縄へ。瀕死の重傷を負い、

糸数アブチラガマに置き去りにされ、奇跡的に生き延びました。

「戦争の怖さは戦場体験だけでなく、戦後PTSD(心的外傷後ストレス障害)

と晩発性PTSDに苦しんだ。体験が体(五感)の奥深く記憶に残りうずき、死ぬまで

戦争から解放されない」ことだと柳川さんはいいます。

勝廣さんの苦しみを見つめ続けた妻の宣子さんは短歌を詠みつつ寄り添い、

4人姉妹(たづ江さんは四女)ともに、反発したり困惑しながらも、

父の加害体験を含めて伝え続ける活動をしていることに、共感を覚えつつ、

なかなかできることではない・・・と感じ入りました。

 

明治学院大生2人と来日中の台湾のジャーナリストも参加

 

【参加者からの感想】

*腹話術という話し方は初めてだったので、とても新鮮でしたが、戦争の重い話を、

 戦争を知らない世代でもわかりやすく対話型で話してくださることで、自分の問題

 として考えながら聞くことができました。「軍隊に入ることは、人を殺せる人間に

 ならなくてはいけない」ということや「戦争の苦しみは現在進行形で進んでいる」

 ということを、帰ってからゼミの仲間にも話をしようと思います。(鈴木雅恵さん)

 

*新しい形(戦後世代、腹話術)で戦争体験談を聞けて良かったです。日比野さんは

 ある意味、一生、戦争体験にとらわれてしまったのかなと思いました。

 戦争体験という体験や思い出は一生影を引くことの恐ろしさを知りました。

 (宗夏希さん)

 

*6/23が沖縄にとって慰霊の日であること、戦後のPTSD等、知らないことが

 多かったです。事実を知ることは大切と思いました。(栗田由起子さん)

 

*娘が語ることが、ものすごく重要。(明治学院大、高原先生)

 

遠くから来ていただいた柳川さん、

ご参加くださった皆様、ありがとうございました! 

 

 

日比野さんの著書(税込1500円)

                    

(まとめ: 斉藤由美子)

 

| BFP日々の出来事 | 15:30 | comments(0) | - | pookmark |
BFP東京ワークショップ『娘が語り継ぐ ”父の沖縄戦” 〜 柳川たづ江さんが腹話術で語る戦場の苦しみと心の傷』

2019年3月24日、東京でのワークショップのご案内です。

 



日本で唯一、地上戦が行われた沖縄、実に県民の4人に1人、住民、兵士、
ひめゆりをはじめとする学徒隊、地域の護郷隊など20数万人もの方々が
亡くなられました。これまで、BFPでは学徒隊の証言や伊江島での戦闘などの
証言をもとに沖縄戦のワークショップを開催してきました。

 今回は陸軍兵として従軍した日比野勝廣さんの壮絶な戦場体験と戦後も続く
苦しみを、娘さんの柳川たづ江さんが腹話術の人形「ふくちゃん」とともに語ります。
柳川さんはどうしたら平和を築くことができるのか、若い世代にも考えてほしいと
行動されいます。
柳川さんは藤沢から来てくださいます、貴重な機会ですので、誘い合ってご参加ください。

(柳川さんの父、日比野さんは1943年に徴兵、中国大陸で転戦後、1944年に沖縄に
派遣されました。砲撃で瀕死の重症を負い、糸数壕(ガマ)にあった野戦病院へ収容
されました。しかし日本軍は後退を続け、身動きできない日比野さんたち重症兵は
壕に置き去りにされ、奇跡的に生き延びました。8月22日に投降、2009年に死去。)
 
日 時: 3月24日(日)13:30〜16:30 
場 所: 東京ウィメンズプラザ 2階 和室 (20名)

http://www.pbls.or.jp/event/map_tokyo-womens-plaza.html
参加費:学生500円、一般1000円

 

| BFP日々の出来事 | 12:37 | comments(0) | - | pookmark |
今年はBFP15周年です!
新しい年、いかがお過ごしでしょうか。

BFPでは毎年のように戦争体験者の訃報が続き、喪中ハガキも多く届いた事から、組織として年賀状をお送りするのを数年前から控えるようになりました。

ある元日本兵の方も、
「年賀状に『おめでとう』の文字は絶対いれない。だって、目の前で戦友がたくさん死んでいったから」
とおっしゃっていたのが忘れられません。

でも、今年はBFP15周年! 晴れやかな気持ちで新年を迎えています。
| BFP日々の出来事 | 23:30 | comments(0) | - | pookmark |
BFP東京ワークショップ 『私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在』

12月16日(日)の午後、専修大学神田キャンパスで、今年最後のワークショップを開催しました。

 今回はフィリピンクイズならぬ初めての「ベトナムクイズ」(石黒さん作)にチャレンジ、

知っているようで知らないのは、フィリピンと一緒、なかなか新鮮でした。

その後『私の父もそこにいた』(脚本・監督 佐山剛勇)を鑑賞、

茨城県土浦市の添野(そえの)江実子さんに製作者としてのあふれる想いを

語ってもらいました。

「真実が知りたい」と自主製作でドキュメンタリー映画を製作したきっかけや

その後3年にわたる粘り強い調査、ベトナム取材などなど。

生前多くを語らなかったお父さんへの娘としての深い思いに共感しつつ、添野さんの

熱意と行動力には圧倒されました。

なぜ父は戦争が終わっても帰国せずにベトナムに残留したのか?

 

添野さんの父、綱河忠三郎さんは大正9年生れ、昭和15年に20歳で入隊後すぐに中国に

送られ、5年間中国戦線で戦い、その後ベトナムへ、終戦はベトナムのヴィンで迎え、

終戦後は「逃亡兵扱い」となっていました。

約600人の日本兵は帰国せず、ホーチミン氏とともに9年間も

フランスからの独立戦争(第一次インドシナ戦争)に加わって戦い、

舞鶴への帰還がかなったのは、1954年だったといいます。

このことは、日本では全くと言っていいほど知られていません。

添野さんは、父の娘として、一人の日本人として、この忘れ去られた史実を映像に残したい

と決意、また父の足跡を辿るうちに自らも養子だった事実を知りました。

 

就職し2年ぶりに参加した教員やお子さんを出産して育休中の方、長年中国山西省の

慰安婦被害女性を支援し続けている方、高知から駆けつけてくれた新聞記者さんなど、

多様な方々が参加してくださいました(スタッフを含め15人)。

 

▪️参加者からの感想

・一人一人の個人の歴史から学びとることの大事さを考えさせられました。

 添野さんには、ますます、たくさんの資料を発掘されて調査を進めて

 頂きたいと思います(川見さん)。

 

・キュメンタリー映像もインパクトがあってよくできていて、残留日本兵の

 お嬢さんの、いろいろな思いが溢れる貴重なお話も聴かせていただくことが

 できて、とても有意義な会だったと思います(長谷川さん)。

 

・ベトナム戦争のテーマ、勉強しなくては、と感想持ちました。嬉しい悲鳴。

 亡父は南洋の何処で逃亡譚。その弟は海の藻屑と散って遺骨さえ出てきません。

 諦めかけていたけれど、最近、防衛省、厚労省辺りを徘徊。

 史料調べとりかかろうかと考えてる矢先でした。

 企画、くれぐれも感謝申します(松本さん)。

 

・添野さん、膝を痛めながら気丈に遠路を出向いてくださり感謝です。こころに

 溢れる思いが伝わりました。戦争の非情理。それが共有されない非情理(伊吹さん)。

 

*ご参加いただいた皆様、添野さん、専修大学の教室を貸してくださった長谷川さん、

 ありがとうございました。

 2019年が平和な良い年になりますように!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

| BFP日々の出来事 | 23:25 | comments(0) | - | pookmark |
東京ワークショップ ”記憶を失って生きた6歳スペイン少女のその後”(1945 フィリピン・マニラ戦)

10月21日(日)の午後、専修大学・神田キャンパスでBFP東京の

ワークショップを開催、

スタッフを含めて10人が参加、貴重な学習の機会となりました。


2018年は日本とスペインの外交関係樹立150周年にあたるそうですが、

第二次世界大戦の中立国スペインの人びとがアジア太平洋戦争で被害を受けた

ことは知られていません。

被害の多くは1945年2月3日から一カ月にわたったフィリピン・マニラ戦による

もので、なかでも数名の日本兵による在マニラ・スペイン総領事館襲撃事件は、

スペインがその直ぐあとに日本との国交を断絶する主要な要因となりました。

このとき総領事館に避難していた数十名のうちただ一人生き残った六歳の少女、

アナ・アギレーリャ・リョンク(Ana Aguilella Llonch)さんをスペイン・

バルセロナに訪ね、聞きとりを重ねながら交流を続けてきた一橋大学大学院の

荒沢千賀子さんに、お話しいただきました。

 

 

荒沢さんは膨大な外交資料や調査資料を駆使して説明、

アナさんは6歳で家族全員を殺害され、自身も16カ所も傷を受け、

あやうく命を落とすところでした。この過酷な体験は心的外傷後

ストレス性記憶喪失を引き起こしました。

後半は現在のアナさんとの聞き取りや交流の様子をビデオで紹介。

記憶を失って生きたアナさんを語る荒沢さんの話に深く心を打たれ

ました。

 

 

【参加者の感想】

●少人数で中身の濃い意見交換ができ、大変有意義でした(上丸さん)

●とても幅広い内容のお話しでした。何より、最初は日本人に会うことを

 ためらっていたアナさんと友情をはぐくんでいったことに感銘しました。

 聞き取りの姿勢など、学ぶことの多い講演でした(高川さん)

●マニラ市街戦の中でのスペイン総領事館襲撃事件そのものについて

 全く知らなかったので、今回のお話しは示唆に富むものでした。

 外交資料の緻密な調査にも驚かされました。日本の戦争の加害責任は

 50年代にはもうこんなになおざりにされてきたのかと思うと、BFPが

 取り組んでいる問題は根が深いなと改めて思いました。

 また、日本軍のフィリピンにおける残虐行為は、フィリピン人との問題

 だけでなく、スペインという広範にわたる問題でもあることを感じ、加害

 責任を考えるうえでもっと焦点をあてていくべきエリアがあるのでは

 ないかと考えさせられました。

 さらに、荒沢さんの「人と人として」話を聞き届ようとする姿勢には

 学ぶものがたくさんありました。トラウマや経験や記憶を「聞く」そして

 「受け止める」ことの中で、私も戸惑いながら苦しみながらやってきました。

 お話しを聞いて、改めて、自分のその迷いやためらいときちんと向き合って

 記憶を継承することの難しさを引き受けていきたいと、思いました(金子さん)

 

*今回も長谷川さんには会場をお借りし、大変お世話になりました、

 ありがとうございました!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



| BFP日々の出来事 | 23:12 | comments(0) | - | pookmark |
10/21(日)13:30~ 「記憶を失い、ただ一人生き残った6歳スペイン少女のその後〜スペイン総領事館襲撃事件(1945フィリピン・マニラ戦)〜」

【BFP東京ワークショップ】
2018年は日本とスペインの外交関係樹立150周年にあたりますが、 第二次世界大戦の

中立国スペインの人びとがアジア太平洋戦争で被害を受けたことは知られていません。
被害の多くは1945年2月3日から一ヶ月にわたったフィリピン・マニラ戦によるもので、
なかでも数名の日本兵による在マニラ・スペイン総領事館襲撃事件は、スペインが

その直ぐあとに日本との国交を断絶する主要な要因となりました。


このとき総領事館に避難していた数十名のうちただ一人生き残った六歳の少女は、

事件で家族全員を殺害され、その記憶も失いました。
スペイン・バルセロナにこの女性を訪ね、聞きとりを重ねながら交流を続けてきた

一橋大学大学院の荒沢千賀子さんに、話題を提供していただきます。



元日本兵の聞きとりを続けてきたBFPの活動にもつながるお話でもありますので、

ぜひご一緒に考えたいと思います。ご参加お待ちしています。

日 時:  10月21日(日)13:30〜16:30
話題提供: 荒沢千賀子さん(一橋大学大学院社会学研究科)
会 場:  専修大学神田キャンパス
      https://www.senshu-u.ac.jp/access.html#anchor01

      5号館4階542教室
      https://www.senshu-u.ac.jp/about/campus/

参加費: 一般1000円 学生500円
申込先:   http://bridgeforpeace.jp/workshop/workshoprequest/

 

主 催: ブリッジ・フォー・ピース
     http://bridgeforpeace.jp/

| BFP日々の出来事 | 17:05 | comments(0) | - | pookmark |
ニューギニア西部ビアク島・武内満多男さん取材報告 

武内満多男(またお)さんは1925年(昭和元年=大正15年)生まれで

現在93歳、お孫さんからご連絡をいただき、
8月19日に石黒さんと東京・練馬区で体験をお聞かせいただきました。

武内さんは大工さんをしていたというだけあって立派な体躯、にこやかな表情で

終始穏やかに話される方で「ジャングルでサバイバル生活をしていた」ことなど

全く想像できない、平和が誰よりも似合う方でした。

5人兄弟の末っ子で、お兄さんたちもそれぞれシベリア一人、中国へ2人、

ハルマヘラ島へ一人行っていたが、幸運にも皆さん無事に戻られたそうです。

 

 

武内さんは大工さんだったので、軍属として船の修理などをしていた

1944年19歳の時に、徴兵され、漁船を改造した輸送船で、ニューギニア西部

のビアク島に向かう途中、四国沖で魚雷にやられ、海軍の航空隊に救助されました。

一旦貨車で横須賀に戻り、今度は1万トンの石炭船(なんと薪を積んでいた)で、

フィリピンのマニラ→ダバオ(ミンダナオ島)経由で、ハルマヘラ島に到着、

その後ようやくビアク島に着いたと言います。

この時期は「もう船もボロボロで、何もない。四国沖やバシー海峡(台湾と

フィリピン沖)などには、アメリカの潜水艦がウヨウヨしていた、危なくて

しようがなかった、船は魚雷を避けるためにジグザグ航行を繰り返していた」

そうで、長く危険極まりない航海に、若い兵士たちはどんな思いでいたかと

心配になりました。

現地では、武内さんは工兵隊だったので、もっぱら兵舎や飛行場を造っていた

そうです。

 

ビアク島は北のアッツ島とならぶ、激戦地として知られています。

しかし武内さんは工兵隊(第202設営隊)だったため、直接の戦闘経験はありません

でした。戦うための武器さえほとんどなかったそうです。中国人やインドネシア人の

クーリーたちが(飛行場づくりのために)たくさん働いていたといいます。

敗戦を知ったのは8月17日、米軍の捕虜になってからも食料は乏しく、1年間も

帰還する船が来なかったので、トウモロコシやタピオカばかりを食べる自給自足の

生活でした。


【石黒さんの感想】

武内さんは当時から、戦争は愚かなことだと認知しており、敗戦の知らせがくると

「これで世界平和がくる」と喜んだそうです。当時から戦争の愚かさをわかって

いる人はたくさんいたと言っており、それでも口に出せない雰囲気、言論の自由が

許されない時代というのは恐ろしいなと思いました。

 

【お孫さんからのメッセージ】
祖父は太平洋戦争からの帰還者で、19歳の時に兵士として戦地に赴き、
東南アジアのジャングルでサバイバル生活をしたのち、終戦時に捕虜となり帰国

しました。
祖父が取時の生活や想いなどとても良く記憶していることに驚かされるとともに、

それほど強烈な体験だったことになんとも言えない気持ちになります。祖父も今は

元気ですが、高齢故、いつ何があるかわかりません。私たち孫だけでなく、もっと

多くの方に祖父の体験や想いを知っていただき、私と同じように今の環境のありがたさや

平和について考えるきっかけとなってもらえたらと思います。

 

■大変貴重な体験をお話しくださった武内さん、またBFPにご連絡くださったご家族の方、

ありがとうございました!

この体験を皆さんに伝えていきたいと強く思いました。(斉藤由美子)

 

| BFP日々の出来事 | 18:40 | comments(0) | - | pookmark |
9/2(日)BFP東京 【被爆証言から核廃絶へ】 三宅信雄さん、小谷孝子さんをお招きして

台風が近づき、お天気が心配でしたが、たくさんの方々が参加してくださり、

小谷さんと三宅さんのお話しに聴き入りました。
学校で、あるいは新聞、TVでの報道を通して、よく知っていると思い込んでいた 「原爆被害」が実は表層的なもので、本当の意味でわかってはいなかったのでは・・ という気づきと同時に体験者の肉声を通して、心を揺さぶられる体験になった ように感じました。 また、今回は被爆者団体の方々の参加もあり、良い交流の機会と なりました。


参加者の皆さまの感想を紹介しながらの報告です。

■被爆者の方から直接、お話を聞く機会はこれまで全くなかったので、 今日本当に貴重なお話を聞くことが出来て良かったです。今後聞いたお話を 考えていきたいと思います。ありがとうございました。(上田汐さん・大学生)

 

 

■まず、小谷さんとアッちゃん(腹話術人形の敦君=3歳で亡くなった弟さん)には、 すべて忘れて引き込まれてしまいました。ついで母上までを亡くされながら、 腹話術を習い、それで被爆体験を子供たちに伝えなさいという教会牧師の アドヴァイスをご自身のミッションとして語り部をなさる小谷さん。 優しく暖かく愛情がにじみ出る語り口。 心のこもる短い素直な表現で受け止めるアッちゃん。誰を非難も批判もせず、 核兵器のむごさが伝わりました。(伊吹由歌子さん)

 

 

■三宅さんは16歳で被爆されたので、お話はさらに具体的でした。世界の核兵器や 原発の状況についても話され、考えさせられるものでした。 とりわけ印象的だったのは小谷さんの、「人間はいなくなってしまうけれど、 物は残る。原爆ドームや被爆ピアノなどは残る。残った物を大切にしていって ほしい」という言葉。そして三宅さんが昨年核兵器禁止条約ができたことに 関連して言われた、「核は必要悪だと言う人がいる。でも価値観というものは 変わるもの。女性の参政権も、数十年前まではないのが当たり前だった」という 言葉でした。この言葉には本当に、はっとさせられました。 そう、価値観は変わるし、少しずつ変えていかなければいけない。そして、 その一歩は、まず知ること、聞くことなのではないかと思いました。 (高川邦子さん)

 

 

■三宅さんは、原爆を忘れたく東京で大学を出て就職、企業戦士としての30余年の人生。 その後50歳代から、語り部をはじめたこと。ピースポートの「おりづるプロジェクト、 証言の航海」で世界中を回り、被曝体験を話してきたことを話されました。 また「私たちは中国など他国の方に話す場合は、まず日本の加害から始めます」 とおっしゃったのがとても心に残りました。(伊吹由歌子さん)

 

★ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました! (斉藤由美子)

| BFP日々の出来事 | 12:12 | comments(0) | - | pookmark |
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>
LINKS
RECOMMEND
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点 (JUGEMレビュー »)

BFPとしても2章書かせて頂いています。ご覧頂けると嬉しいです。
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
PROFILE