NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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今年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。

今年も応援してくださり、誠にありがとうございました。

お陰様で戦争体験者を招いてのワークショップを開催したり、韓国から有識者の方々を招いてイベントを開催したり、盛りだくさんの一年となりました。

 

また、クリック募金のgooddoも定着してきており、なんとこの1年間で寄付総額は160,200円となりました!

クリックするだけで、BFPに寄付が届けられます。まだお試しでない方がいらっしゃいましたら、今後応援して頂けたら嬉しいです。

 

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今年も本当にありがとうございました。 良いお年をお迎えください。

| BFP日々の出来事 | 16:52 | comments(0) | - | pookmark |
猪熊さんに背中を押されて〜「うたがたりコンサート」@北区
専修大学でのワークショップに来てくださっている栗田由起子さんから
お手紙をいただきました。

「猪熊さんのお話を聴いて、来月のコンサートで『別れのブルース』を歌うこと
にしました。
戦時中、淡谷のり子さんが慰問先でリクエストされた曲は『別れのブルース』や
『雨のブルース』で、軍歌ではなかったそうです。また淡谷さんが少年兵の前で
歌った時、歌っているときは泣かないことをポリシーにしていたけれども、
泣かずにはいられなかったというエピソードも残っています。

猪熊さんのお話を聞けたことで、少年兵の無念さや辛さを知りました。
最近は、別れのブルースは当時の人の心を伝えるのにふさわしいと思うように
なりました。

小さなことかもしれませんが、私も伝えるきっかけを作りたいと思っています。
このような気持ちになったのも猪熊さんのお話やブリッジ・フォー・ピースの
活動のおかげです。今後も応援し参加していきます。」



栗田由起子さん(左)と友人たち

秋冷の11月18日に小さいけれど、すてきな「うたがたりコンサート」を開き、
猪熊さんと少年兵たちについて語り、歌い、心にしみいる時間になりました。
栗田さん、ありがとうございました。
(斉藤由美子)
| BFP日々の出来事 | 17:47 | comments(0) | - | pookmark |
11/10ワークショップ授業@早稲田大学

ブログでのご報告が遅くなってしまいましたが、11月10日(木)に早稲田大学でワークショップ授業を行いました。

参加したのは、数々のワークショップをこなしてきた斉藤由美子さんと、学生メンバーの頼れる先輩、石黒秀明さん、そして私、金子聖奈です。

 

今回は、従来ずっと使われていたアイスブレイク用の「フィリピンクイズ」のパワーポイントデータに、私が今まで何度かフィリピンにホームステイしたり、BFPとして訪れたりしたりしたときに撮った写真を組み合わせ、フィリピンについての知識をより深く理解してもらえるよう工夫してみました。そのPPTを使うことはもちろん、ワークショップ授業自体わたしには初めてのことで、アイスブレイク担当の私はひやひやでした…。

なんとかアイスブレイクで学生の皆さんの関心を集めることができたかな?というときに、石黒さんにバトンタッチし、石黒さんが授業の中心部分を担当してくださいました。

ビデオを見て、ワークシートに自分が考えたことを書いてもらいながらグループ討議。

皆さんが本当に真剣にビデオを見て、グループ討議を行ってくれて、とても嬉しかったです。

また、由美子さんが途中で慰安婦の話を織り交ぜてくださり、慰安婦問題に関心を示した学生さんも少なくありませんでした。

各グループではレベルの高い活発な意見交換がされていて、私たちもハッと気づかされる意見がたくさん出ていました。

 

・「天皇万歳」と言ってなくなる兵隊がほとんどいなかったというのは意外だった。

・慰安婦の方に取材した映像も見たい。

・聞き手の存在が大切だが、戦後70年以上たって当時と同じ思いを共有することが難しくなっている。

・戦争は過去のことだが、怒りや無念は伝えていかなくてはならない。先に進むために、許しとのバランスも大切だ。

・「聞く人がいない」という言葉に対して、語られない事実があることは聞かない側に責任があることを実感した。そして伝えていく義務があると実感した。

・日本軍の残虐な行為を知らない世代としての私たちにとってワークショップの意義があった。

・日本と米露のような、日本が被害者としてあった面も存在するので、そのような国と被害者として交流を持つことも必要なことではないか?

・最近の戦争を扱ったフィクションは映像がきれいだったり登場人物がかっこよかったり、お話が美化されていたりと、戦争の認識のうえで危険な面があると意識すべきだ。

・ビデオの内容を学校の授業で触れることは少ない。自主的に知ろうとしないと学ぶ機会がないのはおかしい。

・本当にフィリピンでの日本の行動がないことの重大さを感じた。

・(日本兵が)自分のしたことを真正面から思い出して話すのは大切な家族には大切だからこそなおさら不可能だ

・BFPの活動を聞いて、被害者・加害者という枠を超えてお互いの言葉を聞き、感じることが大切なのではないかと思った。

・メディアで伝えられる戦争はあくまで被害者側で、加害者である面があまり出されていないという事実を初めて実感として認識した。

 

たくさんの貴重な意見が出ていて、載せきれません。

今回改めて思ったのは、「伝えること」そして「境界を超えること」。

こうしてワークショップを通して「伝える」活動をするのは初めてでしたが、中には涙をにじませながら聞いてくれた学生さんもいらっしゃって、一生懸命「伝えれ」ば、「伝わる」のだと思いました。その印象の大きさの大小は問題ではなくて、今回の授業で出会った学生さんたちの心に少しでも残っていてくれれば十分だな、と思いました。

 

加害者/被害者という枠(境界)を超えてお互いの言葉を聞く、という意見が出ていましたが、私も本当にそう思います。そして、私は「戦争を知る世代」と「戦争を知らない世代」の境界も越えなければならないと思います。私たちがこうして戦争経験を被害・加害と多角的に知っていきながら、同時に後世に伝えていく義務もある。それには、「戦争を知らない」と居直らず、話を聞くことでその戦争を遠いむかしの出来事だと思わないこと。そういう意味での「境界を超える」ことも大切なのかな、と思います。

 

長くなってしまいましたが、早稲田大学の学生さん、ありがとうございました。

そして私たちブリッジ・フォー・ピースを授業に招いてくださった豊田真穂先生、学生メンバーによる授業ということで至らない点も多々ありましたが、私たちもとても良い経験ができたと思います。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

| BFP日々の出来事 | 18:57 | comments(0) | - | pookmark |
12/4 現役大学生が企画する「過去の戦争から未来を考えるワークショップ」@立教大学

立派な二つのクリスマスツリーが出迎えてくれた立教大学。
模試があり、多くの学生が行き交う中で「過去の戦争から未来を考えるワークショップ」のために、BFP会員含め20人以上の参加者が集まってくれました。
この企画をすることになったきっかけは9月に永眠されたBFP会員であり元少年兵の猪熊徳郎さんの願いでした。数々の貴重な証言を残してくださった猪熊さんは「二度と戦争が繰り返されないために、若い世代にこそ知ってもらいたい」と仰ってくれていました。その意思を継ぐため、BFPの学生が若い世代を対象としたワークショップを開くこととなりました。その願いの通り、沢山の若い世代の方たちが足を運んでくださり、充実したワークショップにすることができました。

自己紹介やアイスブレークが終わった後は忙しい中駆けつけてくださった猪熊さんの息子様から少しの時間お話を頂きました。「父の思いを組む若い世代にこれから頑張ってもらいたい」というメッセージに、もっと頑張らなくてはと強く思いました。

その後は加害を与えた元兵士の思いが詰まっている「元日本軍兵士の心の澱」を観てもらい、ワークシートに沿った意見交換をしてもらいました。

 

アイスブレークで場の雰囲気を和ませる西川君!

 

○「元日本軍兵士の心の澱」を観て、ワークシートに沿った意見交換での意見

質問1:もしあなたが元日本兵であったら、戦争体験を話すべきだと思いますか?また、話せると思いますか?理由も含めて答えてください。

・話すべきではあるが話せる自信がない。ビデオであったように、ほかの人からはいい夫でありたいしいい家族でありたい。

・話せる自信はない。今話せている人は他の人からの目線よりも「戦争は二度と起こしてはいけない」という思いのほうが強い人。

・元日本兵という立場がどうしても想像できないが、私たちの立場としては話して欲しい。

・話すべきだと思うが、話せるか問われると即答は難しい。思い出すだけで心の中がぐちゃぐちゃになって罪悪感や後悔、悲しみや辛さでいっぱいになる。そんなことができてしまった自分への怒り、自分を変えた国への怒りがある。

 

質問2:もしあなたが元日本兵であったら、約30年後の戦後100年、どのような世の中になることを望むと思いますか?

・世界から武器や兵器がなくなり、戦争のない世界を望みます。過去の歴史から、元兵士の公開や辛い涙から学び、平和に解決していける世界になってほしい。

・自らが体験したようなことが二度とない世界。

・ほぼすべての人が戦争の悲惨さ、残酷さを知る世界

・戦争の記録が人の語りと映像によって受け継がれていってほしい。

・平和を人々がつくりだしていける、つくりだし続けられる世の中であるように。

 

「元日本軍兵士の心の澱」を上映する金子さん!

 

「元日本軍兵士の心の澱」を観て、休憩をはさんだ後には、いつもBFPで流している映像を見てもらい、ワークにそった意見交換。

○被害と加害双方の体験の映像を観て、ワークシートに沿った意見交換での意見

 

質問1:もしあなたが日本から侵略戦争の被害を受けたフィリピン人の立場であったら、今の日本に対してどのような感情を持つと思いますか?

・日本人がかつてフィリピンで何をしたか、それを今の日本人はどれくらい知っているか問いただしたい。

・日本への怒りや憎しみと同時に、生活の中に日本がある戸惑い。日本人に罪の意識があるのか、日本の若者が知らないことへのやるせなさ。

・日本人は当事者意識を持っているのかという疑惑。

・ビデオの方々のように前に進めるかがわからない。

・日本人が加害の事実を学んでいないことに対して非常に残念に思う。

 

質問2:もしあなたが日本から侵略戦争の被害を受けたフィリピン人の立場であったら、どんな未来を望み、今の日本の若者にどんな行動をしてほしいと思いますか?

・もう二度と武器を持ってフィリピンの土を踏まないでほしい。かつ、過去のことを知ってほしい。

・過去の戦争の実相についてきちんと知ってほしい。歴史から学び、戦争のない世界に向かってほしい。

・フィリピン人の視点も含め、戦争の記憶・記録の継承。歴史が繰り返されぬよう国際理解、またはそれに興味をもつこと。

・過去に行ったことを忘れてほしくない。話し合いなどで気持ちを橋渡し。

 

BFP映像を流す石黒!

 

話し合いをうま〜くまとめる杉原さん!

 

最後は、このワークショップを通してどのような未来であってほしいか、または自分がどんなことをしたいかをパネルに書き、みなさんに決意してもらいました!

 

・西川君の感想

同じ世代の多くの方々に足を運んでいただいたことが何より嬉しかったです。改めて、私たちにできることはなにかを考えることができた有意義な時間でした。ありがとうございました。

・金子さんの感想

同世代から大人まで、幅広い年齢層と様々な経験を持つ人たちでの討議で、たくさんの意見が交換できて実りあるものになったと実感しています。ワークショップを企画する立場でありましたが、学ぶものがたくさんあり、自分の勉強不足をひしひしと感じ刺激をたくさんもらいました。
今回のワークショップが、皆で最後に「決意パネル」に描いた未来を実現できるためのきっかけになっていたらと願うばかりです。
ありがとうございました。

・杉原さんの感想

ワークショップのテーマは重いものではありましたが、楽しかったというのが一番の感想です。
普段交流することのないような人と未来志向で戦争について意見交換することができ、非常に有意義な時間を過ごすことができました。
| BFP日々の出来事 | 23:27 | comments(0) | - | pookmark |
立命館大学と龍谷大学での授業
継続して毎年BFPにワークショップ授業を依頼してくださる学校があります。
9月の甲南中学校もそうでしたし、今月お邪魔した立命館大学と龍谷大学もそうです。



立命館大では2コマ合計180分、平和学入門のクラスで。

龍谷大学では、国際福祉を学ぶ学生さん達でした。

短い時間ではありますが、何か心に残るものが少しでもあれば、といつも精一杯お話させて頂いています。

このような機会を頂くことができ、本当に有難い事とご依頼くださる先生方への感謝の念は尽きません。

お気持ちに応えられるよう、戦争体験者の方々の代弁が少しでもできるよう、益々頑張っていきたいと思っています。
| BFP日々の出来事 | 21:25 | comments(0) | - | pookmark |
9/25 沖松信夫さんの戦争体験を聴くワークショップ @専修大学
真夏日に逆戻りしたような日曜日の昼下がり、専修大学神田キャンパスで
沖松信夫さん(91歳)の戦争体験をお聴きしました。

沖松さんは1925年、広島県呉市に生まれ、小学校へ入った年に日中戦争が始まり、
中学へ入学した年には盧溝橋事件、アジア太平洋戦争が始まった1941年に、
陸軍予科士官学校へ入学。戦争の時代とともに生きてきた世代です。
小学校の教育は徹底した皇国史観教育で、軍人になって、国のため、天皇のために
死ぬことが日本人として最高の生き方、死に方と教えられていました。

沖松さんは1945年 8 月15日に沖縄に集結するアメリカ艦隊への
体当たり出撃を命じられていました。当時20歳。ショックで眠れな
かったといいます。動く戦艦に突入して爆弾を落とすのは大変難しく
何度も突入訓練を繰り返しました。
前日の14日に突然中止命令が出て命拾いしましたが、あと1日戦争が長引いたら
なかった命でした。人の命を兵器にした非人道的作戦への怒りを込め、
体験を話し続けています。




【石黒さんの感想】

久しぶりのワークショップ参加、本日は沖松さんのお話を聞くことができました。
20人もの方が足を運んでくださり、全員で沖松さんの話に聞き入っていました。
特攻に行く予定だった前日の心境を聞き、やはり最後に思うのは天皇ではなく母のこと。
日常を過ごせるのが一番幸せだとのことでした。戦争で亡くなった全ての人に家族がいて、
母がいたと思うと、どれだけ多くの人を不幸にしたのだろうと胸が痛みました。
また、作文用紙の先生のコメントに、「前進せよ、陛下のために死ね」と書いてあり、
当時の狂った世の中の様子が伺えました。

このような事実は私達若い世代が必ず語り継いでいかなくてはならない、
そう強く思える1日でした。4人もの大学生が来てくれ、若い世代にも関心が高まっていると
感じました.



写真:沖松さんの小学校時代の作文

【参加者からの感想】

●もっとお話を聞きたい内容でした。
●「戦争と人権」の人権の部分をもっと知りたい。
●私の母は東京大空襲を逃げ延びた人です。母以外の生の戦争体験を聞かねばならないと
 強く思い参加しました。
●本日もお話ありがとうございました。今日、特に印象に残ったのは、沖松さんの
 中学生の頃の作文で、先生のコメントが「前進しろ、天皇のために死ね」という
コメントを残していたことでした。自由な考えを発言することができない時代、
社会であったことを感じ、とても怖く感じました。また、海軍で暴力が多かったと
いうことも意外でした。
 ドラマなどで陸軍の方が多いイメージがありました。

●貴重な機会を提供していただいてありがとうございました。軍人教育が実際に人々の中に
 浸透していたんだなと感じ、その教育がされていた証の作文を見せていただいて本当に
 驚きました。特攻隊になったとわかった時に最初に感じたことが母親の心配であったこと
 を聞き、いつの時代も親や家族の存在は偉大なんだなと思いました。



【写真】沖松さんが乗っていた「百式重爆撃機」(中島飛行機製作所製)
8人乗りだが、4名での出撃予定だった。

●本日は参加させていただきありがとうございました。戦争の体験という生の貴重な声を
 聞くことができ、来て良かったという思いで一杯です。年々、このような機会が少なく
 なってきていると感じているので、一回一回を大切にしていきたいと思っています。
 本や又聞きでは分からないことも多々あるので、今後も参加させていただきたいと
 考えています。ありがとうございました。

●皇国史観を精神的支柱にしたのが間違っていたというご意見が興味深かったです。
 ヒトラーと明治憲法が同じ生まれというのが大変興味深い。

●生の体験、感想を聞けて、興味を持って理解できた。皇国史観が間違いということ
 はよく理解できる。

●戦争体験者はどんどん少なくなっていく中、このような貴重な機会をいただき、
 ありがとうございました。大変勉強になりました。

★ご参加いただいた皆さま、
会場を提供してくださった専修大学の長谷川さん、ありがとうございました!
(斉藤由美子)


| BFP日々の出来事 | 16:35 | comments(0) | - | pookmark |
第7回通常総会を開催しました!
先週末は、都内で第7回BFP通常総会を開催しました。
20代の会社員から80代の元日本兵の方が集まり、8月のイベントで基調講演をお願いしている東京学芸大学の大石学先生もわざわざ来てくださいました。ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
お陰様で法人化後、赤字になる事もなく、順調に活動が継続出来ています。ご支援くださっている皆様に、改めて感謝の気持ちで一杯になりました。
さらに、大切な仲間の一人がこの場で婚約発表!楽しく、嬉しい1日でした。 今年度の達成目標も承認を得られたので、また一年年良い成果が残せるようにしたいと思います。引き続きの応援、ご支援を宜しくお願い致します。
| BFP日々の出来事 | 22:03 | comments(0) | - | pookmark |
新年度第1回ビデオ上映ワークショップ@専修大学
4月24日(日)の午後、専修大学・神田キャンパスにて、
BFPビデオ・メッセージ上映ワークショプを開催しました。
初めての参加者が5人、栃木県足利や千葉からいらした方の他、
3人が大学生でした。
皆さんがBFPのビデオを見るのは初めてとのことで、フィリピンクイズも
楽しんでいただき、お互いの感想や意見を話し合い、良い時間を持つことが
できました。



【感想から】
■フィリピンであった事を今回初めて知りました。平和への一歩はまず相手を
 理解し、状況等を知ることと思います。ビデオレターでの元兵士の話や被害
 者の話は本で読む時より生々しく伝わってきました。過去のことを我が事と
 して考えることは、よい未来を築く一歩だと感じました。また参加し、
 自分なりに伝えることをしたいと思います(YKさん)

■2015年8月、フィリピンを初めて訪れました。キリノ州の、本当に
 山奥の自給自足の村でホームステイした時、初めて日本とフィリピン
 の戦時中の関係を、ホストマザーから聞きました。2016年3月、
 今度はBFPのメンバーとして、取材のために訪比。そこで自分の
 知識のなさを改めて感じ、また自分がもっと早くこの場に来て直接話を
 聞けなかった悔しさを感じました。
 BFPのムービーを初めて見て、今までフィリピン人の話を中心に
 聞いてきた中、旧日本軍兵士の話も聞くことができて、フィリピン戦だけ
 でなく、それを通して戦争というものをより多角的にみつめ、考えを深める
 ことができたと思います。ここで考えることをやめず、歴史からきちんと
 私たちの世代が余すことなく学んで、伝えることができるよう努力していき
 たいと思いました。(SKさん)

■今までの歴史教育の中で日本人の戦争被害者意識をもっていたが、フィリピンを
 はじめとするあらゆる国々で行っていた行為を、大学に入ってから初めて知り、
 ショックを受けたのが、今日の参加したきっかけである。やはり双方の声を
 聞かなければいけないと強く思った。フィリピンの人が戦争のことをどう
 思っているのか、今日聞けたことは今後の日比関係を築いていくには貴重な
 ものだ。海外に行ったとき、日本人としてみられる。本当に知らないことが多く
 ある中、自分からより目を向けて行かなければと思った。
 8月の終戦記念の日、テレビで多く流れるのは長崎や広島での式典の様子のみで
 マニラの追悼式は見た事がなかった。今なお残る戦争について、フィリピンにも
 まだ沢山問題がある。今後フィリピンに行くのでもっとたくさんのことを知りたい。
 (AMさん)

■今回このようなワークショップを開催していただきありがとうございました。
 まず初めに、驚いたのは戦争を通して亡くなられたフィリピン人の方が非常に
 多く、日本兵よりもはるかに多いことです。先の大戦というと、北東アジアの
 中国、韓国などにばかり焦点を当てていましたが、フィリピンでもこのような
 ことが起こったのかとショックを受けました。
 やはり今も昔もやっていることに大きな違いはなく、歴史から学べることは
 多くあると思うと同時に、もっと知りたいと思いました。
 つらい話を話す方も聞く方もいい気持ちがしないとは思うのですが、知らない
 で幸せでいるより、知ってそれを何かに活かしていきたいと思いました。
 世の中で戦争のことを学ぶとなると、右、左と言われたり、タブーの意識が
 あるのですが、もっと話し合いたいと思いました。(SIさん)

+++
会場を提供してくださった長谷川さん、ありがとうございました。

斉藤由美子
| BFP日々の出来事 | 00:46 | comments(0) | - | pookmark |
インドネシアのジャワ島に5年の戦争体験 小西光さん(98歳)
千葉県八千代市の塚原さんのご紹介で、インドネシアに5年近く
行っていた小西光さんの体験をお聴きしました。
小西さんは、寝たきりの生活と伺っていましたが、当日は体調が良い様子で
ソファに掛けたままで体験を話してくださいました。



左下の左端は塚原さん

小西さんは愛媛県伊予大洲(おおず)生まれ
1941年(S.16)12月に京大法学部を3ヶ月繰り上げで卒業し、
1月に理研へ入社(理研は当時航空機や兵器を作っていた)
2月には松山で入営(松山連隊)、見習い士官としての訓練の後、
昭和17年12月久留米から台湾〜シンガポールを経由して、
シンガポールからはオランダの客船に兵隊を乗せて魚雷を避けつつ、
4,5日かけてジャワ島へ到着。インドネシアではクリスマス島が
見える最南端の湾がある町に小隊長として一個中隊で滞在(ボゴール
に近く、本部はバンドンにあった。ポロブドールの遺跡あるジョグジャ
カルタにも近い)
小西さんは久留米から、たまたまインドネシアへ送られ、生きて帰れた
けれど、同時期にガダルカナルやラバウルへ送られた人たちもいて、
生死は本当に紙一重でした。

日本の敗戦は通信隊がデリーの放送(日本語)を傍受して知りました。
(小西さんが滞在したエリアはインドの方が近い)
インドネシアを植民地にしていたオランダ人たちの生活は
豊かで、いかに日本が貧しく、遅れていたかを思い知らされて
いたので、負けるのも当然と思ったそうです。

戦闘などの体験はしなかったものの、日本の敗戦後は警察が
インドネシア人に囲まれてしまい、必死で脱出したこともあったと
いいます。
1946年(S.21) 6月に名古屋へ復員、30歳になっていました。

70代になってから絵の勉強を始めたそうで、玄関から応接間まで、
エキゾチックですてきな油絵がたくさん飾られていました。
インドネシアのバティックやイカットという織物も飾られていて、
青春の5年間を過ごしたインドネシアが大きなウエイトを占めて
いるのではと感じました。

★敗戦後のインドネシア独立運動がらみのこと等、もっとたくさん
のことをお聴きしたかったのですが、体調のこともあり、70年以上
経った今では断片的なエピソードしか覚えていらっしゃらないよう
で、残念な思いが残りました。
ご紹介いただいた塚原さん、ありがとうございました!
(斉藤由美子)

| BFP日々の出来事 | 17:16 | comments(0) | - | pookmark |
2015年度ご支援くださった皆さま

 2015年度は、以下の方々が支援してくださいました。この他に、会員として支えてくださった方が129名います。本当にありがとうございました。

*順不同(非公開希望の方を除く)

佐久間美佐子様(沖縄県在住)、渡辺忠義様(千葉県在住)、池田真里様(東京都)、岩井忠正様(9条の会小平/小平平和委員会)、宇賀神聡子様(鐘ヶ淵9条の会)、伊藤義人様(レインボーリング)、木戸泰弘様(ホワイトステッキ)、浅川和也様(埼玉県在住)白石ケイ子様(緑町 きらきらプロジェクト)、 楠山雅彦様(大阪府在住)、野間優子様(全国一般大阪府本部)、池田幸一様(シベリア立法推進会議)、藤岡惇様(立命館大学)、佐藤寿様(元日本兵)、細田浩様(法政大学)、ヤマグチカズコ様(神奈川県在住)、古浜興太郎様(沖縄在住)、 加藤礼子様(東京都荒川区在住)、徳留絹枝様(「捕虜:日米の対話」設立者)、 川見能人様(朝日新聞記者)、井上拓也様(世田谷区)、伊藤泓子様(東京都在住)、倉光祥子様(武蔵野市在住)、石塚勉様(江東区在住)、丸本功彦様(埼玉県在住)、鬼松成剛様(愛知県在住)、別府まゆみ様(高知県在住)、大島俊明様(愛知県在住)、ふるやん様(会社員)、須田征士様(山形県在住)、箱田貴一様(神奈川県在住)、久保田ひろみ様(千葉県在住)、山本勉様(三重県在住)、北千代様(埼玉県在住)、長谷川宏様(専修大学教授)、伊佐淳様(福岡県在住)

| BFP日々の出来事 | 22:49 | - | - | pookmark |
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