NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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今年はBFP15周年です!
新しい年、いかがお過ごしでしょうか。

BFPでは毎年のように戦争体験者の訃報が続き、喪中ハガキも多く届いた事から、組織として年賀状をお送りするのを数年前から控えるようになりました。

ある元日本兵の方も、
「年賀状に『おめでとう』の文字は絶対いれない。だって、目の前で戦友がたくさん死んでいったから」
とおっしゃっていたのが忘れられません。

でも、今年はBFP15周年! 晴れやかな気持ちで新年を迎えています。
| BFP日々の出来事 | 23:30 | comments(0) | - | pookmark |
BFP東京ワークショップ 『私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在』

12月16日(日)の午後、専修大学神田キャンパスで、今年最後のワークショップを開催しました。

 今回はフィリピンクイズならぬ初めての「ベトナムクイズ」(石黒さん作)にチャレンジ、

知っているようで知らないのは、フィリピンと一緒、なかなか新鮮でした。

その後『私の父もそこにいた』(脚本・監督 佐山剛勇)を鑑賞、

茨城県土浦市の添野(そえの)江実子さんに製作者としてのあふれる想いを

語ってもらいました。

「真実が知りたい」と自主製作でドキュメンタリー映画を製作したきっかけや

その後3年にわたる粘り強い調査、ベトナム取材などなど。

生前多くを語らなかったお父さんへの娘としての深い思いに共感しつつ、添野さんの

熱意と行動力には圧倒されました。

なぜ父は戦争が終わっても帰国せずにベトナムに残留したのか?

 

添野さんの父、綱河忠三郎さんは大正9年生れ、昭和15年に20歳で入隊後すぐに中国に

送られ、5年間中国戦線で戦い、その後ベトナムへ、終戦はベトナムのヴィンで迎え、

終戦後は「逃亡兵扱い」となっていました。

約600人の日本兵は帰国せず、ホーチミン氏とともに9年間も

フランスからの独立戦争(第一次インドシナ戦争)に加わって戦い、

舞鶴への帰還がかなったのは、1954年だったといいます。

このことは、日本では全くと言っていいほど知られていません。

添野さんは、父の娘として、一人の日本人として、この忘れ去られた史実を映像に残したい

と決意、また父の足跡を辿るうちに自らも養子だった事実を知りました。

 

就職し2年ぶりに参加した教員やお子さんを出産して育休中の方、長年中国山西省の

慰安婦被害女性を支援し続けている方、高知から駆けつけてくれた新聞記者さんなど、

多様な方々が参加してくださいました(スタッフを含め15人)。

 

▪️参加者からの感想

・一人一人の個人の歴史から学びとることの大事さを考えさせられました。

 添野さんには、ますます、たくさんの資料を発掘されて調査を進めて

 頂きたいと思います(川見さん)。

 

・キュメンタリー映像もインパクトがあってよくできていて、残留日本兵の

 お嬢さんの、いろいろな思いが溢れる貴重なお話も聴かせていただくことが

 できて、とても有意義な会だったと思います(長谷川さん)。

 

・ベトナム戦争のテーマ、勉強しなくては、と感想持ちました。嬉しい悲鳴。

 亡父は南洋の何処で逃亡譚。その弟は海の藻屑と散って遺骨さえ出てきません。

 諦めかけていたけれど、最近、防衛省、厚労省辺りを徘徊。

 史料調べとりかかろうかと考えてる矢先でした。

 企画、くれぐれも感謝申します(松本さん)。

 

・添野さん、膝を痛めながら気丈に遠路を出向いてくださり感謝です。こころに

 溢れる思いが伝わりました。戦争の非情理。それが共有されない非情理(伊吹さん)。

 

*ご参加いただいた皆様、添野さん、専修大学の教室を貸してくださった長谷川さん、

 ありがとうございました。

 2019年が平和な良い年になりますように!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

| BFP日々の出来事 | 23:25 | comments(0) | - | pookmark |
東京ワークショップ ”記憶を失って生きた6歳スペイン少女のその後”(1945 フィリピン・マニラ戦)

10月21日(日)の午後、専修大学・神田キャンパスでBFP東京の

ワークショップを開催、

スタッフを含めて10人が参加、貴重な学習の機会となりました。


2018年は日本とスペインの外交関係樹立150周年にあたるそうですが、

第二次世界大戦の中立国スペインの人びとがアジア太平洋戦争で被害を受けた

ことは知られていません。

被害の多くは1945年2月3日から一カ月にわたったフィリピン・マニラ戦による

もので、なかでも数名の日本兵による在マニラ・スペイン総領事館襲撃事件は、

スペインがその直ぐあとに日本との国交を断絶する主要な要因となりました。

このとき総領事館に避難していた数十名のうちただ一人生き残った六歳の少女、

アナ・アギレーリャ・リョンク(Ana Aguilella Llonch)さんをスペイン・

バルセロナに訪ね、聞きとりを重ねながら交流を続けてきた一橋大学大学院の

荒沢千賀子さんに、お話しいただきました。

 

 

荒沢さんは膨大な外交資料や調査資料を駆使して説明、

アナさんは6歳で家族全員を殺害され、自身も16カ所も傷を受け、

あやうく命を落とすところでした。この過酷な体験は心的外傷後

ストレス性記憶喪失を引き起こしました。

後半は現在のアナさんとの聞き取りや交流の様子をビデオで紹介。

記憶を失って生きたアナさんを語る荒沢さんの話に深く心を打たれ

ました。

 

 

【参加者の感想】

●少人数で中身の濃い意見交換ができ、大変有意義でした(上丸さん)

●とても幅広い内容のお話しでした。何より、最初は日本人に会うことを

 ためらっていたアナさんと友情をはぐくんでいったことに感銘しました。

 聞き取りの姿勢など、学ぶことの多い講演でした(高川さん)

●マニラ市街戦の中でのスペイン総領事館襲撃事件そのものについて

 全く知らなかったので、今回のお話しは示唆に富むものでした。

 外交資料の緻密な調査にも驚かされました。日本の戦争の加害責任は

 50年代にはもうこんなになおざりにされてきたのかと思うと、BFPが

 取り組んでいる問題は根が深いなと改めて思いました。

 また、日本軍のフィリピンにおける残虐行為は、フィリピン人との問題

 だけでなく、スペインという広範にわたる問題でもあることを感じ、加害

 責任を考えるうえでもっと焦点をあてていくべきエリアがあるのでは

 ないかと考えさせられました。

 さらに、荒沢さんの「人と人として」話を聞き届ようとする姿勢には

 学ぶものがたくさんありました。トラウマや経験や記憶を「聞く」そして

 「受け止める」ことの中で、私も戸惑いながら苦しみながらやってきました。

 お話しを聞いて、改めて、自分のその迷いやためらいときちんと向き合って

 記憶を継承することの難しさを引き受けていきたいと、思いました(金子さん)

 

*今回も長谷川さんには会場をお借りし、大変お世話になりました、

 ありがとうございました!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



| BFP日々の出来事 | 23:12 | comments(0) | - | pookmark |
10/21(日)13:30~ 「記憶を失い、ただ一人生き残った6歳スペイン少女のその後〜スペイン総領事館襲撃事件(1945フィリピン・マニラ戦)〜」

【BFP東京ワークショップ】
2018年は日本とスペインの外交関係樹立150周年にあたりますが、 第二次世界大戦の

中立国スペインの人びとがアジア太平洋戦争で被害を受けたことは知られていません。
被害の多くは1945年2月3日から一ヶ月にわたったフィリピン・マニラ戦によるもので、
なかでも数名の日本兵による在マニラ・スペイン総領事館襲撃事件は、スペインが

その直ぐあとに日本との国交を断絶する主要な要因となりました。


このとき総領事館に避難していた数十名のうちただ一人生き残った六歳の少女は、

事件で家族全員を殺害され、その記憶も失いました。
スペイン・バルセロナにこの女性を訪ね、聞きとりを重ねながら交流を続けてきた

一橋大学大学院の荒沢千賀子さんに、話題を提供していただきます。



元日本兵の聞きとりを続けてきたBFPの活動にもつながるお話でもありますので、

ぜひご一緒に考えたいと思います。ご参加お待ちしています。

日 時:  10月21日(日)13:30〜16:30
話題提供: 荒沢千賀子さん(一橋大学大学院社会学研究科)
会 場:  専修大学神田キャンパス
      https://www.senshu-u.ac.jp/access.html#anchor01

      5号館4階542教室
      https://www.senshu-u.ac.jp/about/campus/

参加費: 一般1000円 学生500円
申込先:   http://bridgeforpeace.jp/workshop/workshoprequest/

 

主 催: ブリッジ・フォー・ピース
     http://bridgeforpeace.jp/

| BFP日々の出来事 | 17:05 | comments(0) | - | pookmark |
ニューギニア西部ビアク島・武内満多男さん取材報告 

武内満多男(またお)さんは1925年(昭和元年=大正15年)生まれで

現在93歳、お孫さんからご連絡をいただき、
8月19日に石黒さんと東京・練馬区で体験をお聞かせいただきました。

武内さんは大工さんをしていたというだけあって立派な体躯、にこやかな表情で

終始穏やかに話される方で「ジャングルでサバイバル生活をしていた」ことなど

全く想像できない、平和が誰よりも似合う方でした。

5人兄弟の末っ子で、お兄さんたちもそれぞれシベリア一人、中国へ2人、

ハルマヘラ島へ一人行っていたが、幸運にも皆さん無事に戻られたそうです。

 

 

武内さんは大工さんだったので、軍属として船の修理などをしていた

1944年19歳の時に、徴兵され、漁船を改造した輸送船で、ニューギニア西部

のビアク島に向かう途中、四国沖で魚雷にやられ、海軍の航空隊に救助されました。

一旦貨車で横須賀に戻り、今度は1万トンの石炭船(なんと薪を積んでいた)で、

フィリピンのマニラ→ダバオ(ミンダナオ島)経由で、ハルマヘラ島に到着、

その後ようやくビアク島に着いたと言います。

この時期は「もう船もボロボロで、何もない。四国沖やバシー海峡(台湾と

フィリピン沖)などには、アメリカの潜水艦がウヨウヨしていた、危なくて

しようがなかった、船は魚雷を避けるためにジグザグ航行を繰り返していた」

そうで、長く危険極まりない航海に、若い兵士たちはどんな思いでいたかと

心配になりました。

現地では、武内さんは工兵隊だったので、もっぱら兵舎や飛行場を造っていた

そうです。

 

ビアク島は北のアッツ島とならぶ、激戦地として知られています。

しかし武内さんは工兵隊(第202設営隊)だったため、直接の戦闘経験はありません

でした。戦うための武器さえほとんどなかったそうです。中国人やインドネシア人の

クーリーたちが(飛行場づくりのために)たくさん働いていたといいます。

敗戦を知ったのは8月17日、米軍の捕虜になってからも食料は乏しく、1年間も

帰還する船が来なかったので、トウモロコシやタピオカばかりを食べる自給自足の

生活でした。


【石黒さんの感想】

武内さんは当時から、戦争は愚かなことだと認知しており、敗戦の知らせがくると

「これで世界平和がくる」と喜んだそうです。当時から戦争の愚かさをわかって

いる人はたくさんいたと言っており、それでも口に出せない雰囲気、言論の自由が

許されない時代というのは恐ろしいなと思いました。

 

【お孫さんからのメッセージ】
祖父は太平洋戦争からの帰還者で、19歳の時に兵士として戦地に赴き、
東南アジアのジャングルでサバイバル生活をしたのち、終戦時に捕虜となり帰国

しました。
祖父が取時の生活や想いなどとても良く記憶していることに驚かされるとともに、

それほど強烈な体験だったことになんとも言えない気持ちになります。祖父も今は

元気ですが、高齢故、いつ何があるかわかりません。私たち孫だけでなく、もっと

多くの方に祖父の体験や想いを知っていただき、私と同じように今の環境のありがたさや

平和について考えるきっかけとなってもらえたらと思います。

 

■大変貴重な体験をお話しくださった武内さん、またBFPにご連絡くださったご家族の方、

ありがとうございました!

この体験を皆さんに伝えていきたいと強く思いました。(斉藤由美子)

 

| BFP日々の出来事 | 18:40 | comments(0) | - | pookmark |
9/2(日)BFP東京 【被爆証言から核廃絶へ】 三宅信雄さん、小谷孝子さんをお招きして

台風が近づき、お天気が心配でしたが、たくさんの方々が参加してくださり、

小谷さんと三宅さんのお話しに聴き入りました。
学校で、あるいは新聞、TVでの報道を通して、よく知っていると思い込んでいた 「原爆被害」が実は表層的なもので、本当の意味でわかってはいなかったのでは・・ という気づきと同時に体験者の肉声を通して、心を揺さぶられる体験になった ように感じました。 また、今回は被爆者団体の方々の参加もあり、良い交流の機会と なりました。


参加者の皆さまの感想を紹介しながらの報告です。

■被爆者の方から直接、お話を聞く機会はこれまで全くなかったので、 今日本当に貴重なお話を聞くことが出来て良かったです。今後聞いたお話を 考えていきたいと思います。ありがとうございました。(上田汐さん・大学生)

 

 

■まず、小谷さんとアッちゃん(腹話術人形の敦君=3歳で亡くなった弟さん)には、 すべて忘れて引き込まれてしまいました。ついで母上までを亡くされながら、 腹話術を習い、それで被爆体験を子供たちに伝えなさいという教会牧師の アドヴァイスをご自身のミッションとして語り部をなさる小谷さん。 優しく暖かく愛情がにじみ出る語り口。 心のこもる短い素直な表現で受け止めるアッちゃん。誰を非難も批判もせず、 核兵器のむごさが伝わりました。(伊吹由歌子さん)

 

 

■三宅さんは16歳で被爆されたので、お話はさらに具体的でした。世界の核兵器や 原発の状況についても話され、考えさせられるものでした。 とりわけ印象的だったのは小谷さんの、「人間はいなくなってしまうけれど、 物は残る。原爆ドームや被爆ピアノなどは残る。残った物を大切にしていって ほしい」という言葉。そして三宅さんが昨年核兵器禁止条約ができたことに 関連して言われた、「核は必要悪だと言う人がいる。でも価値観というものは 変わるもの。女性の参政権も、数十年前まではないのが当たり前だった」という 言葉でした。この言葉には本当に、はっとさせられました。 そう、価値観は変わるし、少しずつ変えていかなければいけない。そして、 その一歩は、まず知ること、聞くことなのではないかと思いました。 (高川邦子さん)

 

 

■三宅さんは、原爆を忘れたく東京で大学を出て就職、企業戦士としての30余年の人生。 その後50歳代から、語り部をはじめたこと。ピースポートの「おりづるプロジェクト、 証言の航海」で世界中を回り、被曝体験を話してきたことを話されました。 また「私たちは中国など他国の方に話す場合は、まず日本の加害から始めます」 とおっしゃったのがとても心に残りました。(伊吹由歌子さん)

 

★ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました! (斉藤由美子)

| BFP日々の出来事 | 12:12 | comments(0) | - | pookmark |
【オープンチャーチイベント】 フィリピンから考える戦争と平和 ~ 平和への一歩は「知ること」から〜

8/4(土)の午後、文京区、護国寺にあるIPCのオープンチャーチイベントで、
90分のワークショップをさせていただきました。


連日灼熱の暑さでしたが、教会の中はなごやかな雰囲気で学生や
若い世代の皆さん50名弱が参加してくださいました。
毎年夏には平和を考えるイベントに取組んでこられたそうで、
「平和を当然のように享受している日本ですが、過去の歴史認識なしには、

アジアの国々と真の和睦をなすことができないのでは・・・」との思いから

今回の企画になったとうかがいました。



【アイスブレークでフィリピンクイズ、金子聖奈さん】


ビデオを観ていただいた後、グループに分かれてディスカッション。
参加者のほとんどがフィリピンで戦争があったことや3年半にわたる

過酷な日本統治時代があったことを知らなくて、証言映像にショック

を受けたようでした。

「戦争のリアルさ、戦争体験者の想いを聞けたのが良かった」

「知ることが本当に大きかった」中には「おじがフィリピンで戦死した」

という方や親世代の方が知らなかったことに恥ずかしさとショックを

感じておられたケースも。



【真剣な表情でグループワーク】

 

一方で、戦争における同調圧力や、戦争に反対でも(情緒的で)

あおられてしまう日本人について「自分が大切に思うものを

声に出す、正しいと思うものを強く持つこと」が必要との声も。


漫才によるオープニング、ワークショップ後には賛美歌、

ゴスペルの圧倒的な歌唱に癒されました。

また志村さんからベトナム戦争に従軍した牧師さんの体験を通して、

「敵も殺さず、自分も殺されずに一緒に経験し苦しむ」という

「戦争を知った人」の深いメッセージがあり、心打たれ考えさせ

られました。



【IPCのみなさまと】


■様々な世代がそれぞれ「知らなかったこと」に直面していることの大切さに

改めて気づきました。そうした個別のショック体験が、今日からの行動や考えを

少しづつ変えていく契機になるのではと感じました。(金子聖奈)

 

■すばらしい機会と細かい配慮をしてくださった志村さん、齋藤愛菜さん、

IPCのみなさま、ありがとうございました!(斉藤由美子)






 

| BFP日々の出来事 | 17:30 | comments(0) | - | pookmark |
7/15 歴史 NGOフォーラム と ルソン島南部ツアー報告〜歴史の記憶をめぐって〜
猛暑が続く7/15、文京シビックセンター5階の会議室で、スタッフ、学生を含めて
13人が参加してBFP東京でのワークショップが開かれました。



学生会員の金子聖奈さんからリパ・ツアーの報告
パワーポイントを使ってリパでの虐殺の史実を簡単に紹介し、
それから2016年3月の訪問で初めてパガオのバランガイキャプテンと
お会いして、2017年2月に覚書を交わして建設を具体化し、本来は
井戸のところに慰霊碑を立てるつもりだったが、
2018年2月にバランガイオフィスの外に立てることになったという変更点、
さらに2018年7月(最新)では高校の建設の土地購入+慰霊碑建設費
に当てられることになったという報告をしました。
慰霊碑建設よりも、パガオの方々にとっては高校の建設が優先事項のような
印象を受けた、ということも話しました。

また、この報告についてはお越しいただいた方から
・慰霊碑を立てるだけで、本当に歴史の継承につながるのか?
 高校に建設したとしても、形骸化しないか?
などの厳しい意見もありました。

慰霊碑を立てるということが、「戦争遺跡」(戦跡)を「作る」ということ、
そこに日本人・フィリピン人問わず、当事者の是非は問わず、たくさんの人の思いが
のせられること、小さくても歴史を自分たちで作り出そうとしているんだなという
責任感を感じました。

マニラでの歴史NGOフォーラムについては、2002年から始まった日中韓の東アジア
共通の歴史教科書等にも触れて、浅川さんから話していただいた後、
参加者との自由な交流タイムになりました。



参加者の中に美術関係の方々もいらして、お金のかからないモニュメントとして、
アイ・ウェイウェイ(中国の現代美術家)の福島での展示 "Don't follow the wind!" の
紹介、日常生活に違和感を差し込むという方法(例えばドイツの「つまづきの石」)など
”アートの力”や演劇の力を借りての「記憶の共有化」についても、大変
興味深い話が次々と出ました。



また、、マニラ戦当時のスペイン大使館襲撃事件のたった一人の
生き残りの少女(当時6歳、現在はバルセロナ在住)について研究、聞き取りを続けてきた
一橋大学の荒沢千賀子さんからは、「語り継ぐことをしているだろうか」と話されました。

参加者からの感想
・リパ慰霊碑建立の大変さ、具体的にお話しいただき、感謝します。
・少人数なので、ざっくばらんに話すのはとても良いと思います。
・様々な専門性を持った方が集う、様々な意見に触れられえる貴重な機会だと思いました。
・本当に学びの多い充実した時間でした。パガオでのモニュメントのお話しは、非常に
 考えさせられました。実際に現地でのやり取りの中で、プランが変更されていく
 プロセスは実にリアルで、本当に大変かと想像します。
・毎年12月にマレーシア/シンガポールから現地の戦争体験者を読んで横浜で
 証言集会を開いているのですが、体験者の年齢が上がってなかなか日本まで
 来られる人を探せなくなってきました。こうした状況にどう対応しているかに
 ついて、ブリッジ・フォー・ピースの経験トノウハウを知りたいです。

ご参加ありがとうございました!

(斉藤由美子)



 


| BFP日々の出来事 | 11:40 | comments(0) | - | pookmark |
8/4(土)フィリピンから考える戦争と平和〜平和の一歩は「知ること」から〜 ご参加お待ちします!


8月は毎年、戦争と平和を考える機会をもっており、今回は、戦争体験者のメッセージ記録と
ワークショップを行っているNPO法人BRIDGE FORPEACEの方を招いての共催企画となります。

日本はアジアの一国ですね。ところが、アジアの歴史が大きく動いている中、
ちょっと私たち日本人は、眠っているかもしれないという声もあり、
今回のテーマが生まれました。
フィリピンについても知ってもらうところから始め、ワークショップでは、
フィリピンでの戦争犠牲者と元日本兵の方々の体験を元にしたビデオメッセージから、
過去の戦争を知り、平和を考えます。
恒例、ウェルカムショーやゴスペルの時間も健在です^^
この夏、アジアについても考え、一歩前に進み出るような、時間になれば、幸いです。

>IPC オープンチャーチイベント(共催企画)
テーマ: フィリピンから考える戦争と平和 〜平和の一歩は「知ること」から〜

日時: 8月4日(土)13:00〜16:00
場所: 天風会館ビル (住所: 文京区大塚5丁目)
アクセス: 東京メトロ有楽町線 護国寺駅、4番出口(地上)徒歩1分


ーーProgramーー
12:45 OPEN
13:00 START
・漫才によるウェルカムショー
・BFPによるワークショップ
・Message
・讃美・ゴスペルなど
・Free time & Tea time
16:00 CLOSE

*参加費:無料
*申し込みは不要です、直接会場にお越しください。
*問合せ先: 
 https://japan-ipc.wixsite.com/ipcweb/copy-of-team


共催: IPC https://japan-ipc.wixsite.com/ipcweb
 :BRIDGE FOR PEACE http://bridgeforpeace.jp/
| BFP日々の出来事 | 18:38 | comments(0) | - | pookmark |
3月25日(日)BFPワークショップ 『こるはの独唱』上映とトーク
3月25日(日)の午後、専修大学神田キャンパスで
BFPワークショップ『こるはの独唱』上映とトーク
〜フィリピン・ルソン島で自決した音楽学徒・村野弘二をめぐって〜
が開催されました。



当日はスタッフも含めて20人近い人が参加してくださいました。
いつもとは一味違うオペラや映画関連の方々の参加もありました。

TBS News 23の『千の証言』をはじめ、村野弘二さんの姪である中林敦子さん、そして
自らにとっては「実感できない戦争」をめぐっての映画を制作したという吉岡雅樹監督
のトークに聴き入りました。



フィリピンの風景の中に立つ中林さんの表情が深く心を打った『千の証言』、
対照的な表現と音の積み重ねで作られた吉岡監督の『こるはの独唱』が相まって、
刺激的ですばらしい時間になりました。



BFP代表の神さんも岡崎市から駆けつけてくれて、2月のフィリピンツアーでフィリピン
の人たちから「毎年来てくれてありがとう」と言われたことに触れ、「忘れていな
い」というメッセージが大事ではないかと話しました。

以下参加者からの感想を共有します。

■上映後のトークで戦争についての意見が聞けて良かったです。
■映画を観ることもお話しを聞かせて頂く事も、とてもいろんな
 ことを考えさせて頂くことができました。ありがとうございました。
■テレビ放映されたもの、別途作成された映画、トークと様々な手段を駆使した
 企画で、いろいろ努力されたと思います。道案内なども、よく考えられていました。

【栗田由起子さんから】
以前より戦時中の音楽家や生徒がどのようにその時代を経験したのか
関心があり参加しました。
言葉少なく、淡々とした映像は、今と昔を冷静に見つめることを語りかけている
ようでした。時折、都会の映像が出てくる場面では、戦後の日本はずっと経済成長
を追い求めてきて、それで本当に良かったのかと考えさせられました。
演奏を聴いて村野さんがオペラを作曲したのは、想像以上の覚悟があって
作曲されたのではないかと感じました。
命である音楽から離れなければならないことは本当に苦しかったと思います。
また、こるはの独唱の歌詞は、自身の想いと重ねていたのではないかと思いました。
今まで音楽学徒の話は聞いたことがなかったので、映画を通じて知ることで大変学
びになりました。私自身、音楽との向き合い方を考えるきっかけにもなりました。
ありがとうございました。

【金子聖奈さんから】
「忘れていない」という気持ちに関して、
今フィリピンにいて痛烈に感じるのは、記憶の風化は日本人だけではなくて
フィリピン人にとっても現在進行形で起こっているということです。

その韓国人や中国人との関わりや、今まで交流のあったフィリピン人との
交流を通して「忘れていない」上で、フィリピンを始めとしたアジア諸国と
新しい関係性を構築することができれば素敵だなと考えました。

【伊吹由歌子さんから】
お若い吉岡監督と、村野さんの姪ごさんである中林さんの組まれたドキュメンタリー「こるはの独唱」。
とても新鮮斬新な感性で、刺激的でした。まったく戦争を知らない世代。
日本がした、そしていま尚 残された問題山積という実感で生きている私などの世代。
どうしたら、共有、共感できるのだろう。改めて、考えざるを得ません。

上映後の参加者のトークがとても良かったという声もききました。
長谷川さんには、今回も大変お世話になり、ありがとうございました。
(斉藤由美子)
| BFP日々の出来事 | 17:12 | comments(0) | - | pookmark |
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