今年7月の「言論NPO」がおこなった日中共同世論調査によると中国に対して“良い・どちらかといえばよい印象を持つ”日本世論は20.8%、その逆の中国世論は28.6%にとどまり、尖閣問題が反映されていることは明らかと指摘しています。そんな折、わずか4日間の日程でしたが、私にとって観光目的以外では初めての北京訪問であり、貴重な体験をさせてもらいました。以下、断片的ですが、感想を記します。
●中国社会科学院近代史研究所長・歩平さん(2006~2009年、日本政府提案による日中歴史共同研究の中国側責任者)のような政府系シンクタンクのトップクラスの方とBFPが面談できたとは、実は内心驚きでした。初対面で、こちらから立ち入った質問や意見交換を求めるなどは無論自制しましたが、歓談の席では、歩平さん自身が今の仕事に携わるようになった由来などを気さくに語ってくれるのを聞きながら、ある種、中国人のフトコロの深さを感じました。氏は、かつて日本の政治家との対談で、日本と中国の相互理解のためには、まず、あらゆる市民どうしの交流や対話が必要と熱く語っています。まさに有言実行者という印象を持ちました。
●観光スポットで有名な故宮(清朝の王宮)が、かつて日本軍の管轄支配下にあった頃、こんな惨劇があったことをはじめて知りました。日本軍は大陸の都市を攻略するごとに、その“戦果”をみせつけようと北京市民を強制的に故宮に集め、延々報告を始める。長時間、不動の姿勢を強いられた小学生を含む群集は、何かのきっかけで欄干からなだれを打って落下、死者・重傷者多数を出す…。この事故を伝える記事は、翌日の新聞には一言半句も無かったそうです。
歴史に if は適用できないのは承知のうえですが、かりに戦時中、皇居が外国(軍)の管轄支配を受けていたら、その外国に日本人はどんな民族感情を持ったでしょう?
●盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館を見学の後、その隣で展示中の日本のWAM(女たちの戦争と平和資料館)が企画した「中国での日本軍性暴力パネル展」も参観。展示パネルの最後に感想を書き込むボードがありました。“日本鬼子”(抗日戦争時代、中国民衆が日本に向けた憎しみ・怒りのコトバ)などに並んで、“中華民族復興”、“中国大国地位確立”、“中国国際地位向上”といった自信と自負のコトバが目につきました。はじめ正直“ちょっと?”と違和感を覚えましたが、しかしここに屈辱を二度と許さない彼らの意思が込められているのだととらえ直し、さて、BFPが彼らとどのように平和の架け橋をつなげられるか、思い巡らしてみました。
●この夏、来年から使われる中学歴史教科書に、第二次世界大戦での日本のアジア侵略を正当化する育鵬社版が、残念ながら全国いくつかの地域で採択されました。ここで、その背景やいきさつに触れる余裕はありませんが、戦後1946年、スミでぬられた教科書を手にした小学一年生として、又日本と中国の近代史を学ぶものとして、胸に刻まれた言葉があります。ヴァイツゼッカー元西ドイツ大統領が、ナチス・ドイツ降伏40周年にあたり述べた一節です。
―過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもまた盲目となるー
○中国に行ってみたい!
とにかく生の中国をみたい!そんな気持ちから今回のスタディツアーに参加させていただきました。これだけ中国が注目され、日本の街中にも中国人が溢れる今日、私は漠然と中国という国に興味を持っていました。偏見というよりは何か霧の中で見えないような感覚。そんな感覚を払拭し、中国に対する理解を深めるため、キャリーバックを引っ張り出しました。そして中国初上陸!自分では意識していなかった中国に対する誤解を認識し、またイメージの大きく変わった一週間でした。
○ナチュラルで勢いのある国
中国のイメージ…汚い、臭う。しかし、実際に訪れてみるとそんなに臭いがひどいわけではなく、また街全体も思ったよりもキレイで発展している印象を受けました。和僑会との親睦会の際、現地に留学中の日本人学生が、「中国の1週間は日本の1カ月だ」とおっしゃっていました。ちょっと油断していると急激に変化、発展する国、それが中国なのだと感じました。そして人の多さ。広い広場に人、人、人。地下鉄、バス、タクシーの利用も争奪戦でした。日本人の感覚では、そういった「我先に」の行動には違和感がありますが、中国ではそれが当たり前なのだと思います。海外に出るといつもそうですが、今回の中国でも、当たり前が当たり前でない感覚を感じることができました。中国は一人一人に「勢い」があればこそ生きていける社会なのかもしれません。
また、中国の公園では、いつも多くの人々がソーシャルダンスやバトミントン、伝統遊び、将棋やトランプなどに興じています。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで様々な世代が公園で余暇活動を楽しんでいました。実に素晴らしい光景だと思いました。こういった開かれた自由なコミュニティが日本にもあればと切実に思い、羨ましかったです。国の印象として何となく中国は閉鎖的なのではないかと思っていましたが、閉鎖的で窮屈なのは日本社会の方かもしれません。
○made in Chinaの偏見
4日目に訪れた“南羅鼓巷”は、中国の歴史ある家屋を活かしたオシャレな街です。若手デザイナーの商品を取り扱うアパレルの店や、カフェの並ぶ通りでした。正直、この通りの散策が私の中国への印象を一番変えたといえます。made in Chinaといえば粗悪品のイメージ。しかしここで並べられている服やカバンは実にファッショナブルで、センスがあり、質感も非常に良いです。私もデザインに惹かれてトートバックを即決購入してしまいました。日本にはこういった良質な商品は入ってこないように思います。日本で目にする中国製の製品は安かろう悪かろうの商品が主流です。日本の生産者からすれば、中国の良いものを仕入れても、実際問題としてブランディングの点で中途半端になってしまうので仕方ないとは思いますが、何かもったいない気持ちになりました。made in chinaのタグの持つ意味とその影響について考えさせられます。
○歴史認識の溝
滞在中は現地の方々との会食が多く設定されていました。BFPにとって非常に重要なこの時間に、私のような若輩者がどういったスタンスで席に座っていればいいのかわからず、ひとまず傍らで皆さんのお話を拝聴しておりました。ある日の会食で中国の日本語学校の先生に会話の流れの中で「日本の若者は歴史を知らないの?」と質問を受け、私は「戦争があったことは知っているが、具体的に何があったかは学校では教えられてない」と答えました。非常に穏やかで親切な先生ですが、その際のどこか残念そうで、怒っているような目は印象的で、戦争に対する日本と中国の認識のギャップは想像以上に深いようでした。戦争に対する認識の甘さという点では私自身も例外ではありません。結局私も戦争についてはよく知っているとはいえませんし、中国の方に平然と「知らない」と言えてしまうわけですから。戦時中に起きた出来事、日本がアジア諸国に行ったことは確かに日本人には耳が痛いと思います。しかし、知る義務と責任があるでしょう。且つそれらを感覚的に認識する必要があると思います。そういった現地の方の雰囲気を直接感じるという点で、先生の目は印象に残りました。
ツアーの終盤、芸術街で出会った芸術家の方とお食事をする機会がありました。その方は以前、お客さんとしていらした元兵士の方と話をされたことがあり、過去の行為について謝罪を受けたといいます。しかし、この芸術家の方は「被害を受けた上の世代に代わって自分たちがその謝罪を受け入れることはできない」とおっしゃっていました。また一方では、「自分たちの世代には自分たちの世代でできることがある」ともおっしゃいました。これは私の感覚でですが、歴史認識に対する中国のスタンスからは、日本の過去の行いについては厳しく追及しながらも(厳しくというよりは当たり前なのですが)、日本とは友好的な関係を築いていこうという日中友好への積極的な姿勢を全体的に感じました。こうした中国の懐の深さには感動します。しかし、こういった姿勢に私たち日本人が甘えるわけにはいきません。中国の方々は直接口には出しませんでしたが、やはり日本の過去の行為に対する「恨」があることには変わりないように思えます。中国の方々の示してくれる優しさには頭が下がる思いですが、同時に私たち日本人には認識のギャップを埋めていくためのより積極的な努力が要求されているといえます。
○まだまだ無知
BFPのスタディツアーとしての訪中でしたが、私個人としては単純に中国という国を楽しませていただきました。渡航前、私は中国について何もしらないと思っていました。しかし実際には何もしらなかったわけではありませんでした。made in China=粗悪品のようなイメージです。中国という国家は共産党が統制していて、日本人からみると中国人はgoing my wayで、テキトーで、ガツガツしている。そんなイメージです。しかしこれはある意味当たっているようで、あまりにも不十分な情報でした。少なくとも今回中国で訪れた場所や出会った人々からは大変好印象を受けました。
おそらく中国には、今回の短い滞在期間ではみることのできない複雑な社会が広がっていることと思います。結局まだまだ私は中国について無知です。噛めば噛むほど味の出そうな中国。今後は今までとは違った感覚と視点で注目していきたいです。
(余談:中華料理は、どこもとっても美味しかったです!)