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「戦争体験の継承と基地問題は一体なのだ」と感じた沖縄ツアー
  青い空。青い海。美しい緑。いまの沖縄をみると、こんなところで戦争があったの?と感じてしまいます。

 6月27日から6月29日まで、2年ぶりにBFP沖縄ツアーを実施しました。今回、初日は観光をし、2日目に南部戦跡ツアー、3日目に基地の現状、辺野古を知るツアーの予定で行動した。今回は、沖縄平和ネットワークの下地さんに、2日間ガイドをしていただいた。

2日間で、戦跡や基地や辺野古などを回らせていただいたが、その中でも心に残ったことをお伝えしたいと思います。

 嘉数高台…市街地の中にある基地である普天間飛行場が一望できる高台。沖縄戦においても戦闘が激しかった地域でもある。普天間飛行場近くに所在する、普天間小学校は、基準値を超えた騒音で、夜間訓練の制限も守られていないとのことです。

 平和の礎…1995年に設立され、沖縄戦で犠牲になった方の名前が刻まれたモニュメント。

現在まで、約24万人の名前が刻まれているそう。その中で、説明を受けた「宮良英加」という方の言葉が非常に心に残りました。宮良さんが壮行会で残した「一度は生徒を教えてみたかった。戦争は非情だ。どんなに勉強したくてもできない。戦争のない時代に生まれたかった」という言葉でした。

くしくも時は戦時中、
「戦争のない時代に生まれたかった」
といえば懲罰も覚悟しないといけない時代にあったのにこのような言葉が言えたのは衝撃的でした。それと同時にいかに自分たちが、平和な世の中に生きているのだと実感しました。

白梅の塔…ひめゆり学徒隊と同じく、看護活動に従事した白梅学徒隊の慰霊碑があるところです。慰霊の日が過ぎた最初の週末ということもあって、献花が多くありました。ここで印象に残った言葉は、白梅学徒隊は、ひめゆり学徒隊と違って、平和祈念資料館もなく当時起こったことを、次世代に伝えていくための手段は限られているが、ひめゆりだけでなく、私たちも沖縄戦で起こったことを伝えていかないといけないとのことでした。

基地・辺野古…沖縄県の75%が基地であるという現状。実際に普天間基地のクリアゾーンには、保育所や学校、病院などがあり基準値超の騒音に悩まされていると同時に、事故の危険性もあるといいます。嘉手納基地近くの「道の駅かでな」からみた基地には爆音で離着陸する飛行機が何度も見えました。辺野古についても、天然記念物であるジュゴンが住む海の生態系を守るだけでなく、基地が建設されれば、海上要塞となり多くの兵士が前線に送り出されてしまう。海に守られてきたのだから今度は海を守るという思いから座り込みは19年目を迎えているそうです。基地の中に住む人の光熱費などは日本政府がまかなっているというお話も聞きました。外出する時もクーラーなどはつけたまま外出するそうです。

今回の旅で感じたのが、基地の中に沖縄がある。戦争体験の継承と基地問題は一体なのだと感じました。今年で、沖縄戦が終結して70年が経ちました。これからも、沖縄が抱える現状を知り発信し、未来に伝えていかなければいけないと感じました。最後に、ひめゆり学徒隊の引率者だった仲宗根政善さんの言葉を紹介して締めくくりたいと思います。

平和か戦争かは、まるで綱渡りのように一線の上をすれすれに通っているのだ
多くの人々の心の中に、平和を積み上げてゆくことなしには、戦争から平和を守ることは
不可能だ。 仲宗根政善

| 沖縄訪問レポート | 14:26 | - | - | pookmark |
沖縄ツアー・レポート(樫村)
 

 皆さん、こんにちは。最近、会員になりました樫村です。豊橋にある愛知大学で社会学の教員をしております。

BFPとは、勤務先の文学部社会学コースの社会調査実習の授業で、今年は、地域における戦争体験継承活動をテーマにしており、その活動の中で、豊橋空襲を語り継ぐ会で出前講座を担当している、山崎和男先生から、神さんのことを紹介してもらったのが出会いの契機です。Facebookで神さんとつながり、そこで紹介されていた、出版されたばかりの御著書で、BFPの活動経緯を知って、ひどく感動しました(このことは、朝日WEBRONZAにも書きました)。神さんにも、授業に来ていただいて、ビデオメッセージを見せていただき、学生28名にいつものワークショップを開催してもらいました。いつになく、学生たちが生き生きとして、発言し出したので、神さんの力に感心しました(この模様は、6/25中日新聞三河版に掲載されました)。

 そんな中で、BFPの沖縄ツアーの募集を知ったのですが、最初は、学生向けの募集だと思い込んでいました。BFPの活動の方法に共感を持ち始めていた私は、このツアーへの参加を神さんに打診したのですが、聞いたところ、まだ一人も集まっておらず中止するかもしれないとのこと、で、一人でも開催されると知り、急いで、飛行機の切符を取ったのが1週間前か何かで、安いチケットは売り払っているだけでなく、帰りのチケットは最終便が一席残っていただけでした(おかげで豊橋には同日に帰れず、名古屋中部空港のホテルに泊まる始末)。

 ツアーを計画・開催してくださった山地さんは、沖縄には今まで何十回訪問されているとのこと(あとで聞くと、その最初のほとんどは、ダイビング目当てだったとのことでした)。空港でタクシーのドライバーの新垣さんと先にお会いしお話すると、前回、山地さんを案内したときには、ガマの中で山地さんがカメラのシャッターがきかなくなり、霊を感じたエピソードが、のっけから展開。那覇空港についた蒸し暑さが一瞬にして冷汗となりました(ちなみに山地さんは霊感体質だそうです)。

 沖縄ツアーを決断した重要な理由は、2日目のガマなどの戦跡コースの他に、3日目に、辺野古やキャンプシュワゲート、沖縄国際大学ヘリ墜落現場などがツアーコースになっていたことでした。あとで知ったのですが、このコースの計画は、神さんや山地さんが作られたのかと思いきや、現地の平和ネットワークガイドの下地さんが、戦跡ツアーするなら、ここにも、と提案し組み込んでくださったとのことでした。実際、沖縄戦跡ツアーや基地見学する修学旅行生に、嘉手納基地まで来るなら、辺野古も見るように、提案してきたのだそう(過激なガイドさんのように見えますが、あとで見るように、これが沖縄スタンダードなのです。つまり、戦跡や戦争体験の問題が、反基地問題と繋がっているのは、沖縄にとっては、ごくごく当たり前のことなのです)。

 下地さんは、もと高校の体育の先生で、私にとっては、この活動の経緯についての彼への聞き取りも重要な調査となりましたが、さまざまな語り部の語りを引き継ぐ彼の語りが、どれもこれもあまりに深い傷をはらんだ人生のもので、たった数日のこの旅の中で、ほとんど動けなくなってしまうほどの衝撃でした。

 1日目については、先日国会議員になった仲里さんの戦争体験についての講演会の案内が浅井さんから紹介され、急きょ、現地の集会に参加することに。社会学者の私にとっては、現地の日常を知ることのできる、またとない経験となりました。沖縄の集会や辺野古の現場で感じたことは、本土での集会やデモと比べて、本当にカジュアルで日常化していて、普通の人が普通に声をあげているということでした。この夜は、浅井さんの知り合いで、この情報を提供してくださった、そして集会にも出席された東アジア共同体研究所の緒方さんから、沖縄の様々なお話を聞きながら、沖縄料理と泡盛で楽しく過ごしました(久米島のゴーヤのおいしかったこと)。

 2日目、わざわざ過去には設置されていた照明装置を今は切って真っ暗になっているガマを懐中電灯で進むのは、さすがに結構リスキーな活動だったのですが、ぬかるみに何度も滑りそうになる私たちに、下地さんは、照明装置をつけていた頃のことを、心から批判して語られるので、下地さんたちが、沖縄観光・ガイドをどれだけの思いでされているのかを改めて感じる局面でもありました。平和祈念資料館前の礎では、刻まれた名前を見つけては、その人のエピソードを一つ一つ話され、その話の中にそのつど心が分け入っていくのでした(時間がいくらあっても足りないので、ツアー時間が延長してしまった・・・)。沖縄慰霊の日からちょうど1週間くらいあとの日程で山地さんがツアーを設定されていたので、日曜のこの日は、家族連れも訪れ、多くの花が石碑の前に置かれました。どこからか三線の音も聞こえてきました。

沖縄祈念資料館では、はじめて当時の爆撃機B29の模型を天井に見たのですが、片翼だけで部屋の対角線を占め、これが「超空の要塞」かと空恐ろしさを感じました。

 3日目、キャンプシュワブゲート前では、山地さんと私はBFPとしてアピールをさせていただきました。私は、ちょうど昨年、ゼミの学生が1か月、沖縄で戦争体験者の人たちの聞き取り調査を行っていたので、その話をし、お礼を申し上げました。その学生が、賞を取ったことをお話すると、たちまち拍手。沖縄のことを話題にした卒論だったからかなとその時は思っていたのですが、あとから考えると、その指導をした私やその卒論を書いた学生への拍手だったんだなと、沖縄の人たちの優しさに触れた思いでした。そして、びっくりしたのは、座席に戻ったら、あなたの学生さんの聞き取り、去年受けたよという一人の女性の方からのお声。こんなこともあるのか、沖縄らしい話だなと思いました。下地さんから聞いた多くの話の中に、戦争中、すれ違ったり、一瞬の出会いの中で、助けたり助けられなかったり、言葉の交わし合いや行き違いがあり、戦後、もう一度、あの人と会いたい、このことを話したいという想いがあり、その人を探し当てて、ついに会ったり、探したけれどもう亡くなっていたり、というドラマがあったからです。学生にも伝えたら、昨年は体調がお悪かったので、心配していたとのこと、元気と知ってとても喜んでいました。

 キャンプシュワブゲート前でのアピールの後は、デモが始まりました。今までガイドをしていた下地さんがいきなり、デモ参加者になってしまい、参加しますか? と言われたので、私も急きょデモ参加者に。デモ参加者の女性たちは、しっかり頭から腕まで日よけ対策している人が多く、肌さらし状態の私に、「沖縄は怖いよ、大変なことになるよ」と笑って言われました。また、「遠くから来てくれて、アピールありがとう」の声も。バスは、沖縄全島から来ているのですが、皆が一つのコミュニティみたいなこの雰囲気って、聞いてはいたものの、沖縄文化なのだと改めて感じました(仲里さんの講演会でも感じた雰囲気)。時間オーバーしても、いつも山地さんは利用してもらっている顧客だからといって超過料金を取らなかったドライバーの新垣さん、仕事なのかボランティアなのかわからないコミット度の下地さん、ここには贈与文化があるんだと、しかも、それは再帰的な新しい贈与文化なのではないかと、社会学者としても改めての発見でした。

また、去年の学生の卒論は、沖縄と愛知を比較して、沖縄では、戦争体験継承活動が政治状況と密接に繋がっているという重要な提起だったのですが、言葉としては理解していても、その実感がつかめていなかったことを改めて感じました。また戦争がこの島ではまだ終わっていない、この島全体が戦跡であること。『標的の村』の映像は相当険しいのですが、デモの声は荒々しくても、長期間運動を続けてきた彼らの日常は,とてもリラックスしていてのんびりとしていて楽しそうなこと。

コザ騒動の現場にわざわざ車を回してくれた新垣さん。彼はその時本土にいたけれど、友達が参加した話。コザ騒動は、当時の記憶のある人たちにどのように受け止められているかを知ることができました。新垣さんと下地さんが二人で沖縄の歴史や政治についてけんけんがくがくやるシーンもあって、本土には欠けている政治文化がここにはあることも実感しました(むしろこれが世界のスタンダードで、政治について語ることがタブーになっていたり、学校教育で過剰な抑圧をしようとする本土が異常だと、フランスで娘を育ててきた私はつくづく思います)。下地さんが紹介してくださった、ガマ経験を扱った映画『月桃の花』が見たくて、ホテルで夜、検索すると、DVDが出ておらず映写機調達でフィルム借りないと見られないことがわかり、残念だと翌日、伝えると、下地さんも新垣さんも、沖縄ならしょっちゅう上映していて見られるんだけれど、と言われて、文化が全然違うじゃんと思いました。

 本当に、直前、日程の調整で慌てたりしましたが、参加してよかったと思いました。この計画を組んでくださった、山地さんと、それを押してくださった神さん、情報を下さった浅井さんに心より感謝します。ぜひ、皆さんも、来年、沖縄ツアーに参加してみてください。平和ネットワークガイドツアーでは、通常のツアーでは行かないところに行けます。ひめゆりではなく、白梅隊など、今まで陽がまだ当たってこなかった歴史の真実に現地で出会えます。

 先日、話題になった沖縄のメディア(琉球新報、沖縄タイムズ)では、さまざまな体験者の取材がされています。でも下地さんによれば、メディアはメディアとしての見せ方にこだわるので、実際には、ちゃんと全部聞けていないことも多いとのこと。戦争という体験がこのコミュニティ全体にどのように情報として行きかったのかをしっかり調査するだけでも社会学の重要なテーマのはずで、そんなことをちゃんとやってきた社会学者はいるだろうかとふと思いつつも、ともかく、ラストチャンスの中で、BFPにとっても証言を取る重要な使命があると感じます。沖縄について知り尽くしている山地さんだからこそ、できるお仕事かと思います。というわけで、今後のBFP沖縄部門を心より応援しています。

 今年は、戦争体験の継承活動をテーマにして研究・教育してきたことで、やはり教育にとって、最も重要なことは、平和教育であり、戦争の悲惨さと戦争をしないことを伝えることだと確信しました。その意味で、岡崎という東三河地域に来られたBFPと接点を持って、活動を考えていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。

| 沖縄訪問レポート | 14:24 | - | - | pookmark |
沖縄の戦跡(ガマ)を巡りと、辺野古・普天間・嘉手納の現状を知るBFP沖縄ツアー
戦後70年目を迎える今年、2年ぶりにBFP沖縄・ツアーを実施します。
この記念すべき年に、沖縄を訪問しませんか。

沖縄で日本唯一の地上戦が行われてからも、今年で戦後70年を迎えます。
今年は、ガマへの入壕体験をはじめ、最近ニュースなどでも取り上げられるようになった普天間基地の辺野古移設問題。今回のツアーでは、辺野古テント村を訪問して現地で活動する人がどう思っているのかをヒアリングしたいと思います。また沖縄のガマなどを訪問する事により、さまざまな角度から沖縄戦の実相についてより深く学びたいと思います。多くの犠牲者を生んだ沖縄戦。戦後27年間続いた米国統治、そして県民生活にさまざまな影響を与えている米軍基地や辺野古の問題。沖縄が抱えるこうした歴史や問題を通じて、平和について考えてみませんか。そして、ツアーを通して平和の尊さと生命の大切さを再確認しませんか。観光ではいかない場所、出会い出会えない人々、他の観光ツアーでは絶対にないBFPオリジナルツアーです。

ご一緒に沖縄の当時の記憶を辿り、辺野古の今を確認し、沖縄の記憶を受け継ぎ伝えていきませんか。

1.実施日時:2015年6月27日(土)〜6月29日(月) 
2.ツアー参加費 :45,000円(学生40,000円)
<現地ガイド、宿泊費、交通費(車を全行程チャーター)、プログラム・コーディネート費が主な内訳です> 
*ただし、航空費、旅行保険加入費、飲食物、超過手荷物料金、チップ、ご自宅と集合地及び解散地間の交通費、突発的な移動費、お土産代、その他雑費は費用に含まれていません。
3.訪問スケジュール
【27日(初日)】
11:30頃、那覇空港にて集合
※航空券の手配は各自でお願い致します。
※初日は、首里城・斎場御獄などを観光します。
【28日(2日目)】
※南部戦跡ツアー
※糸数アブチラガマ・平和祈念公園・魂魄之塔などを訪問します。
【29日(3日目)】
※辺野古テント村・キャンプシュワブゲート前・沖縄国際大学ヘリ墜落現場などを訪問します。
※那覇空港にて現地解散
・ツアー参加者には詳細な日程表を後日お送りします。

4.募集人数:4名(BFP会員限定です。まだの方はお申し込み後、登録をして頂くようお願いします)
5.申込締切:6月10日(火)ただし、定員になり次第締め切りますので、お早目にお申し込みください。

お申し込みはコチラ
| 沖縄訪問レポート | 21:02 | - | - | pookmark |
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