12月16日、立命館大学平和ミュージアムにて、元特攻隊員であり、元立命館大学副学長でもある岩井忠熊さんにお話を伺いました。
○納得のいく日本史を学びたかった学生時代
岩井さんは1922年に熊本市で生まれました。
高校の西洋史(現代史)の授業で植民地となっているアジアの国々の民族運動を学び、
「ナショナリズムを武力で抑えることなど無理、と習いました。」
米英と日本の国力の違い等も習ったと言います。
もし誰かが憲兵隊に密告していたら捕まっていたであろう内容を先生は教えていたのですが、生徒たちは誰も密告しなかったそうです。
「『国史』ではなく、納得のいく『日本史』を学びたい」と思った岩井さんは、1943年、東京大学ではなく京都大学に進学します。しかし、絶対国防圏*のために新たに多くの兵が必要とされ、岩井さんも学徒出陣することになりました。
○「天皇のために死ぬわけではない」
検査を経て向かった先は航海学校。
しかし兵学校出身者と、学生出身の予備士官の間には激しい差別がありました。
特攻隊に志願する空気を生み出す一つに、差別される者が差別する者に対して「俺もちゃんと死ぬ勇気があるんだぞ!」と主張せずにはいられないような気持ちもあったと言います。
「多面的に考えることが許されない」軍隊生活のなかにあり、「流れのままに泳いでいた」。「どうせ死ぬなら体当たりして死ぬ方がマシだ」と特攻隊に志願。
しかし、「天皇のために散る特攻隊」に志願したわけではありませんでした。
「何のために死ぬのか」を考え続けた岩井さんの答えは、「天皇のために死ぬのではない、自分は国民のために、自分とつながった運命を共にする人たちのために死ぬ」。
それを自分に言い聞かせていました。
○特攻「震洋」
岩井さんが配属されたのは、長崎県大村湾川棚の臨時魚雷艇訓練所。乗るのは「震洋」。ベニヤ板で作られた高速艇でした。
任務は米軍がいよいよ本土上陸のため迫ってきたときに出陣して止めるというものだったため、米軍が来るのをひたすら待つ日々でした。
敗戦を知ったとき感じたのは、受動的に行動してきた自分が情けないという屈辱感でした。
これまで様々な場で自身の体験や感じていることを伝えてこられましたが、戦後長く体験を話さなかった岩井さん。
「恥ずかしかったんです。京大の先輩たちは、思想を持って兵役を逃れた。」
自分は当時の空気にのまれ、特攻隊にも志願した。同じように大学で学んだ者として恥ずかしい、という気持ちがずっとありました。
しかし湾岸戦争が起こり、イスラム教徒の自爆テロ等によって特攻を賛美する声が現れはじめます。「これは何か言わないといけない」。
先輩たちももう(亡くなって)いないし・・と続けた岩井さんのなかで、自分の責任や周囲の目がどれだけ岩井さんの心にのしかかり、葛藤していたかを垣間見た気がしました。
○最近大ブレークしている百田尚樹の「永遠の0」に関しては、
「細かい描写が実際と全然違うし、何より当時あんな風に心のなかで自分の意思を保ち続けるなんて無理。あんな主人公は、当時は存在し得なかったんじゃないかなぁ。」と言います。戦争を知る世代がだんだん少なくなっている今、当時の状況を知る証人がいなくなるということは、誰かにとって都合の良い「戦争」が語られるかもしれない。その恐ろしさを改めて感じました。
兄の忠正さんと共に書かれた本『特攻』のなかに、「『国のためだった』ではすまない、いかなる『国』であったかが問われている」と書かれているところがあります。岩井さんはアジアの人々を様々な形で苦しめた日本という国を正面から見つめている人でもありました。
また、「10代の純粋な子たちは『国のため』と本当に思い死んだのかもしれないけど、教育を受けた者たちは複雑な思いだった。」と言っていた岩井さんの
「特権的な学生生活をしてきた自分たちだから、人々の役に立ちたい。」という言葉を聞いたとき、真面目に学び、社会に役立ちたいという当時の誠実な若者達の思いが、国策遂行と交わっていってしまったやり切れなさのようなものを感じ、なんとも言えない気持ちになりました。
○最後に頂いた若者達へのメッセージは
「戦争を自分のこととして考えて欲しい」そのために「自分達と直につながっている近現代史を勉強してほしいです」。
例えばA級戦犯の岸信介元首相は今の安倍晋三首相の祖父です。「そのつながりを私たちは見ている。」
学校でほとんど近現代史を習わない今、なぜ日本は戦争をしたのか、戦時中、私達の祖父母達の世代は何をしたのか、そして戦後、日本はどう進んで来たのか、それらを自分の力で学びに行かなければならないと、お話を伺って強く感じました。
雨のなか、立命館大学平和ミュージアムまで来て頂き、3時間も話し続けてくださった岩井さんに心から御礼申し上げます。
*太平洋戦争(大東亜戦争)後期、連合国軍の反撃で守勢に立たされた日本が、本土防衛及び戦争続行のために必要不可欠な地域として設定した防衛ライン。(Weblio辞書より)