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平塚在住元海軍の方への取材
平塚在住元海軍の方への取材
夏井 佑来

2013年11月9日(土)、平塚在住の宮川績(みやかわ いさお)さんにご自身の戦争体験について取材させて頂きました。
当日は、畑江奈つ希さんと若林良さんの三人で先方のお宅に訪問させて頂きました。

立派な門構えのお宅の中に入ると、手入れの行き届いた庭木が見え、玄関の呼び鈴を鳴らすと、宮川さんの奥さまがお出迎えしてくれました。
庭の池や大木が見渡せる居間に通され少し経つと、書類を手に携えた宮川さんが現れました。

お電話でお話した際も、とても歓迎して下さっている様子が伝わってきたのですが、戦争の時の話ができることがとても嬉しいと言ってくれて、満面の笑みで我々を迎えてくれました。特に、20代の三人が戦争について聞きたいと言ってくれたことがとても嬉しかったようで、よく来てくれたね、とご夫婦揃って喜んでくれました。

居間のソファに腰かけると、ご夫婦揃って取材に応じてくれました。
ご主人のお話に始まり、途中で奥さまのお話、そしてお二人で会話をしながら回答してくれるなど、お二人の夫婦関係が伝わってくる様子に、一つの夫婦像を学ばせて頂きました。

さて、本題の戦争体験についてですが、宮川さんは、大正12年10月28日に座間村にて生まれました。大正12年は、西暦にすると、1923年、すなわち関東大震災の起きた年です。震災の余震がある中、竹藪の中で生まれたそうです。

座間小学校、厚木中学校を経て、昭和16年に東京高等商船学校(現、東京海洋大学)機関科に入学しました。昭和19年12月に卒業し、海軍系の会社に入社すると同時に、海軍に召集がかかり、駆逐艦での勤務が始まります。
宮川さんは、終戦まで4つの艦船に乗船しています。

まず、インドネシアにて捕獲した米軍駆逐艦「スチュワード(日本名一〇二号哨戒艇)」に広島の呉にて乗船しました。

4か月間の乗船の中で、米軍の機銃照射にあい、何十人もの命が失われました。軍医が傷ついた兵士たちの手当てをしていましたが、中には腸が出ている者など、士官室は血の海になったそうです。当時の心境を伺いましたが、いずれ自分もこうなるんだなと何とも思わなかったと仰っていました。

つぎに、京都の舞鶴にて、「初梅」に乗船。この時は、船が艤装中で一週間の乗船でした。

その後、横須賀にて、「潮」に乗船し、一か月ほど過ごし、最後に、横浜にて「第一雲洋丸」に乗船しました。

昭和20年7月14日、第一雲洋丸は、室蘭沖にて、米軍艦隊による空襲と艦砲射撃によって、沈没しました。
当時、宮川さんは機関室の中にいたのですが、機関室に打ち込まれた爆弾三発が不発弾であったおかげで、命を失うことはありませんでした。

室蘭にて終戦を迎えたその後、8月末に横須賀鎮守府にて、召集解除の令が出て、海軍を除隊しました。

海軍除隊後は、会社に戻り、昭和39年にご自身の会社を設立して、平成11年まで経営者として勤めました。

元海軍士官の方にお話を伺うのは初めてだったのですが、元日本兵の方にお話を聞く度に、「知らないこと」「知らされなかったこと」を知ることができます。

1年余りの期間に、これだけ頻繁に船が変わったことや米軍艦隊が室蘭沖まで来たことも知りませんでした。
知らない歴史の事実を知ることに加えて、今日は当時の海軍士官服や短剣を見せて頂けるなど、戦争当時に着ていた、そして使用したものを間近で見られる貴重な経験をさせてもらえました。

戦争世代の方々の生きる力には勇気と元気をもらいます。
「何もない社会」を経験されて、道を開いてここまで生きてこられた方の目に宿る力強さ。
ただ、ただ、凄いと畏怖の念を抱きます。

宮川さんは多才な方で、本を執筆されたり、絵を描かれたり、蛍を飼われたりと、とにかくいろんなことを形にされている方です。
ご本人曰く、いろんなことに挑戦するのが長生きの秘訣!と仰っていました。
そして、いろんなことをする宮川さんに寄り添ってこられた奥さまの存在の大きさも感じました。

20代の三人で臨んだ取材でしたが、とても素敵な経験をさせて頂くことができました。
こうしたご縁を頂けたのも、これまで人との縁を大切にしてこられたBFPの方々のおかげでもあります。
そして、そのご縁を共有してくださった奈つ希さんと若林さんに感謝感謝です。



| 取材-海軍 | 21:12 | comments(0) | - | pookmark |
寺嶋芳彦氏を訪問-大学生の訪問レポート
terashima2.17
数年前からお付き合いさせて頂いている元日本兵に、寺嶋芳彦さんがいます。寺嶋さんは、戦後フィリピンへ遺骨収集へ出かけたり(ナントこれまで300回超!)、問合せが尽きない遺族への情報提供をされたり、昨年もテレビ出演されるなど、未だに元気いっぱいの87歳です。17歳の時から海軍として、フィリピンを含む様々な国での戦争を体験された方です。

その寺嶋さんが今思うこと…それは、「戦争体験者は、体験したことを言わなあかん!」ということでした。なぜ事実を話せないのか、なぜ歪曲した情報を流すのか。その背景も含め、色々とお話をしてくださいました。

今日は4名で訪問。
貴重なお話なので、毎回数名でお邪魔しています。今回同行してくれた、大学生の飯島彩音さんが訪問レポートを書いてくださいましたので、ぜひご一読ください。
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●私が受けた、寺嶋さんの印象 
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 今回で私が戦争の話を聞きに行くのは3回目…行くたびに驚かされるのは、部屋中に収められている、戦争に関する本や、ご自身で集められたファイル。今日お話を聞かせていただいた寺嶋芳彦さんの部屋にも、きれいにファイルされ、整理された資料、写真、本が所狭しと並べてある上に、壁にはアキノ大統領などご自身の活動の中でつながっていった著名人との写真が飾られていました。
 大切そうに保管されているそれらの戦争資料を見ると、いつも考えることがあります。もともと几帳面な方だから、自身の経験した戦争について問い続け、資料を集め続けるのか。それとも、自身の経験がなんだったのかを問うからこそ、驚くほど多くの資料を精力的に集めてきたのか。
いずれにせよ、このような方々が見つめ続けてきた戦争を、世代を超えて聞いていくことの重要さを、いつも部屋に入った瞬間からひしひしと実感します。
 寺嶋さんは、神さんと会うのが5度目ということで、打ち解けた雰囲気。あいさつも早々に、ご自身の夢である日中友好のための公園についてのお話に移りました。既に場所も決まっており、設計図もできていたその計画は、一度頓挫してしまっている経緯があるそうです。

「日本は自分の霊ばかり慰めようとしているけど、まずこれ(公園)をつくって、相手の霊を弔うことからやれば、向こうだって(靖国参拝等について)絶対文句言わん」

 日中の関係が芳しくないため、遺骨の収集ができない。その前にまず、小さいステップから仲良くなっていけばいいというのが、寺嶋さんの一貫した意見のように感じました。

「まず仲良くならんと。わしがフィリピンに行くときは、ダンボール2箱分くらい風船とかもっていく。それを子どもにあげるの。すると親達にも伝わるし、ちゃんと遺骨の場所教えてくれる。いきなり「どこ?」って聞いても、「しらん」っていう。」

 この個人レベルでの交流の大切さも、寺嶋さんが若い頃に身をもって感じられたものなのだと、その後のお話を聞きつつ感じました。

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●寺嶋さんの戦争体験〜10代から海軍へ志願〜
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 寺嶋さんは14歳の頃に実家を出て、満州にいた親戚の下へ単身向かいました。その途中、朝鮮半島で帰ろうか、帰ったら(家を飛び出してきたから)エライことになると迷っていたところ、現地の人に助けられ、そこで働くことになったそうです。
 そこから学校にも通わせてもらっている折に、満州事変が勃発。宿舎に日本の水兵が多く泊まるようになり、仲良くなった寺嶋さんは、少年兵を志願。勉強した末に見事合格。実家の親には怒られるかと思ったら、日本の雰囲気が急激に軍国主義的に変わっていたせいか、喜ばれたといいます。
 おそらく単身朝鮮半島に渡り人々の温かさに触れたことが、寺嶋さんが国を超えて、分かり合えることを体験した第一歩なのでしょう。軍隊の頃にも、船に食料を売りにくる中国の人と仲良くなったというお話をしてくれました。
 人とのコミュニケーションの大切さは、このような体験の積み重ねから得たもので、それが現在の遺骨収集の活動にもつながっているのかなと感じました。

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●「皆が見たこと、体験したことを話せばいい」という寺嶋さんの言葉から膨らんだ、私の思い
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 そんな寺嶋さんは、戦争を伝えることについてもとても熱心。南京でのことなど、ウソ、ホントをめぐり繰り広げられる論争についてこういいます。
   
「皆が見たこと、体験したことを話せばいい。だって体験してるんだから。本当かどうか判断するのは、次の世代にでも任せればいいんだ。語りたくないっていう理由は、二つ。一つ目は、戦犯になっちゃうから。本当のこというと。その責任を考えたら話したくない。二つ目は名誉。」

 前回も書きましたが、未だに戦友会では軍の構造が残っているため、語りにくい状況なのかもしれません。しかし、それと同時に、上官だった戦争体験者の多くが亡くなった今だから、話したい人、話せる人が増えているかもしれない。このことを考えると、私は語ってもらえるかもしれないという希望を膨らませてしまいます。
 私も寺嶋さんのお話に強く共感しています。体験した人に、自分にとっての戦争を語って欲しい。きっとそれが、世代を超えて、つながる「なにか」を含んでいると思うんです。
 もちろん、上官の世代の方から、若く前線に赴いた方まで、できるだけ多くの視点で戦争を聞いていきたいなと考えています。
今回の寺嶋さんのお話を聞いて、この思いがいっそう膨らみました。
| 取材-海軍 | 17:33 | comments(0) | trackbacks(2) | pookmark |
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