NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
ここに記載される会員もしくは参加者の見方や考え方は、必ずしもBFPを代表するものではありません。
個人の自由な想いを尊重して運営しています。
Copyright(C) 2005-2015 Bridge for Peace All rights reserved.

| main | What is BRIDGE FOR PEACE ? >>
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 6月のインタビュー
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY:
CATEGORY:

TAG:
DATE: 07/10/2005 00:20:39
-----
BODY:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
インタビュー(抜粋)
  G.Sさん(男性90歳/憲兵隊を経て捕虜に)
  Y.Mさん(男性83歳/マニラ航空廠。山中で終戦)
  H.Nさん(男性83歳/戦闘部隊所属)
  K.Iさん(男性78歳/報道部、転進〔注〕が続いた後終戦)
  〔注:山岳地帯での持久戦〕          
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●G.Sさん(男性90歳/憲兵隊を経て捕虜に)
大正3年生まれのGさんは、これまで私が出会ってきた中でも最高齢。
会話がままならないかもしれない、というご家族の心配をよそにぜひ
お目にかかりたいとお願いしたのは、一度戦犯として死刑判決を受け
た方が、どのような想いで戦争を捉えているか知りたかったから
(Gさんは終戦8年後、特赦により昭和28年帰国)。
新宿から朝早いバスに乗り込んで長野へ。向かったご自宅では、すで
に玄関前で背広姿のGさんが待っていてくださいました。
憲兵隊としての当時の仕事は、現地フィリピン人の集会をとりしまる
ことや捕虜から米軍の様子を聞きだすなど。このことが理由で終戦後
捕虜として刑務所に拘置され、絞首刑を宣告されていました。
「『正義の戦(いくさ)』とかなんとか言ったって、悲惨で悪いこと
をするのが当たり前。 為政者は正当性を主張するけど、果たしてそん
な戦争はあるのか。戦争はみんな悪いよ」。
戦友が処刑されたGさんは、年賀状に「おめでとう」という言葉は絶対
に入れないとのこと。そのことを話すGさんの表情が心に残りました。

●Y.Mさん(男性83歳/マニラ航空廠。山中で終戦)
初年兵として、戦争が終わる直前に召集されたYさん。
「日本軍は自由を履き違えてきた。お国のためなら何を言われても
したがってやらないかん、という気持ちもあり、そういう教育に共鳴し、
したがって生きてきちゃったような気がする。」
終戦後1年半過ごした米軍の捕虜収容所での生活が、Yさんの価値観を
がらっと変えさせたと言います。そのきっかけとなった3名の米軍人の
名前「レイモンド、ホースフン、ケニース」を懐かしそうに話してく
ださいました。お話を聞かせてくださったお礼に、収容所の名前から
何とかしてその方たちを探し出せないか、と思っています。
短い戦争体験だったと語るYさんでしたが、頂いた直筆の資料には、
想いがたくさん詰まっていました。そこに書いてあった一節。
「日本が掲げる大東亜共栄圏の思想は、比島の民衆にとって全く迷惑な
ものであること、日本軍は侵略者にほかならない。日本は平和であった
比島へ勝手に土足で侵入したのです」

●H.Nさん(男性83歳/戦闘部隊所属)
「家族以外には話せない。来てもらっても話すことはない。」
受話器の向こうでそう言い放つHさんに、最初はうろたえつつも、でも
引き下がれない何かを感じました。何度か電話やお手紙をやりとりする
うち、少しずつ信頼していただけるようになり、迎えた訪問日。戦闘部
隊出身とのことでどんな方だろうか…と不安を抱えながら向かったご自
宅で、たくさんの資料を用意して待ってくださっていたHさん。帰る頃
には孫のようによくしていただき、帰りの電車の心配や私の結婚の心配
までしてくださいました。
ご自身が20代前半ですさまじい経験をしたことと対比させ、今の若者を
厳しく批判。「人生大変なことばっかりだったよ」とため息混じりに、
はにかんだ笑顔を見せてくださいました。
「話したくないからこれ読んで」、と手渡されたたくさんの資料。
その重みをかみ締めながら、現在読み進めています。

●K.Iさん(78歳/報道部、転進が続いた後終戦)
「山奥の百姓が、遠い、広い世界にあこがれるように、戦争には若者の
夢がありましたよね」と語り始めたKさん。戦争の痛みが忘れ去られると
戦争の好きな人が出てくる、と危惧して1989年から戦争に反対する組織
にも所属しています。
「戦争が終わった直後は、たましいを抜かれたような感じでした」と言
うKさんの戦場での体験のほとんどは、「転進」という、いわゆる山奥を
当てもなくさまよう日本軍の持久戦でした。春菊だけをひたすら食べて
しのいだ話や、現地フィリピン人から食料を奪った話。
「正義の戦争なんて原理としてはない」。そう断言し、お金万能の世の
中で、本当に幸せなのかと現代社会を批判する目も、当時の体験に裏付
けられた重みのあるメッセージとして受けとめました。
-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://blog.bridgeforpeace.jp/trackback/1121695
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
LINKS
RECOMMEND
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点 (JUGEMレビュー »)

BFPとしても2章書かせて頂いています。ご覧頂けると嬉しいです。
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
PROFILE