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K.Nさん(16師団・野砲兵・伍長)
「終戦直後に米軍の捕虜収容所で体重を量ったら、26kgでした」
と何とも言えぬ苦笑いをしながら、教えてくださったK.Nさん。

部隊がほぼ壊滅状態となってからは、3人で行動を共にし、生きるために食料を探しながらの逃避生活をしていました。夜寝る時に、もうこのまま意識が戻らないのではと何度も考えたそうです。そして、朝目覚めた時は「嬉しい!」それに尽きると本当に嬉しそうに話してくださいました。

自給自足になってから、アブラムシが身体中についた兵隊に遭遇した時のこと。
「兵隊さん、何か食べるものをください」
と半泣きで訴えてくるその人に、手元にあった野菜を少し分けてあげました。それと引換えに、その人がかけていた眼鏡を奪ったそうです。泣きながら持っていかないように懇願されましたが、自分の眼鏡の片目が壊れていたのでやむを得なかったと当時を振り返ります。その話を聞いて、
「生きて帰った人で悪いことをしたない人はいない」
私は、以前聞いた元兵士の言葉を思い出さずにはいられませんでした。

また、ある時は共に行動していた2人が
「糧秣を取りに行く」
と行っていなくなり、
(もうほかされた)と思ったそうです。
*注:ほかす=捨てる
戻ってきた2人にイモ畑があると連れて行かれ、その場所に着いた途端30名ほどの米軍に囲まれ、捕虜になりました。その2人が仕組んだものか、偶然だったのかは未だに分からないとのことでした。収容所に入ると1人1週間で突然亡くなり、もう1人は会っても知らん顔を決め込むようになったといいます。

その後に聞いた捕虜生活では、他の兵士の方もよく口にされるように「米軍のすごさ」を度々感じたそうです。収容所で死んだ日本人兵士の墓地を作ってくれていたことには、本当に感激したようです。そういう指摘を聞く度に、日本は戦時中にいかに世界の常識とずれていたかを感じさせられます。

最後にフィリピンの方々へのメッセージを聞いてみると、興味深いエピソードを話してくださいました。
「スペインは教会、アメリカは道路や学校を作ってくれた。日本人は何してくれる?」と、まだ戦況が悪化する前にフィリピン人から問いかけられ困ったことがあったそうです。前線にいた日本兵が、彼らとの関係に戸惑う様子が伺える一方、終戦後に石を当てられたから「嫌い」という感情があるなど、その時々の状況で判断せざるを得なかった日本兵の素顔を垣間見た気がしました。

そして最後に、大きなメッセージを頂きました。
「戦争はやったらいかん。みんな犠牲者になる。
少し前は、戦争がまたあったらやり返すと思っていたけれど、
今、この年になるとそうは思わない」
| 取材-フィリピン戦 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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