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母校の先輩から届いたレポート

昨年は、初めて母校での上映が実現できた年でした。また、BFPが5周年を迎えたられたということで、その「感謝」を多くの方々にお伝えしたいと8月、9月、11月に感謝祭と称してそれぞれイベントを開催させて頂きました。

9月の会には、恩師であり、私をフィリピンに初めて連れて行ってくださった青山学院大学の現名誉教授である雨宮剛先生をお招きし、初の講演会を開催することができました。そして、その会場に大先輩にあたる方が来てくださっていたのです!

そして、当日の様子を毎年同窓会が開催されるという同大学のフランス文化研究部OB、OGの文集に書いてくださったというのです。とても有難く、感激致しました。許可を得て、転載させて頂きます。近藤さん、本当にありがとうございました。



<BRIGE FOR PEACE> が伝えるフィリピンと日本を結ぶメッセージ  
   

                                              近藤 周子

2009年9月12日、広尾の“JICA地球ひろば“で行われた、「BRIGE FOR PEACE」(略称BFP)主催の戦争体験を聞く集会「知る・わかち合う・ アジアと共に生きていく」に出席した。印象に残る集会だったので、紹介してみたい。


 1991年、青学後輩のOG中野穂積さんが、タイ山岳民族の子どもたちへの教育支援の活動として、子どもたちが学ぶための「リス生徒寮」・「暁の家」を建てた。彼女の活動を知ったのは、今から15年以上前にもなるだろうか、フラ研の山田さんがスペインへ移住(!)する壮行会の折、内藤先生からお聞きしたのが最初だったように思う。そのとき「エッ? 青学出身の女性が・・・?」という信じがたい思いと同時に、好奇心もあって穂積さんの名前から取った「ほづみ会青山」に入会した。そしてその「ニュースレター」によって様々な活動を知るようになった。ほづみ会はやがて99年に「ふれんどしっぷASIA」となり、05年にはNPOとして活動を広げた。私は2000年末脳内出血を発症したため、活動には参加できなくなったが、03年5月に、この会がフィリピンの車いす楽団ROWを招き、25周年来日コンサートを開いたときには、私も連れあいに同行してもらって、上智大のカテドラルまで車いすで出かけた。その会場で、内藤先生にも久しぶりにお会いできたのだった。ROWの演奏は元気で、陽気な雰囲気で楽しかった。実はこの「ふれんどしっぷASIA」は、雨宮元青学教授が実施していた「フィリピン・タイ体験学習」がきっかけだったという。


私たちが参加したこの日のBFPの戦争体験を聞く会で、その雨宮剛先生から、直接こうした活動につながる貴重な、誠実なお話を聞くことができた。


先生は昭和9年に「耶蘇一家」に生まれたそうである。高2の夏、国際キリスト教ワークキャンプに参加したことが原体験だった。そこでのフィリピン青年との出会いから日本軍の残虐行為を知って衝撃をうけ、戦争認識の中に「加害者の視点」が芽生え、フィリピンと戦争にこだわり続けることのなった、と淡々と語った。この「こだわり」が、57年青学を卒業後、アメリカに留学し、母校に戻った80年代後半から青山学院大生を対象に、戦争責任と国際協力をテーマとする「フィリピン・タイ体験学習」へと発展させたという。資料によれば、この体験学習は1988年から2002年まで16回、延べ100人を超える学生たち(他大学生も含む)が参加している。


この日は、体験学習に参加した学生たちの現地におけるビデオも観ることができた。成田を出発する時の学生たちの緊張と興奮の様子。帰国したときの学生たちの、しんどかったが一種の達成感を得た姿がビデオの中ですべてを物語っていた。彼らはかつて日本軍によって家や家財を失い、夫や子どもを失った人々と会ってきたのだった。今、BFP代表の神直子さん(2000年卒)が現地でブランドに身を包んだ同じ日本の若者たちのはしゃぐのを目にして、ひとりその場を離れて、遠くに目を移している映像の中の姿が忘れられない。この「フィリピン・タイ体験学習」に参加した学生の手で「BRIGE FOR PEACE」は2004年に生まれたのである。この日、はじめてお会いした彼女が生き生きと司会をしている姿を見て、私は嬉しくなった。


今、BFPを動かしているのはこうした若い後輩たちである。集会でも連絡でもその積極的な対応に、そして歴史を引き継ごうとする彼らの意志に感動した。この日の集会は、そうした若者だけでなく、かつての日本兵だった方たちも出席し、その思いと願いをしっかりと語り、話し合っていた。戦争は被害者、加害者の双方の悲劇であることが証言されたのである。戦争体験者たちはすでに80代を超えている。生の声が聴ける時間は残り少ない。私も連れあいもこのような集いに連なったことの意義をかみしめたのである。


BFPは、元日本兵やフィリピンの人々のビデオメッセージを作り、上映会を大学や各種団体等で行っているという。もちろんフィリッピンにおいても。この文がBFP活動への関心につながれば、と願う。

 

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