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M.Oさん(85歳・従軍看護婦)
 兵士の方の体験をこれまで伺ってきましたが、従軍看護婦の方からの話を聞く機会はあまりありませんでした。お邪魔した兵士の方のお宅で、奥様が元看護婦だったと伺ったことはありましたが、
「話したくない」そう悲しそうな表情で断られたこともありました。

今回、Oさんとの縁を繋いでくださったのは、札幌在住の会員の方でした。
人からの紹介ということもあって、Oさんは突然お電話した私の依頼をすぐに受けてくださいました。
そうは言っても、戦争体験を話し始めたのはほんの5、6年前からとのこと。「真実を伝えるべき」と思うようになり、語り部を始めたそうです。現在は、NPO法人戦争を語り継ぐ会に関わり、地域でも色々な機会でお話をされているようでした。



「神の国で負けることはない」
「情勢が不利になっても必ず援軍が来てくれる」

そう思いながら、1945年9月末に山への転進を始めたそうです。

凄まじい話ばかりでした。
戦地で負傷した兵隊が次から次に運ばれてくる通称「竹やぶ病院」では、病人の身体は膿でいっぱい。それでも、薬や包帯も不足していたので、“うじ療法”なるものが考案されていたそうです。うじが膿を食べてくれるので、あえて“うじ”を病人の身体に這わせるというもの。
その他、病死した兵隊を処理した翌日、野犬が食べていたのを見つけたり。
状況がさらに酷くなると、血管に空気をいれて“処置”したこともあったと話してくださいました。

「地獄ですよ、地獄」

在留邦人と一緒に山の中を逃げ惑うことになったOさん達でしたが、母親が撃たれて亡くなった側で子どもが助けを求めても、誰も助けることができなかったそうです。自分たちのことだけで精一杯だったとのこと。食べることしか考えられなくなり、爆薬の破片が羊羹に見え、皆で一生懸命拾って食べたこともあったそうです。兵隊に「それは食べものではないぞ」と注意され、ようやく我に返った事もあったとか。

戦争の悲惨な側面。
BFPとしても、さらに伝えていきたいと改めて思いました。
| 取材-女性から見た戦争 | 16:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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