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【取材報告】坂倉清さん(報告:大学生・畑江奈つ希)
8月3日、千葉県にお住まいの元日本兵の方の取材に同行させていただきました。そのご報告をしたいと思います。

(※「●戦後一番よく思い出すこと」のなかで、内容に2点ほど誤りがありましたので、誤字と共に訂正させていただきました。失礼致しました。(8月15日))


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坂倉清さん
1920年 千葉県生まれ
農家の長男として誕生

●刺突訓練
入隊直後、度胸試しのために刺突訓練をやらされた。一回もやっていないが、見る側にいた。30分間の訓練で、20人くらいで1人の中国人を突いた。「(銃剣で)突いたらすぐねじって抜け」などと教えられた。人間の形に見えなくなるほどまでやった。

●中国へ
五ヶ月の訓練を経て、中国山東省泰案に渡った。歩兵砲教育隊に編入された。それから5年間中国にいた。
・初めて人を打ったとき、敵だと思って打ったその相手は農民の主婦で、「戦果にならない」と思った。するとその女の赤ん坊らしき子がはって出てきてこちらをみてにこっと笑った。不気味だった。その赤ん坊の笑った顔が今も目に浮かぶ。
・小銃など隠していないか、農民に水責め拷問をした。農民を寝かせてロープでしばり、水を飲ませながら銃のありかを教えるよう迫った。しだいに農民の腹が飲ませた水で膨らんでいったので、足で踏んではかせて、また飲ませる・・・ということを繰り返した。そのうち吐く水に血が混じり始めた。30分くらい続けた後、水をやめて焼酎を飲ませた。また30分くらい同じことをした。すると「ある」といい始めたのでふらふらになった農民をかかえて歩いていくと、その農民は倒れて、そのまま動かなくなってしまった。たぶん死んでしまったのだろう。そのまま引き返した。
今度は村長を木につるして拷問した。「言わなきゃこの村長の首を切る」といって農民を脅した。でも、農民たちは「ない」といい続けたので、村長の首を切った。ものすごい量の血が首からふきだした。

●集団拷問について
集団拷問は、一番の罪だと思っている。しかし、やっている時は「早く言ってくれ」という気持ち。情報が入れば功績になって出世できるからだ。「かわいそう」とか、人間的な気持ちは全然ない。

●戦後一番思い出すこと
拷問したこと。見る側であったことが非常に多かったが・・・
先輩が目の前で、農民の頭を桑で殴って殺してしまった。自分も何かしなくては、と思い、その死体を彫った穴の中に蹴落として、知らぬ顔して帰った。ろうそくで背や足に火をつけるような拷問も見た。

●中国の人に伝えたいこと
拷問したところに行って、謝りたい。やってしまったことを全部告白して、謝りたい。

●戦後世代に伝えたいこと
戦争はいいことがない。兵隊だって死ぬ。やられるし、かつ殺さなくてはいけない。
強盗や拷問はみじめなものだ。「正義の戦争」「不正義の戦争」・・そんなものはない。戦争をやって良いことは何もない。

●「(体験を)話す」ということについて
つぐないの気持ち。人の命を奪ったのだから、命を懸けて守らなきゃいけない。話すことで、平和になれば良いと思う。
でも、話して楽になりきる、ということはない。


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とても貴重なお話をしていただけたことに心底ありがたいと思うと同時に、坂倉さんはじめ多くの元日本兵の方たちの共通の思いであろう「償いの気持ち」「戦争はダメだ」という気持ちを、聞いた私は責任を持って周囲の人や後の世代の子どもたちに伝えていかなくてはならない、と改めて思いました。

しかし正直なことを言ってしまうと、お話を聞いている最中はそのような思いはなく、なんと言うか、ただただ無念さ、悲しみ、憤り、・・・気持ちが真っ暗になってしまって、ずしんと重いものが心に乗っているような、そんな心境でした。坂倉さんの当時を一生懸命想像する自分と、その想像した映像をかき消したい自分が混在していて、私の脳内では葛藤がおきていました。

坂倉さんの「話して楽になりきるということはない」という言葉にとても心が痛みました。お話の中に出てきた中国の農村の人たちも、目の前にいらっしゃる坂倉さんも、同じ「戦争の犠牲者」なのだと。そしてその傷を坂倉さんはこの先も一生背負っていくのだと、そう思うと、戦争というものは終わらないものなのかもしれない、とも思いました。でも、敵対感情は終わらせなくてはならないし、ましてまた新たに始めることなどがあってはいけない。だからこそ、私たち若い世代が証言をもとに事実をつたえ、共有していかなくてはならないのだと思います。

思うことはたくさんありますが、とても長くなってしまったので、これで報告を終わります。
以上です。

畑江奈つ希
| 取材-中国戦 | 23:17 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
横内則之様、まずは前回のコメントでお名前を間違えて書いてしまっておりましたこと、お詫び申し上げます。今気付きました。本当に申し訳ありません。

本もぜひ拝読させて頂きたいと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。
| BFP事務局 | 2013/10/02 6:07 PM |
ご連絡ありがとうございました。コメントが来ているのを知らず、お礼を言うのが遅くなりました。
坂倉さんが亡くなっていたとは、誠に残念です。ご存命中にお聞きしたいことがたくさんありました。私は、「学校で習わない日本の近代史」を出しておりますが、その補足・肉付けのために、旧軍人の方のお話を聞いています。また、良い機会があれば教えてください。
| 横内則之 | 2013/10/02 8:37 AM |
横山様、コメントをありがとうございました。
ぜひご紹介をと思い確認させて頂いたところ、私どもも知らなかったのですが、昨年11月に他界されてしまったとのことです。残念でなりません。その想いをしっかりと受け継いでいけたらと気持ちを新たにしております。

お問い合わせ頂きまして、ありがとうございました。
| BFP事務局 | 2013/07/18 8:34 PM |
レポートを興味深く読ませていただきました。
2008年に、ピースボートの『地球一周の船旅』に参加したときに、坂倉さんの三光のお話を聞いたことがあります。最近、東京に引っ越してきたので、出来れば坂倉さんのお話を直にお聞きたいと思いますが、連絡の方法を教えていただけませんでしょうか。
| 横内則之 | 2013/07/14 1:53 PM |
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