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2/10取材報告【在フィリピン日本軍司令部勤務 Oさん】

〜「楽しかった」フィリピンの昭和18年〜



 210日、千葉県船橋市在住のOさん(女性、86歳)の取材に行ってきました。O さんは、元日本兵ではありませんが、戦中にフィリピンに渡った経験を持っています。 取材に伺ったのは、神直子、斎藤由美子、畑江奈つ希、益田美樹の4人です(敬称略)。

 

Oさんは学校卒業直後の昭和18年春、在フィリピン日本軍司令部の筆生(ひつせい: 現在の事務職のこと)として当地に赴任、一年後の19年春に日本に戻られました。現地では、日本ではまだ珍しかった電気冷蔵庫を使うなど快適で豊かな生活を送っていたそうです。また、戦況については全く知らされてなかったとのこと。現地の方たちとの関係も良好だったそうで、フィリピンでの日々について、屈託なく「楽しかった」と言って振り返られました。しかし、渡航中に慰安婦と思われる女性の姿を見たことなど、話の節々に戦争の暗い影も垣間見られました。

 

私にとって、在フィリピン日本軍司令部に当時勤務されていた方のお話を伺うのは初めてでした。そのため、お話の中では発見が多かったのですが、中でも「楽しかった」という言葉を何度も使われたことが印象的でした。戦時中の証言を拾い集めるなかで、こうした表現に出会うのは珍しいことではないかと思います。しかし、Oさんのように物資面で恵まれ、戦況の悪化を知らされず、危険な場面にも遭遇せずに現地での任務を終えたならば、確かにその記憶は明るく彩られているのかもしれません。初めての海外、しかも、初めての社会人生活を始めた10代後半の思い出ともなればなおのこと。当時の写真(*)を拝見しながら、三者三様の戦争体験があることを思わされました。楽しかったというOさんの体験もまた一つの事実だったのです。

 

(*)フィリピンの写真館で撮ったという一枚が特に心に残りました。初めてかけたパーマの髪型も誇らしげに、現地の衣装を着てポーズを決めたハイティーンのOさん。はつらつとした笑顔に、「平和そのものだった」というフィリピン生活の雰囲気がにじみ出ているように感じました。

 

益田美樹

| 取材-女性から見た戦争 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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