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取材レポート 【中国で衛生兵として M.Mさん】
2012.03.13 Tuesday 元日本兵取材レポート  
【 M.Mさん 】 
  神奈川にお住まい、今年90歳になられるMさん。 先日のフィリピンツアーに参加された矢口さんと一緒に、 お話しを伺ってまいりました。 

 【概略】 
 1922年3月31日、福岡県柳川に生まれる。一人っ子。 20歳のときに徴兵、1943年4月10日、久留米48連隊に衛生兵として入隊。 3ケ月の歩兵訓練、6ケ月の陸軍病院での教育訓練を経て、 1944年2月、共産党八路軍との大規模な持久戦が続いていた中国山西省・盂県に送られる。 

 所属していた「かため兵団第七連隊 第4中隊」の任務は「治安維持」。 Mさんの衛生兵としての任務は、部隊と共に連行された従軍慰安婦(朝鮮の婦人)6〜7名の 性病検査の手伝い。 大本営からは物資が届かず「現地調達」を命じられる戦況の中、半年ほどで山の中の分遺隊へと 派遣され、部落の急襲を行うようになる。現地婦人を連行監禁、慰安婦としたりもした。

  終戦の日の記憶はなく、指揮系統が乱れる中、10日ほどして人づてに聞いた。 司令官によっていつの間にか中国軍下に組み入れられたまま戦い続け、1946年3月15日、帰国。 

【感想】
  衛生兵であったMさんは、 『 私を侵略戦争に突き進ましめたものは何だったのか ―「慰安婦」問題の根源にあるものー 』 というテーマで講演をされてらっしゃいます。 Mさんは絶えず、先の大戦の原因、ひいては明治以降の近代日本の思想すべては 「天皇制」だ、という強くおっしゃっていました。 天皇制国家体制の柱として、 大日本帝国憲法、教育勅語、軍人勅諭があり、「戦争をするための教育」だったと。 天皇家は問題ではない、近代天皇制が問題だと。

 ●日本はまた戦争をすると思いますか? 『ああー するでしょうね このままいけば。 僕はそう思えてならない。』 日本人が歴史を、事実を知らないことで、その風潮を最近特に感じると。 衛生兵として、従軍慰安婦の存在を目撃しているMさんは、 『この前も、40歳くらいの男性が近寄ってきて、 “従軍慰安婦なんていなかったんでしょ?”とこう聞くわけですよ、 わたしは“何を言いますか、おりますよ、私が生き証人ですよ”と言いましたけれども。 こんなバカなことがありますか? このような、それそのものがなかった、と言いだす輩が出てきている』 と憤っていらっしゃいました。 『私のいた第七部隊だけで6〜7名の“慰安婦”がいましたよ。 各部隊の、、と掛け算しますと、それだけで7×6名=42名でしょ? それがアジア中の日本軍全体なわけですよ、、、』 挺身隊としての強制徴収で、朝鮮半島から連れてこられた婦人たちに加えて、 現地の兵隊は現地で部落を襲うごとに「ユウ ハオ クーニャン(娘はおらんか)!」と叫んだとのこと。 『部落急襲なんて、結局はドロボウ、あわよくば強かんですよ、 中国の人は日本軍に対して面従腹背でしたね』

 ●現地の中国の方へのメッセージ 『それはねぇ、、、それはもう、、、、謝るしかない』 とそれ以外にないという表情でおっしゃっていました。 『今も、一緒に行きませんかちゅうてよく誘われますけれども、 いやぁ・・・私はもう中国の土地は踏めないわ、ちゅうて。。。 だって、中国の人たち何にもしてないのにこっちが勝手に攻め込んでいったんですよ? 勝手にひどい目に合わせて。。。』

 ●3年間の軍隊生活で一番印象に残っているエピソードは? 『岩手から来た3人の通信兵が  “やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに”と唄っていたこと。 泣いてはいなかったとは思いますが、仲間のやることの情けなさに、泣きたいような気持ち だったのでは?と思いましたね。。。』

 ●Mさんにとって、先の戦争とは何ですか? 『根源は天皇制だ、ということでしょうね』 

 ●戦後世代へのメッセージ 『とにかく、とにかく日本近代史をしっかり勉強してください!!!』 『僕は、歴史の授業は近代からはじめて、昔にさかのぼっていけばいいと思う。 若い人たちは明治以降のことを知らなさすぎる。』 『戦争体験なんてね、やられた方はそりゃ話しますよ。でもやったことは。。。 私は、私の恥をさらしてまわるのが使命だと思っとります。 それで少しでも若いひとたちに、昔の日本の姿を知ってもらいたい』 と。

 ●もし今また、(出征したころの)20歳の自分であるなら、どうしますか? 『 行かない。 』 『 行かんちゅうたら、牢屋に入れられていじめられて死んでしまうかもしれませんがね、、、   その方がマシだったような気がします 』 以上です。 なお今回取材するにあたって、今まで漠然とイメージでとらえていた “従軍慰安婦”について学びましたが、これほど組織的に 大規模に行われた性犯罪だったとは、、、 どんな戦場でも必ず性暴力は存在しますが、日本の場合、 軍が組織的に行ったという点が、 世界的・歴史的に見ても異質だと思います。 日本軍は、作戦を展開したあらゆるところで軍公認の『慰安所』をつくり、 植民地だった朝鮮や台湾、進駐先の中国、インドネシア、フィリピンの女性 のほか、将校の相手となる日本女性を連行。 時に騙され、時に無理やり連行された女性たちは、慰安婦として、慰安所で 犯され続け、日本兵のストレスを解消し、戦意を高めるための道具にされました。 慰安所のない場所では、強かん所をつくります。 掃討に出て、少女を含む女性たちを拉致し、拠点に監禁して輪かんを繰り返す場所のことです。 そこでの暴力は凄惨をきわめ、死亡したり自死したりすることも多く、戻っても子供が産めない からだになっていたり、家族や親類から冷たくされたり、PTSDに悩まされたり、と 生涯消えない心身の傷。。。 改めて、日本軍がアジア全域の女性に遺した爪痕に愕然とすると同時に、 全日本人、特に女性は知るべきだと感じました。 H.MATSUMOTO
| 中国訪問レポート | 02:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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