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10月2日取材報告【海軍特別少年兵・井上理二さん】

こんにちは。取材チーム畑江奈つ希です。
 10月2日に斉藤由美子さんと取材に行って参りましたので、そのご報告をします。

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井上理二さん(清瀬在住・85歳) 
1927年2月28日 島根県生まれ 
6人家族 (父・母・姉2人・兄1人(鉄道員)) 

●15歳で(海軍)特年兵に志願 
(特年兵・・特別年少兵。)
 当時、日本は既に戦争一色だった。男性の出世は兵士になること、という風潮で、軍人になることは憧れでもあった。志願したころはまだ子どもであったため、「国家の御為」とか「天皇の御為」という気持ではなかった。実家は貧乏で、どうせいつか戦争に行くのなら2年でも3年でも早く行こうと思っていた。母は「男の子はそのくらいのことをしないと。田舎にいても仕方がない」と言っていたが、内心行ってほしくないと思っていたと思う。徴兵されることが決まった時は嬉しいような怖いような、複雑な気持ちだった。 特年兵に選ばれるのは村で1人ずつくらいの割合だった。

 ●訓練 
当時訓練は2年間と決められていたが、(大竹海兵団で)実際に訓練を受けたのは一年ほど。 「罰直」といって、私的制裁がひどく厳しく行われた。14~16歳でせみの鳴き声をさせられたり、袋に入れられて蜂の巣の前に置かれたり、角材で倒れるまで殴られたりした。 その後、専門的なことを勉強するために横須賀へ行き、海軍航海学校に4ヵ月〜半年いた。一クラスには7人くらい、学校全体で30人くらいいた。 (自分の担当は操舵員だった)

 ●駆逐艦「磯風」
‣マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦 学校をでてすぐに駆逐艦「磯風」に乗艦した。船は約120mと大きいもので、1943年12月(17歳)から約2年間乗っていた。 
‣初めて乗った時の心境・・自分の心がわからないようになっていた。恐ろしさ、務まるだろうかという不安はあったが、嬉しいとかではなかった。ミッドウェー海戦でまさかあれほど大敗するとは思っていなかった。アメリカを敵視し、巻き返そうと意気込んでいた。勝つことだけを考えていた。 
‣食事や水は粗末なものだった、栄養などほとんどなく、カンパンやくさい水を摂っていた。だけど、忙しかったからおなかはあまりすかなかった。 ‣いい勲章をもらいたかったし、いい出世をしたかった。だから辞めたいとは思わなかった。終わったらいい嫁さんがくるんじゃないか、とか考えていた。 
‣レイテ沖海戦で「大和」を護衛していた。しかし、集中攻撃をうけ、護衛していた磯風も攻撃された。そのうち船は航行不能になった。4時間くらい漂流して、別の駆逐艦「雪風」に救助された。 その後、大竹に戻り、終戦まで教員をした。特攻に行く生徒を訓練した。 

●終戦
 広島に原爆が落ちた時、遠くが光ったので分かった。訓練に行こうとしていた時だった。しかし当時は日本の新爆弾の実験というデマが流れた。その後、終戦。玉音放送が流れたとき、訓練中だった。放送に聞き入ったがガーガーという雑音でよく聞こえなかった、しかし、ポツダム宣言受託だということはなんとなくわかった。絶対に負けたくないという気持ちはあったけれど、日本が不利な状況に置かれていることはなんとなく感じていたからだと思う。米軍が来る、と思うと不安だった。

 ●戦後世代に伝えたいこと 
‣侵略戦争はしてはいけない、だけど自国の軍隊を持たなくてはと思う。 
‣最近テレビをつけていると、お笑い番組をよく見かける。そういう番組を見ていると、死んだやつがかわいそう、一体(あの戦争は)何だったんだろうと思ってしまう。そして、3.11であんなに大変なことになって、今も辛い思いをしている人がたくさんいるのに、おかしいなと思う。自分の国の政治のことなど、もっと考えなければいけないと思う。


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井上さんは本を何冊かお書きになられていて、ご自身の貴重な体験をたくさん残されています。NHKの取材も受けれらたことがあるようで、その時の証言が「NHK 戦争証言アーカイブス(http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100771_00000)」で見られます(一部はテレビ放送されたようです)。
BFPとはまた少し違った視点からの取材ですので、お時間のある方は見ていただくと井上さんのご経験がよりよく分かると思います。

 井上さんは、私たちをご自宅から最寄りの駅まで車で送り迎えしてくださるという、何とも親切でお元気な方でした。この日のために、著書や新聞記事、写真やノートにまとめたたくさんのメモを用意してくださっていました。取材時間は3時間以上にもなりました。井上さんの「残したい」という想いをとても強く感じ、若い世代の人間としての義務感というか、そのお気持ちをしっかり受け取って、貴重な体験をできるだけ広く知らせなくては、という気持ちになりました。
同時に、戦争は巻き込んだ人々の中から一生消えないものだということもまた強く感じました。井上さんは15歳になって間もなく戦争の世界に入られています。多感な時期を戦争のさ中ですごしたことは、語り方や表情に表れていました。「今の社会を見ているとあの戦争はなんだったんだろうと思ってしまう」、というような発言がとても印象に残っています。井上さんの中にはきっと「なんだったんだ」という想いがずっとずっとあるんだろうな、と思いました。今の日本社会をみていると、なおさらそう思えてくるのでしょうか・・今日本の政界は揺れに揺れて?いますが、こんなときこそ、批判だけでなく市民がしっかり社会のことを考え、守っていきたいですね。
 以上です。

| 取材-少年兵 | 21:56 | comments(0) | trackbacks(2) | pookmark |
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