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元日本兵取材報告 中国戦
取材日812日 取材場所:仙台

 太平洋戦争末期の19441月から終戦までを、初年兵として中国の戦地で送ったHさん90歳)を取材しました。


 小雨がぱらつく中、仙台駅から市営バスで約45分走ったところにある老人ホームを訪ねました。


 Hさんは、6畳くらいの個人部屋で暮らしており、部屋の隅には戦争関連の文献が積まれていました。


 1923(大正20)年8月に宮城県岩沼で生まれたHさんは、青年期を東京都神田で理髪師として生活していました。すると、20歳になった昭和18 年1128日に、召集令状が届いたといいます。陸軍仙台22部隊つつじヶ丘4連隊に入隊しました。約2週間の訓練を経て、下関から船で上海を経由、昭和19年の正月ごろに南京に上陸したそうです。


 南京上陸後は、第13師団第一野戦病院(鏡)第6815部隊に入隊し、10日ほど歩いて荊門(ケイモン)まで移動しました。そこで、3ヶ月間の基本教育を受けました。内容は、三八式歩兵銃を担いでの移動や衛生管理だったそうです。訓練を終えたHさんは、荊門の野戦病院で兵站業務に就きました。


 昭和194月に入り、Hさんは湘桂(ショウケイ)(別称、南支一号)作戦に衛生兵として加わります。新溝(シンコウ)、漢口(ハンカオ)、武昌(ブショウ)を経由し、管渡市(カントシ)にたどり着きました。


 途中の武昌で初めて銃声と砲撃音を聞きました。とうとう戦地にやってきたと実感し、恐怖を覚えました。


 移動したのは、兵士だけではなく、馬も含まれていました。兵士が飲む水もままならない状況でしたが、上官はHさんたち初年兵に向かって、「お前たちは馬のあとから水を飲め。兵士は一銭五輪だが、馬は三百円もする。お前たちは死んでも構わん」と言いつけました。Hさんは今でもその屈辱を覚えています。


 管渡市に到着したHさんは、現地の住民宅からの徴発を命じられました。Hさんは、「徴発なんてものは窃盗ですよ。当時の日本人は、中国人のことをチャンコロと呼び、同じ人間と思っていなかった」「日本軍は中国人の女性を拉致して、日本軍の荷物を運ばせたりしていました」と振り返りました。


 「飯盒炊爨(はんごうすいはん)で燃やす資材は、徴発で行った中国人の家具を壊して、それを燃やして炊飯の燃料にしていました。戦争というのは、自分が生きるために何でもやることなんですよ」と続けました。


 昭和197月からは、衝陽(コウヨウ)作戦に参加しました。そこで開設された野戦病院で、経理業務をHさんは担当しました。病院には、食料がなく栄養失調で運ばれる兵士がたくさんいたそうです。その中に、Hさんの小学校時代の同級生も混じっていました。その同級生は、痩せこけて、青白い顔をしていたといいます。病院で療養した後、また戦地に送られたその同級生は、約二ヶ月後に亡くなられたそうです。Hさんは「おそらく餓死だったと思うが、それでも戦死になってしまう。ただ食い物がなくて死んだだけなのに・・・」と憤りました。


 終戦は、来陽(キオウ、貴陽?)で迎えました。3日遅れの818日に、部隊長が終戦の詔書を読み上げました。それを聞き、周りは泣く人、喜ぶ人、それぞれだったそうです。Hさんは、「バンザイ」と叫びました。これでようやく母の元に帰ることができると思いました


 インタビューも終盤になり、「海外で上映するのですが、何かメッセージはありますか」と聞くと、


 「軍の命令といえど、ただただ申し訳ない思いです。・・・中国人の家の壁に黒い文字で、リーベン・クイズと書かれていたことがありました。意味は、日本の鬼です。当時の日本軍はまさに鬼でした」

 「今の若い人には、戦争は、ただの人と人との殺し合いなんだということを知ってほしい。そこに潜む悪を理解してほしいです」


このようにHさんは締めくくりました。


篠塚辰徳

| 元日本兵インタビュー&交流 | 16:21 | comments(0) | - | pookmark |
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