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「『いつか来た道』を再び辿らないために、今できること!」報告
 11月30日に東京ウィメンズプラザで、元特攻隊員の岩井忠正さん(94)をお招きして、「『いつか来た道』を再び辿らないために、今できること!」というイベントを行いました。

1週間前から企画で、告知期間も短いかったですが、満員の33人の方にお越し頂き、とても有意義な会になりました。僕が岩井さんにインタビューをするという形で前半は進め、後半は、岩井さんもはいった4、5人のグループで感想や意見を交換しました。

告知文でも書きましたが、今回の選挙、僕は大きな岐路になるのではないかと思っています。岩井さんのお話を聞いて、いろんな人にとって後悔のない判断を出来るような材料になればと思い、企画をしました。

前半の岩井さんのお話を文字おこししました。
長いですが、ぜひ読んでみてください。
文章では伝わらないですが、岩井さんはユーモアのあるちょっとお茶目な話し方と力のこもった話し方をされる方です。
資料がなかったり、後ほど説明という部分がされていなかったりしますが、そのまま掲載しています。

以下
「配布資料に特攻隊の遺書についてのことがあります。そのことを初めにお話しくださいますか?」

私はね、特攻隊員だったんですよ。
それもね、2つ経験しているんです。私の年齢は94歳です。
高齢であること特攻隊員であったことで今日はお話したいと思います。
特攻隊を経験したということですが、特攻は経験していないんです。
特攻をやったわけではないです。やったら生きていないですからね。
特攻隊員を2つ経験をしているんです。訓練をですけど。
特攻隊を2つ経験しているという人は聞いたことないです。
私だけですね。その他にはいないんではないかと思います。
どういう特攻かというと図をご覧下さい。
一番上は、人間魚雷です。
真ん中は、特攻兵器の人間魚雷の回天です。
一番下は、潜水服つけてますね、これは終戦間近に急造された部隊です。
沖縄戦は決着がついた、いよいよ本土上陸という時に、敵の上陸作戦を水中から攻撃しようということで急造された部隊で伏龍といいます。海軍の経験者でも知らない人がいます。
そういう回天と伏龍という2つの特攻部隊を経験しました。
これは実に珍しいですよ。僕以外に聞いたことないですよ。
そんなに特攻が好きだったのか?なんではしごしたのか?なんてことはもちろんないですよ。
死ぬのはもちろん嫌なんだけれども、そういう風になったいきさつは後ほどご説明します。
いかに私が愚かだったかということにも触れることにもなります。

さて、特攻隊の遺書についてです。

特攻隊の遺書をどう読むかです。
特攻隊っていうのはご存知ですよね?体当たり自殺戦法のことです。
英語ではsuicide attackとも言われているようです。
特攻隊員の遺書というのが残されているらしいです。
テレビだとか新聞とかに時々引用されることがあるので、私もそういうものの存在を知っているわけですけども。
これはね、だいたい出撃の前夜に書かれて、親元に送られるんですね。
そういう種類のものなんです。
それを読むと本当に感動を呼ぶような内容なんです。
実に、美しいものです。
これをなぜ問題視するかというと、往々にしてあの戦争を美化する道具に使われるからです。
特攻隊員の遺書というものがどういうものだったのかを知って頂きたいと思っています。
私は、書きませんでしたよ、もちろん。出撃したことがないですからね。
ですが、特攻隊員の経験をしているとわかるんものがあるんです。
たいていはこういうことが書いてあるんです。
共通しているのは、先立つ不孝をお父さんお母さんに対してに詫びています。親孝行できないことを両親に詫びならがら、君国のために、お国のために、喜んで死ににいくんだから悲しまないでください。と書いてあります。
これを読んで感動を覚えない人はいますか?
感動的なものです。私自身も感動を覚えます。
だけども、もう一つ別のことに気づきます。
特攻隊員が親元に送る手紙です。
特攻隊員といえでも死にたくないんですよ。
死ぬ覚悟はしているだろうけど、本心はあくまでも死にたくない。
だけれども、そんなことは書けないです。そんなことをかいたら親元が悲しむじゃないですか?
ですから、親元をを悲しませないために喜んで死んでいくんだと書くんです。それが一つ。
それともう一つ、検閲がある。
ですから、おれは死にたくないんだけど、命令で死ににいくんだとは書けない。
その辺りのことはたいていちょっと考えれば気づことなんですがね、実はもう一つあるんです。
書いている時は、生きているんです。
人間ていうのは、生きているんです。
身体自身は生きようとして、新陳代謝を繰り返しています。
それが生きているっていうことなんです。
それはどうしたって意識に反映されます。
生きたいというのは、単なる願望じゃないんです。身体が命令しているんです。
生きようとしている人間の意識の反映なんです。
これは死を覚悟した特攻隊員だって同じなんです。
遺書を書く時は生きているでしょ。生きたいんです。死にたくないんです。
それでも明日死ななきゃならない。避けることが出来ない運命なんです。
親元だけでなく、自分自身を説得しなきゃならないんだ。
俺は明日行って死ななきゃいけないんだけど、美しい、いいことなんだよ。と。
潔く行って、命を捨てろ!ということを自分自身に説得しなければならない。
だから勇ましい言葉になっちゃうんだ。
それは、私は分かるんです。
そうでもしなきゃ死ねませんよ。
それが美しい遺書の内実なんです。
それを理解してやらなくちゃかわいそうじゃないですか。
本当は死にたくなかったんだ。最後まで。
死ななきゃならない運命を振り切って自分を説得するんだ。
俺が死ぬことは、美しいことなんだ、いいことなんだ、だから行け、と。
自己説得の努力の現れなんだ。
そこに書いてあることが勇ましければ勇ましいほど、死にたくなかったの。
そのことを理解しなければならないんだ。
これをあの戦争の美化に利用するなんてまったく許せないと思っています。
戦争というのは美しい自己犠牲の固まりなんです。
その自己犠牲、美しい犠牲に飾られた侵略戦争、これは美しいですか?
そのことに気がつく必要があると思います

「戦争とはどういうものなのでしょうか?」

戦争というものは、殺し合いです。
命をかけた殺し合いです。
大規模な組織的に行われる殺し合い、それが戦争なんです。
その時には、いろんな口実が設けられます。
民主主義を守るために、とか美しい口実が設けられます、内実は殺し合いです。
大規模な殺し合いとは言わずに、戦争といっています。
殺し合いの美化表現にすぎないと思っています。
こういうものに若い人を引っ張りだす。
軍装って、かっこいいんでしょ。ピシッとして、勇ましいし。
これでね、若い人を引っ張りだすんです。
どこの国でもそれをやっています。
私も海軍に引っぱられました。
セーラー服を着てね。
今ではセーラー服って言うのは女学生が着るものですがね。
将校になるとまたさらにかっこいい。
短剣なんかつけてね。またそれにつられるんです。
ぼくらは、20歳以上になっていたのでそれにつられることはなかったんですけどね、かっこよさで若い人をつっていますね、どこの国でも。

「戦争が起きないように、他国を牽制するための抑止力としての軍事力についてどうお考えですか?」

軍事力というのはね、敵の攻撃から自国を守る抑止力なんだ、とどこの国もでも軍隊を持っている国はいっています。
これは大きな間違いなんです。私に言わせれば。
軍事力というのは、敵から攻撃された時には、反撃するための有効な物理的手段であることは事実ですよ。そこにこそ、考えるところがあるんです。
軍事力というのは、常に相手国よりも優れていなければならないといった運命をもった存在なんです。
相手国が前提されている訳です。
相手国よりも優れていなければならない、それは相手国にとっても同じことです。
軍事力というのは、内在的な法則として自己増殖する運命をもっているものなんです。
ほっておけばどんどん際限なくなっていってしまうものなんです。
それを押しとどめる2つ要因があるんです。
一つは、経済的な要因、軍事力ばかりには使ってられない、経済的な限界があるんです。
もう一つは、反戦戦力というものがどこの国にもあるんです。戦争に反対する勢力です。
反戦勢力を無視することが出来ない、そのために軍事力の自己増殖を抑制されるんです。
軍事力は、抑止力だといわれますけど、本当に抑止力なのか。
相手国からみたら、攻撃目標だ。ということです。お互いそうなんだ。
仮の話として、中国、どんどんと軍事力をつけているとします。
危ないからそれに対抗しなければならない、ということになってしまうんです。
それも際限なくなってしまう。
さっきの2つの要因として、戦争はやらないようにしようじゃないかという話し合いも行われうるんです。
軍事力というものがある限り、自己増殖するものなんです。
というのが、軍事力というものの本質として心得ておくものなんです。
それと同時に、想定される相手国の攻撃目標になるんだ。
抑制力じゃなくて、攻撃を導入する存在でもあるんです。
軍事力というのはそういうものもあるですよ。
一面からではなく、他面も考えなければならないんです。
日本には、いっぱい軍事基地があるでしょう。
これは当然、相手国がどこであれ、その国の攻撃目標です。
それが抑止力になりますか?
攻撃の導入装置ではないでしょうか?

「少し話を、第2次世界大戦当時の日本の様子や岩井さんご自身のことに話を移したいと思います。1920年生まれの岩井さん、第2次世界大戦の開戦1941年、当時21歳、終戦1945年、当時25歳だったと思います。岩井さんの学生時代の様子をお話頂けますか?その時の日本の雰囲気はどのようにお感じでしたか?」」

私は、大連育ちでした。
当時の中学校は5年生でしたからね。
卒業してから東京にでてきて慶応を受けたんですよ。
よくね、私を滑らせてくれたと今では感謝しているんですよ。
1年間浪人をした。
その時にやったのは、それは多少の受験勉強をやったのは間違いないんですけど、大いにみて歩いたのは、映画を見て歩いたんです。
中学校時代の大連では許されなかった。映画を自由に見て歩くっていうのはね。
浪人ですからね、だれも制約されない、好き勝手に映画をみて歩いた。
お金もなかったので、安い映画館、名画館に行ったんです。どこの駅の近くにもあったんです。
渋谷にも目黒にもあった。
あちこち、はしごをしました。
名画館というのはね、古い映画を上映するところです。
封切館もあったんですよ。封切館はめったにいけなかった。高くてね。
名画館は、洋画館だったんです。
日本映画はたいてい封切館で行われていました。これは高い。めったに行けない。
安いのをとなると名画館、つまり洋画でした。
洋画は、ものの見方っていうのはね、西洋人のもののみかたででつくられているんですよ。
はは、こういうものの見方もあるんだな。と。
自分の方で今まで持っていたものではないものがあるんだよ。と気がつくんですよ。
そうするとものの見方がね、客観的にものをみようとするようになってくるんですよ。
そういう目で見ると、「今の日本、これなんだ?」と。なってくるんだね。
おかしいなと。
当時は、天皇主義の軍国主義的な教育を受けて来たから当たり前だと思っていたんですけど、嫌だなぁと思っていた気持ちはあったけど、言葉にならなかった。
中学時代に読んだ「西部戦線異常なし」という小説を読んだ。
これが本当の戦争の実相だなと思った。
俺たちの受けている軍事教育というのは、いいことばかし、日本の軍隊は負けたことがないとか。
それから少年クラブなんていう雑誌の戦記物なんて勇ましいんだよ。
しかしこれはちょっと話がウマすぎないかと疑念を思ったりもしたもんだよ。
そこに来て、「西部戦線異常なし」。
第一次大戦で、日本で言う高校生がね、戦線にあおり立てられて、軍隊に志願して、兵隊になって、戦線に送られて、戦闘に参加して、ある日あっけなく死んでしまう。
その日の西部戦線、フランス戦線のことです。
その戦線部隊から司令部への報告はね、「本日、西部戦線は平穏であって、特に報告すべき事項なし。」と報告がいっている。
死んでいるんですよ、兵隊が。
兵隊が死ぬことなんて、なんでもないことなんですよ。戦争っていうものは。

私の父親は、軍人だったんです。職業軍人なんです。日清、日露、シベリア出兵。最後は熊本の歩兵旅団長。陸軍少将だったんです。
生きて帰って来たんです。
親父、ああいう戦線にいって何をやったんだろう?
親父は、自分がいった戦争のことは全く僕らにしゃべらなかった。
しゃべりたくなかったんだかわからなかったけど。まったくしゃべらなかったね。
金鵄勲章なんてもっているんだから、奮闘したんだろうと。
親父はしゃべらなかったけれども、実際はこういうことだったんだろうなと、西部戦線異常なしで知った訳ですよ。
だからね、軍隊って言うのはどういうものかというのは、知っていたものです。
そうして、慶応にいったんです。
映画のおかげで客観的にものをみれるようになって、日本の当時の姿っていうのは、これは実に耐えられないものだったね。
民主的な要求というのは、民主的な教育によって植え付けられるものではなくて、内部的な要求としてもっているんだな。
それと反する動きなんだ、当時の世の中は。
戦争賛美の極めて極右的な論調が、新聞でも雑誌でも栄えていた。
そうじゃない言論は、禁止されていた。治安維持法によって。だから我々の目には届かない。
そういう人たちもかつていたんだけれども、根こそぎ刑務所に入れられていたんだよね。
だから民主的な言論は、まったく目にすることはできなかった。
民主主義、これ今は当たり前でしょ。我々が主人公なんだという。
当時はこれが、一番いけないことだったんだ。
国の主人公は、天皇であって、国民ではないんだ。それが日本の尊い姿なんだ。
そういう教育をずっと受けていた。
それを丸のまま信じていた人ももちろん多かったし、それに批判的なことをいったらすぐに取っ捕まっちゃうからね。
内心そう思っていた人も少なからずいたはずなんだ。
内心を打ち明け合って話をするということももちろん出来なかった。
そういう人とひそかに手をつなぎ合って、なにか民主的な運動をやろうというのもできなかった。

「それはなぜだったのでしょうか?」

法律的なことを言えば、治安維持法というのがあった。
昭和の初めにできたんだね。
それまでは、一定の収入がある、一定の税金を納めている人以外は選挙ができなかったんですよ。
それがね、普通選挙になったんですよ。それと引き換えに治安維持法というのがつくられた。
それでね、反体制的な言論というのは全くできなくなった。
そういうことをする人や、共産党は、全部引っ張られていった。
民主的な言論は、みんなアカとされてしまった。
民主主義は、アカへの導入線だという認識なんです。
民主的になるとアカになる、つまり共産主義に通じている。と思われていた。

「当時は、25歳以上の男性しか選挙権はありませんでした。選挙とかどのようにお感じでしたか?」

選挙については、まったく覚えがないんだな。
物心ついてね、選挙というものが世の中で行われていたことに一度も経験したことがないです。
行われていて、子どもだから気がつかなかったのかもしれないけど。
選挙ってなんていうのはね、学校で行われていたんだ。
級長選挙っていってね。(笑)
学校では行われていたけどね。世の中ではね、大人がやることではないと思っていたかなぁ。

「岩井さんは、今が当時と似ているように感じられています。今と当時を重ねるように伺いたいのですが、どのように似ているとお感じですか?」

安倍首相が戦後レジームからの脱却しなければいけないといっていますね。
戦後レジームから脱却しなければ今の閉塞状況から逃れられないと話されています。
今ね、今の世の中とっても満足だと考えている人はほとんどいない。
今の世の中、みんないろんな不満がありますよね。
そういった中でね、不満は戦後レジームのせいだと言われれば、そうかなとつい思っちゃう。
安倍首相のいっている戦後レジームというのは、憲法だと思うんです。
あの憲法がいけないんだ。
あの憲法のどこが一番いけないのか、日本は絶対に戦争はやらんとしているとこと。
それをなんとかしたいと思っているんではないかと思っている。

「岩井さんからみると、特定秘密保護法案はどのように捉えていますか?」

政府が国民に知らせたくないことは、知らせないということができる。
これは、だまされやすい国民になる。
これは、権力者にとってはね、望ましいことなんだ。
みんなね、反抗しない、批判しない国民になる。
そういう世の中をつくろうとしているんだなということに気づく必要がありますよ。

「岩井さんからみると、武器輸出の解禁はどのように捉えていますか?」

武器輸出によって、企業は儲けなさい。といっている。
それだけではないですよ。輸出用の兵器を作る会社は、国内用にもできるじゃないですか。
兵器産業を育てたいと思っている。
あからさまに、自国用だというとちょっとうまくないから、輸出用だといっている。
他の国に輸出するなら関係ないだろうとつい思っちゃいがちだけど、だまされないようにしないといけないよね。
国内にも使うというのが本当の目的のような気がします。

「岩井さんからみると、集団的自衛権はどのように捉えていますか?」

自衛隊というのが日本にはある。
自衛隊には、飛行機から大砲から、なにからなにまで軍艦から潜水艦もある。
戦争の道具が何から何までそろっている。
なのに、戦争をやってはいけないことになっている。
そうすると、持っているにも使い道がないじゃない。
使い道をつくろうということが目的だけではない。
日本だって戦争できるぞというようにすると外交力も高まると思っている。
日本は、俺たちは強いんだぞ、となってくれば、けんかを仕掛けてくるって思わなくなる。
相撲取りにけんかを仕掛ける人はいないでしょ。
そういう理屈で、強くなればけんかを仕掛ける人はいないでしょう、と思っているんだと思います。
私はね、逆に「槍は矛を呼ぶ」と思っています。
槍を持って威張っていると、相手はそれに負けまいとして矛を持つ。
これはね。自動的に増殖してく軍事力の内在的な法則をいっています。

「どの条文にも、『平和』『国民を守る』といった表現がありますが・・・」

国民を守るために、軍事力。
というのは、さっきもいいましたね。
軍事力は、抑止力の面がない訳ではないですよ。
ただ、他国からの軍事攻撃導入装置でもあるということに気がつく必要がある。
抑止のために軍事力というのは、本当はあたらないと思う。

「当時と比べて、今、違うことや期待できることというのはなんでしょうか?」

戦前と今はね、全く違う。
まったく条件が違う。どこいうことかというと、国民は権利を持っている。
政府に反抗する権利をもっている。
これは昔と全く違うことですよ。
そのことに気がついているか、そうでないかは、それを上手につかっているか、いないかは確かに問題ではあるんですが。
俺たちは強いんだぞって自覚する必要があるんです。
自由民主党、民主党、みんなの党・・・すでに日本は民主主義を名乗らなければ通用しなくなっているんですよ。
国民は、権力に対して、民主を押し付けることには成功していることを示しているのではないですか。
このことに自信を持つ必要があるんです。
気に入らない政府は落として、気に入る政府をつくる、権利と能力をもっているです。
そのやり方はなにかといえば、選挙です。
選挙でそういうことができることに、自信をもつと同時に、選挙というのをちゃんと使う。
今度選挙がありますね。
今度の選挙、そういう意味でも実に大事です。
日本の先行きを決める選挙になるでしょう。

「最後に伺います。当時、岩井さんは、おかしいなであったり、勝てる訳はない、と思っていたり、戦争を行う日本に対して批判的に考えておられました。そんな中で軍隊に行ったというのはどのように感じられていますか?」

その点、私は本当に恥ずかしいなと思うんです。
なにも気づいていなければ、仕方ないでしょうけどね。
うすうすですけどね、気づいていたんです。
それなのに、おとなしく引っ張られていって、訓練を受けて将校にもなっているんです。
本職ではないけれど、大学での海軍少尉だったんです。
剣なんかぶら下げてね。
敬礼なんかもされていたんです。
そんなものになったんです。
そんなことをやりながら、本心は別に持っていたんです。隠していたんです。
後から考えてみたら、その点では、偽りをやってきたんだ。
偽りは悪いことではあるけれど、それは仕方がない部分でもあったんですよ。
それが僕一人のことだったら問題ない。岩井忠正というのは馬鹿だったと勇気のないやつだった。と。いうだけの問題だったけど。
あの当時、空気で分かるんだけど、大学出身の海軍少尉、多かれ少なかれ似たような連中だったということを雰囲気でわかるんだ。
誰もそれを口に出そうとしない。
手をつないでなにかやろうということをしなかった。
私だけが愚かだったという個人的なことではなくて、社会的な厚みのあることだった。
それを今も思い出すんです。
その年代の当時学生出身の連中、その世代はね、戦争責任ありますね。
積極的な協力ではなくてもね、沈黙による協力。
なにもいわない、本心を言わない。
そういった動きに対して、沈黙をする。というのは中立ではないですよ。
ひとつの協力なんだ。
そういう動きを見たら、だまっていちゃいけないんだ。
そういう失敗を僕はしたから、そういう動きを見たら、黙ってはいないぞ、傍観者にはならないぞという覚悟をしています。

以上

鈴木佑輔

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