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戦争という「現実」に触れて(大学生S.S)
BFPの活動に参加しようと思ったきっかけは、3年前の夏休み、第二次世界大戦下におけるフィリピンを扱った大学での講義に参加したことだ。その講義を担当していらっしゃったのが神直子さんだった。講義を通して、フィリピンで日本軍による虐殺が幾つも起こっていたということを初めて知り、強い衝撃を受けた。講義を受けてから、フィリピンという国そのものにも強く興味を持ち、いつかフィリピンに行きたいと強く思うようになってきた。フィリピンの歴史を知った以上は、実際に行って確かめなければならないという責任のようなものも感じていたような気がする。

BFPには以前から入ってみたいとは思っていた。しかし、気の弱い私はなかなか決断ができなかった。大学も3年目になり、まだ何もできていない自分に焦りを感じるようになった。「何でもいい、何かしよう」と思い、長い間検討を続けてきたBFPへの活動参加を決定し、フィリピンツアーへの参加へと至ったのだった。実際にフィリピンに行って、フィリピンで起こった戦争の現実にたくさん触れてきた。フィリピンの美味しい食べ物や優しい人々と触れたりもし、歴史的な部分以外にも様々なフィリピンを感じ取ることができたが、ここでは主に歴史の部分について述べていくこととする。

大学1年の頃、レポートで第二次世界大戦下におけるフィリピンの様子について書いたが、その際当事者へのインタビューをまとめた本を参考にした。その中に、日本軍によって銃剣で殺害された上に井戸に遺体を棄てられてしまった人たちがいたことが書かれていた。1日目には実際に日本軍による被害を受けた方のご子息と会い、お話を伺った。その方の口から当時の出来事を直接聞いたことで、本の文章が実体を持って私の目の前に現れたような、そんな感覚を覚えた。本の中の出来事などではなく、本当に現実に起こったことだったのだと改めて感じた。

戦争の傷跡はフィリピンのいたるところに残されていた。2日目には多数のフィリピン人が殺害され、遺体が棄てられた井戸を見に行った。バナナの木が生い茂る場所にひっそりとその井戸はあった。井戸はコンクリートで固められてしまっており、井戸としての面影があまり見られない状態ではあったが、コンクリートの下に日本軍によって殺された多数の人々がいることを考えると、とても胸苦しい気分になった。3日目に行った教会も虐殺事件があった場所で、近くには亡くなった人の名前を刻んだ石碑と銅像が立っていた。4日目にフィリピン大学の先生と一緒に回ったAYARA MUSEUM
にはフィリピンの歴史をジオラマで再現した展示があったが、日本軍の占領とその時起こった出来事に関する展示でかなりのスペースを割いており、日本軍による占領とそこで起こった事件がフィリピンの歴史の中でいかに重たいものであったかを感じ取ることができた。

5日目はコレヒドール島での戦跡めぐりのツアーに参加した。無数の銃弾のあとが残る建物や大砲が、戦闘の激しさを物語っていた。戦争は確かに現実にあったのだということを、建物を見ているうちにも気付かされた。

ツアーの後半、日本とフィリピンとの友好と平和を願って建てられた観音像や、一人ひとりの名前を刻んだ石碑が並んでいる場所があったが、それらを見て身につまされるような思いがした。無意識のうちに、自分の親族の墓のことを思い出したのだと思う。私の親族の中にも、第二次世界大戦中に若くして亡くなった人がいるらしい。墓に刻まれた親族の名前に連なって、その人が所属していた軍隊の名前も一緒に刻まれていたことを記憶している。墓参りに行くと、戦争と今を生きる自分はしっかりと繋がっているのだと感じる。

最終日の6日目に参加させていただいたメモラーレ・マニラでの式典では、フィリピンで起きた戦争の歴史が劇で再現されたり、学生による朗読が行われたりした。
特に日本人の劇団も参加していた劇はとても印象に残っている。


フィリピンでの戦争の傷跡に触れるたび、「私には何ができるだろう?」と自問していた。悲惨な歴史と現実を受け止めることは勿論重要なことである。
しかし、知ったのならば何か行動に起こさなければならない。フィリピンで起こったことについては「知らない」という人が圧倒的に多い。私の家族も友人も、ツアーでの話をするととても驚いた顔をする。日本の教科書には、第二次世界大戦下のフィリピンで起こったことについては数行程度しか書かれていない。私は、「何も知らない」ということが一番まずいことなのではないかと(漠然とだが)考えている。誰にも知られないまま埋もれてしまうことは防がないといけないと思う。私は、まだ何も知らない人に対し、戦争と自分とのつながりについて考えるきっかけを与えられるようになりたいと考えている。

私は幼い頃から絵や物語を創作することが好きだ。ツアーから帰った後、自分ができるこことは何かを考えているうちに、絵や創作の物語で何かできないかという考えに至った。戦争文学やマンガなど、戦争をテーマにした創作物は多くある。所詮は創作に過ぎない(物語として創作するうちに虚構が混じってしまう)という批判はある。しかし、戦争について何も知らない人、何も考えたことがない人に対し、考えるきっかけを与えるツールにはなりうると私は考えている。創作や絵が好きといっても、本格的に勉強したわけではなく、あくまで趣味ではあるが、今回のフィリピンツアーで触れたことについて、絵を使って形に残せたらよいなと考えている。いつかは友人などにも見せて、フィリピンで起こったことについて考えてもらうきっかけを与えてみたい。
| フィリピン訪問レポート | 14:58 | comments(0) | - | pookmark |
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