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着実に交流が根付いているのを実感(淺川和也)
 初日は、入国後、手配の車でリパのアレックスさんのお宅をたずねしました。アレックスさんは日本軍による虐殺の遺族で、お父さまが日本兵に殺害され、井戸に投げ込まれたとの証言も映像に所収されています。ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の理解者の一人で、長年、交流を続けています。昨年、交通事故をおこし、まだ傷が顔にのこっているとのこと。海外での国際機関で勤務の後、リパに戻り、博物館の顧問もされていました。石田甚太朗さんの記録にもとづいてみずから描いた絵も展示する活動もしてこられました。BFPがおとづれるたびに、パガオの井戸に案内していただています。井戸は2つ、バナナの茂みのなかと民家のきわにあり、案内がなければ、まったくわからない状態になっています。以前より、何らかのモニュメントをつくったらよい、という話をしてきました。ずっとそのままになっていましたが、昨年はバランガイ・キャプテンとも会い、具体化する話がすすみました。そこで、BFPがクラウドファンディングにより、資金を募り、今回、アレックスさんに託すこととなりました。
 アレックスさんは体調のこともあり、やはりこの計画を担うのは難儀と話しておられましたが、若い学生も同行したこともあり、バランガイ・キャプテンを一緒に訪ねて話をすすめることになりました。
 2日目は、バランガイ事務所を訪ねました。バスケットコートと事務所を併設したようになっており、職員も数名いるようでした。相談の結果、バランガイ事務所に祈念碑を、井戸には崩壊を防ぐよう工事をすることになりました。バランガイ・キャプテンの選挙が8月にあるので、そのかねあいもあるようですが、再選をもくろんでおり、いずれにしろ、アグリーメントに署名いただきました。資金については、アレックスさんは、バランガイ・キャプテンとの共同名義で口座を開設することを望んでいましたが、結局、アレックスさんが管理することになり、アレックスさんの口座に入金してきました。アレックスさんは、前日のご自宅での打ち合わせ、バランガイの事務所での折衝、パガオの井戸、銀行と同行いただき、お疲れのようでしたが、実現への第一歩となりました。
 3日目は、バウアンにランディさんを訪ねました。2月末に虐殺があったところです。教会を案内いただきながら虐殺(爆破)事件のこともうかがいました。スペイン時代は修道院であった建物で、アメリカ統治下では学校となり、現在は大学も併設されています。ランディさんは、米国に渡るそうで、ランディさんから、今後は、ここの学校の先生を訪ねるようにと、ご紹介いただきました。その後、祈念碑を見学し、昼食後、マニラに向かいました。
 4日目は、8時にマニラをケソンシティにむけて出発しました。渋滞もなく、8時40分ごろにケソンシティにあるミリアムカレッジの平和教育センターに到着しました。ロレッタ先生は、午前の授業の準備をされていて、ハスミンさんに校内を案内していただきました。夕刻にひらかれている成人コースの模擬店がでており、食べ物やクラフト、ネールアートを学んでいる方々によるテントもありました。図書館の平和関連書籍のコーナーや、ロレッタさんの名前のついたガーデンも見せてもらい、ロレッタ先生の2時間目の講義の教室に向かいました。
 ロレッタさんからは、戦争と和解がテーマとの紹介をいただきました。現在、核兵器禁止条約について学んでおり、原子爆弾のことに触れて欲しいとのことでしたので、ヒロシマ・ナガサキのことについて提示し、美甘さんのことも紹介しました。そして、NHKワールドのBFP紹介、その後、30分の英語字幕付のフィルムを上映しました。学生さんからは、日本とフィリピンの関係について、当事者の遺族の方とどう連帯するかなど問われ、こちらからは、どのようにフィリピンでは歴史を教わっているか教えていただきたいとの質疑もしました。
 午後は、マカティにあるアラヤ・ミュージアムで高木さんと待ち合わせ、チョロスというスペイン菓子をいただきました。高木さんはマニラ在住40年になるとのことで、当初、駐在員むけの情報誌をつくったり、勉強会を続けているとのことでした。フィリピンの伝統織物や現代美術にも造詣が深く、文字通り、日本との架け橋となっておられます。
 そこにフィリピン大学マニラ校のバーナード先生がおいでになったので、高木さんと別れ、バーナードさんにアラヤ・ミュージアムを案内いただきました。ジオラマで歴史をただる展示は、わかりやすいものでした。翌日のコレヒドールへのツアーの船がでるターミナルを確認し(モールオブアジアのバイキングというレストランの隣)、バーナードさんに同行いただき、ロビンソンというショッピングモールにあるバコロド名物のチキン料理をご一緒しました。バーナードさんは日本通で、ロビンソンにあるCoCo壱番屋のカレーを毎日のように食べているとのことでした。日本からのラーメン屋やダイソー、ユニクロも入っていました。
 5日目はコレヒドール島へのツアーでした。船で1時間半ほどで到着。20人ほどづつ、9台のバスにわかれての島を見学しました。アテネオ大学の学生がたくさん参加していました。スペインによる植民地時代からアメリカ統治となり、第一次世界大戦の際には、最新技術の砲台であり、日本軍による一ヶ月にわたる爆撃で陥落したとのこと。砲台や補給敞、兵舎、将校らのための施設などの焼け跡や、コンクリートの骨組みがそのままになっていたり、日本兵が自決した塹壕を巡りました。昼食の後、展示館やトンネルでの歴史劇も見て、最後は、日本兵の慰霊の場所でした。いくつもの慰霊碑や観音像が建立されていました。シンガポールからの医師とその方の知人のフィリピン人医師と言葉を交わす機会もありました。英語でのツアーでしたので、日本からの方は少なく、お一人のみのようでした。
 マニラのターミナルに戻り、バーナードさんのUPマニラ校をたずねました。とくに学生さんとの約束はなかったのですが、タクシードライバーさんへの指示が甘く、看護学部に連れていかれたこともあり、午後6時半過ぎになり、すでに学生さんはおられませんでしたが、バーナード先生と夕食をとりました。
 6日目、メモラーレ・マニラの会場に午前8時半に到着すると、今泉監督がおられ、チトさんに伊吹さんからあずかったDVDを渡したりしているうちに、楽隊の音楽が流れ、開式となりました。リビング・ヒストリー・ソサエティという当時の状況を再現する劇や、若い学生が証言を読み上げる趣向もあり、ホセさんなど次の世代にメモラーレ・マニラの活動を引き継がれていくさまが見てとれました。献花、そしてスピーチとなり、BFPからは、金子聖奈さんがスピーチをしました。都留文科大学の内山さんや、以前、バタンガスにご一緒した毛利さんにもお会いできました。
 10年以上にわたり、BFPが交流をつづけてきていますが、今回は、パガオに祈念碑を建てるためのプロジェクトに着手するための覚え書きを交わすことができ、着実に交流が根づいているのを実感することができました。
| フィリピン訪問レポート | 17:20 | comments(0) | - | pookmark |
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