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「平和のふるさと」岡崎めぐりを開催しました!
この度、愛知県岡崎市を会員の皆さまにご案内すべく、「平和のふるさと」岡崎めぐりを開催しました!3名の方々が参加してくださり、たっぷりと岡崎の魅力を感じて頂けたのではないかなと思います。^^


まず、読者の皆様もなぜ「平和のふるさと」なの?
と疑問に感じておられることと思います。

意外と知られていないのですが、愛知県岡崎市は、平和な江戸時代を築いた徳川家康公の生誕地なのです!

他にも大きな理由が二つあります。

1.平和な未来づくりを決意したお寺があります!
桶狭間の戦いで今川軍が敗れ、武将として参戦していた家康は、故郷・岡崎の大樹寺にある祖先の墓の前で自害をしようとしました。その時、住職が「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」と説き、家康は切腹を思いとどまったのです。この言葉は、戦国の世でけがれた土地を厭って離れ、浄土を求めることを示すものでした。生涯この言葉を家康は旗印としたと言われています。家康が自害をしてしまっていれば、日本はまた別の方向に歩み始めていたかも。日本の歴史が変わった地とも言えるかもしれません。


2.朝鮮通信使を幕府の要人が出迎えたのが、岡崎なのです!
豊富秀吉の朝鮮出兵によって、朝鮮半島と当時の日本の関係は決してよいものではありませんでした。外交を任された徳川家康が取り組んだのは、朝鮮通信使を日本に招くこと。江戸時代を通して全12回も朝鮮半島から数百人単位で日本にお迎えしました。このことがきっかけとなり、再び交流が生まれ、両国の関係は改善されていったと言われています。彼らを幕府の要人がお出迎えしたのが、岡崎です。当時「ご馳走屋敷」と呼ばれる迎賓館があり、手厚くおもてなしをしたそうです。


これらのレクチャー後、八丁味噌蔵巡りや、ぶどう狩りなどをお楽しみいただきました。


皆さん、10年以上BFPを支えてくださった方々ばかり。日頃の感謝をお伝えする機会になればと思ってお迎えしました。皆さん、お忙しい中、わざわざお越し下さり本当にありがとうございました!

| BFP日々の出来事 | 13:10 | comments(0) | - | pookmark |
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