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多くの学び、発見、出会いがあった何にも代えがたい経験(天沼えり子)
1.はじめに
 フィリピンには以前より興味があり、一度“生の”フィリピンに触れてみたいと考えていた。というのも2011年から数年間フィリピンの若もの支援に関わっていたので彼らの母国については断片的に話を聞いていたからだ。ただその時はフィリピンでの日本軍による加害の歴史に目を向けることはなかった。中国、韓国については様々な本を読んでおり多少活動にも参加してきたのに、なぜかフィリピンについては知識も興味も欠落していたことを認めざるを得ない。
 今回はBPFのツアーに参加でき本当に貴重な経験をさせていただいた。短い滞在にもかかわらず多くの学び、発見、出会いがあった。書きたいことは多々あるが今回は「加害の歴史に向き合う」というテーマに絞って記述することとする。

2. 加害の歴史に向き合う
恥ずかしながらこれまでフィリピンでの日本軍による加害事件については大雑把な知識しかなく具体的なことはほとんど知らなかった。1945年2月3日から3月3日はマニラ市街戦で市民約10万人が犠牲になり(但し米軍の砲爆撃による死者も多数)同時期にマニラ市内およびバタンガス州でいくつもの住民虐殺があった。今回はその中で二つの現場を訪れた。
一つはリパ市パンガオ集落で70人ほどの男性が銃剣で刺され二つの井戸に投げ込まれたという虐殺事件現場である。そのうちの一つは案内がなければ全く気づかない林の中にあった。もう一つの井戸は民家の敷地内にありどちらもコンクリートで蓋をされ虐殺の痕跡は全くないが私たちはそれぞれの現場で焼香し黙とうをささげた。20メートルもの深さがある井戸にまだ生きているのに投げ込まれた人たちもいたようだ。おぞましい光景が頭に浮かびその場を逃げ出したい気持ちにかられた。加害者は私の父、祖父世代の日本兵なのだ。


この虐殺事件で父親と叔父二人が犠牲になった遺族のアレックス・マラリットさんにお会いしお話を聞くことができた。アレックスさんは1935年生まれで82歳。お父さん、叔父さんたちが連れ去られようとしたとき小さい妹が父親の足にすがって泣いたことが強い印象として記憶に残りその情景を描いた絵がある。彼は作家石田甚太郎の著書に刺激を受け何枚も虐殺場面の絵を描いており直接見せていただいた。当時9歳で直接現場を見ているわけではないが遺族としての無念な思いと二度とこんなことをさせないという強いメッセージが伝わり深い感動を覚えた。
重い空気が流れたあとは美味しいリパ産のバラココーヒーとフィリピンのお菓子で心温まるもてなしを受けた。今回アレックスさんのお宅には短いツアーの中で3回もお邪魔し大変お世話になった。


もう一か所訪れた虐殺現場はバウアンにある教会である。2月28日にこの教会に通行証を発行するという名目で400人近い男性が集められ、その後すぐ近くの日本軍が接収した有力者の邸宅に移動させられた。建物にはあらかじめ黄色爆薬が仕掛けられており建物ごと日本軍が爆破し328名が亡くなっている。その時かろうじて現場から逃れ一命をとりとめた生存者の一人、コルネリオ・マラナンさんに会うことができた。当時25歳。現在97歳で4世代の家族に囲まれ幸せに暮らしておられる様子に勝手ではあるが日本人として多少救われる思いがした。
マンドリンに似た楽器を演奏してくださったり一緒に歌ったりここでも幸せでやさしい時間が流れていった。多大な被害を受けた方たちからこのようなもてなしを受けフィリピン人の懐の深さにつくづく感じ入った。


3.メモラーレ・マニラ1945
2月10日は朝8時半よりイントラムロスで市民団体「メモラーレ・マニラ1945」主催によるマニラ市街戦の犠牲者追悼式典が開催された。日本から政府関係者の参加があるのかと思っていたらとんでもなく、日本大使館に招待状を出しても返事もないと聞き愕然した。一方BFPのような小さい民間の団体が毎年追悼式に参加し、挨拶の中で必ず日本人として謝罪の言葉を述べる姿勢は大きな意義があると確信する。今回も代表の神直子さんのスピーチは共感を呼び地元の新聞にも掲載されたそうだ。


おわりに
今回のツアーで日本軍がフィリピンにもたらした加害の大きさが想像をはるかに超えることを実感した。知識不足を補うため帰国後BFPが積み重ねてきたこれまでの記録や石田甚太郎著『ワラン・ヒヤ』と『殺した 殺された』を読み、フィリピンで何が起きたのかある程度実態を把握できた。今もっとも心に引っかかっていることは石田が取材した元日本兵の多くが住民虐殺を「上からの命令だから仕方なかった」と自己弁護していることだ。
ドイツと違って過去の清算をきちんとしてこなかった日本。現政権の動きをみていると再び「戦争のできる国」に戻ろうとしているのではないかという危機感が募る。今後どういう方向に舵を切るのか決めるのは国民である。先の戦争前と違い声を上げることはできる。過去に学び一人ひとりが自分の頭で考えることで日本を誤った方向に向かわせないようできるはずである。

フィリピンスタディツアーから帰って早くも3週間がたってしまいました。たった5日間でしたが多くの学び、発見、出会いがあり何にも代えがたい経験ができました。BFPがこれまで地道に活動を続けてきたからこそと感謝しています。
| フィリピン訪問レポート | 10:34 | comments(0) | - | pookmark |
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