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BFP東京ワークショップ 『私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在』

12月16日(日)の午後、専修大学神田キャンパスで、今年最後のワークショップを開催しました。

 今回はフィリピンクイズならぬ初めての「ベトナムクイズ」(石黒さん作)にチャレンジ、

知っているようで知らないのは、フィリピンと一緒、なかなか新鮮でした。

その後『私の父もそこにいた』(脚本・監督 佐山剛勇)を鑑賞、

茨城県土浦市の添野(そえの)江実子さんに製作者としてのあふれる想いを

語ってもらいました。

「真実が知りたい」と自主製作でドキュメンタリー映画を製作したきっかけや

その後3年にわたる粘り強い調査、ベトナム取材などなど。

生前多くを語らなかったお父さんへの娘としての深い思いに共感しつつ、添野さんの

熱意と行動力には圧倒されました。

なぜ父は戦争が終わっても帰国せずにベトナムに残留したのか?

 

添野さんの父、綱河忠三郎さんは大正9年生れ、昭和15年に20歳で入隊後すぐに中国に

送られ、5年間中国戦線で戦い、その後ベトナムへ、終戦はベトナムのヴィンで迎え、

終戦後は「逃亡兵扱い」となっていました。

約600人の日本兵は帰国せず、ホーチミン氏とともに9年間も

フランスからの独立戦争(第一次インドシナ戦争)に加わって戦い、

舞鶴への帰還がかなったのは、1954年だったといいます。

このことは、日本では全くと言っていいほど知られていません。

添野さんは、父の娘として、一人の日本人として、この忘れ去られた史実を映像に残したい

と決意、また父の足跡を辿るうちに自らも養子だった事実を知りました。

 

就職し2年ぶりに参加した教員やお子さんを出産して育休中の方、長年中国山西省の

慰安婦被害女性を支援し続けている方、高知から駆けつけてくれた新聞記者さんなど、

多様な方々が参加してくださいました(スタッフを含め15人)。

 

▪️参加者からの感想

・一人一人の個人の歴史から学びとることの大事さを考えさせられました。

 添野さんには、ますます、たくさんの資料を発掘されて調査を進めて

 頂きたいと思います(川見さん)。

 

・キュメンタリー映像もインパクトがあってよくできていて、残留日本兵の

 お嬢さんの、いろいろな思いが溢れる貴重なお話も聴かせていただくことが

 できて、とても有意義な会だったと思います(長谷川さん)。

 

・ベトナム戦争のテーマ、勉強しなくては、と感想持ちました。嬉しい悲鳴。

 亡父は南洋の何処で逃亡譚。その弟は海の藻屑と散って遺骨さえ出てきません。

 諦めかけていたけれど、最近、防衛省、厚労省辺りを徘徊。

 史料調べとりかかろうかと考えてる矢先でした。

 企画、くれぐれも感謝申します(松本さん)。

 

・添野さん、膝を痛めながら気丈に遠路を出向いてくださり感謝です。こころに

 溢れる思いが伝わりました。戦争の非情理。それが共有されない非情理(伊吹さん)。

 

*ご参加いただいた皆様、添野さん、専修大学の教室を貸してくださった長谷川さん、

 ありがとうございました。

 2019年が平和な良い年になりますように!(まとめ 斉藤由美子)

 

 

 

 

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