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初めてBFPフィリピン・ツアーに参加して(渡辺洋介)
 今回ブリッジ・フォー・ピース(BFP)のフィリピン・ツアーには初めての参加で、かつ3日間という短い期間の参加でしたが、非常に濃密かつ有意義な時間を過ごすことができました。非常に素晴らしいツアーでしたので、この3日間を少し丁寧に振り返ってみたいと思います。
 ツアー1日目。東京からマニラ経由でネグロス島のバコロド(Bacolod, Negros)まで丸1日かけて移動しました。成田空港からはツアー参加者の伊吹由歌子さんと同じ午前9時30分発の便に乗り、マニラには午後2時前に到着しました。中部空港から来る本隊はすでにマニラに着いており、すぐにバコロド行きの便に乗り継ぎましたが、私は安全を期して1本後のエア・アジアの便(午後8時5分発)を予約しており、しばらくマニラで時間をつぶさなければなりませんでした。一方、伊吹さんはバコロドへは行かず、マニラに残ることになっていたのですが、この日の午後にご友人のロッド(Roderick Hall)さんに会うことになっていました。時間的にもちょうどいいので(笑)、お二人の許可を得て、私もマカティーのシャングリラ・ホテルでのお二人のお茶会にお邪魔することになりました。
 ホテルに着くと、背の高い紳士が私たちを迎えてくれました。ロッドさんでした。彼は80代後半で戦争中はサント・トマス(Santo Tomas)の民間人収容所に収容されていたとのことです。戦争体験者だけあってアジア太平洋戦争には強い関心があるようで、アヤラ・ミュージアムのRod Hall Collectionに日本で出版されたアジア太平洋戦争関連の書籍を何百冊と寄贈されているそうです。現在はロンドン在住ですが、最近までアメリカにも家があり、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカと世界中を飛び回ってきたそうで、非常に視野の広い方だという印象を受けました。1時間半ほどお茶を飲みながらお喋りをし、伊吹さんは滞在するマニラのホテルへ、私は空港へと戻りました。空港からの旅は順調でバコロドのホテル(L’ Fisher Hotel)には午後10時前には到着し、無事に本隊に合流することができました。
 ツアー2日目。今回の参加者の顔合わせをしたいということで午前10時に神さんが宿泊する部屋にお邪魔しました。部屋に行ってみると、そこには神さんの他、旦那さんの浅井さんと息子さんの駿くんが一家で泊まっていました。そこで少々待っていると、もう一人の参加者佐々木苺乃さんがやって来ました。彼女もBFPのフィリピン・ツアー参加は初めてとのことです。それぞれ自己紹介をした後、Unforgettable VoicesというBFP発行の冊子を渡されて、まず、神さんからBFPの簡単な紹介がありました。

 この冊子にはBFPの紹介の他、フィリピンの戦争被害者9人から聞き取ったそれぞれの戦争に関するエピソードが日英両言語で記されていました。写真をふんだんに使い、非常に要領よく簡潔にまとめられていて、戦争被害者にお会いする前に読む資料としては、とても使いやすい良い冊子だと思いました。私は2011年から高嶋伸欣琉球大学名誉教授主催のシンガポールとマレーシアを周る戦跡ツアーに毎年参加しているのですが、そのツアーでも戦争被害者にお会いしたり、お話を聞いたりする機会は多々あるので、そこでもこのような冊子を作成して事前に参加者に配れたらいいなと感じました。
 ただ、この後会う予定のエミリオ(Emilio y. Montalvo)さんのエピソードは冊子に含まれていなかったので、神さんがエミリオさんの戦争体験を初めて聞いたときの動画を見ることになりました。学生時代の神さんが神妙な面持ちでエミリオさんの話を聞き入っている様子が映像に残っていました。その後、エミリオさんは学生たちの真摯な姿勢に感動して涙を流したそうです。
 そうこうしているうちに1時間が経ち、エミリオさんの息子さんとの待ち合わせ場所である1階のロビーへ行くことになりました。「フィリピンタイム」という呼び方があるくらい、約束の時間に遅れると言われるフィリピン人ですが、定刻前に息子さんはすでにホテルに到着しているとのこと。慌ててホテルをチェックアウトして息子さんの運転する車でエミリオさんのお宅へ向かいました。
 この頃日本ではちょうど新型コロナウイルスが拡がりを見せ始め、東京ではピリピリした雰囲気が漂い始めていました。ところがネグロス島では車窓から見る限りマスクをしている人はまったくおらず、いつも通りののんびりした雰囲気が感じられ、ほっと胸を撫で下ろすことができました。
 エミリオさん宅に着くと、エミリオさんとご夫人が笑顔で迎えてくれました。豪勢なランチも用意していただいていて、食事も素晴らしく大変よかったのですが、初対面の方の家にお邪魔していきなり昼食をご馳走になってしまうのが何だか厚かましい感じがして、大変ありがたいけど申し訳ないという複雑な気分でした。エミリオさんのお宅はプール付きの大変立派な豪邸でメイドさんも雇っていました。聞いたところ、エミリオさんは以前はマニラ近郊の都市の市長を務めていて、政界を引退後、実家のあるバコロドに戻ったそうです。戦時中はマニラ近郊にいたそうで、その頃の話もしていただきました。体験の詳細についてはご自身で文章を書かれており、その文章に浅井さんが目を通しながら、わかりにくい部分をエミリオさんに聞いて内容を確認していました。この文章はひとつの戦争体験の記録として貴重なものだと思います。


 3時頃にエミリオさん宅をお暇して息子さんの運転する車で空港へ向かいました。その後、エア・アジアでマニラに向かい、マニラのホテル(Casa Bocobo Hotel)には8時30分ごろ到着。その後、ホテル一階のお店でライブバンドを聞きながら夕食を取り、一日を終えました。
 3日目は朝8時30分にロビーに集合。大きな荷物はホテルに預かってもらい、貸し切りのワゴン車で次の目的地リパ(Lipa)へ向かいました。私は2013年にタール湖北岸のリゾート地タガイタイ(Tagaytay)にバスで行ったことがあるのですが、その時はマニラは大渋滞。マニラを抜けても片側一車線の一般道をノロノロと走ってタガイタイまで3時間以上かかったのを覚えていたので、今回もそんな感じではないかと覚悟をしていました。ところが意外にもマニラは渋滞せずスイスイと街を抜け、その後も高速道路を快走し、タール湖東岸のリパまで何と1時間半程度で着いてしまいました。リパではまずショッピングモールへ行ったのですが、そこも非常に近代的。フィリピンもこの7年間で近代化が進んだのだと思いました。
 ショッピングモールでは1時間ほどの自由時間をもらい、そこでお土産を買いました。私はフィリピンの後にシンガポールとマレーシアへ行く予定でしたので、日本向けのお土産はここでは買わず、今後の旅先でも使えそうなマンゴー石鹸とバナナチップスを購入しました。ショッピングモールの一角にあるスーパーで駿くんとショッピングカートを使って電車ごっこをしたのですが、これもいい思い出です(ワゴン車の中で一緒に赤ちゃんごっこ(笑)をしたのも案外楽しかったです)。
 その後、ワゴン車に戻り、戦争被害者アレックス(Alex Maralit)さん宅へ向かいました。お宅に着くとアレックスさんが出てきて、すぐさま神さんに笑顔で話しかけ始め、私は再会の邪魔をしないように静かに後ろからついて行きました。お宅にはアメリカの大学に留学中の息子さん、ビンセント(Vincent Maralit)さんがちょうど帰って来ていました。それぞれの自己紹介と簡単な雑談の後、近くのレストランへ昼食に行くことになりました。


 昼食はフィリピン料理のおいしいレストランで非常に良かったのですが、神さんらの分をご馳走するのはまだわかるのですが、初対面の私の分までアレックスさんが払ってくださいました。BFPとして先にレジで支払いを済ませたにも拘らず、アレックスさんは店と交渉して全額を返金させ、自分のカードで払い直していたのです。私はフィリピンの戦争被害者の体験を聞き、虐殺事件の現場を見ることを目的にツアーに参加したのですが、加害者側の日本人である私が戦争被害者のお宅に招かれて連日ご馳走になっているばかりで、有難いのですが何だか申し訳なく、果たしてこれでいいのだろうかと複雑な気分でした。


 その後、日本軍によってアレックスさんのお父さんらが虐殺された井戸を見に行きました。現在は落下防止のため井戸にはコンクリートの蓋がしてあり、さらに蓋が泥や雑草で覆われていて、現場に来たことのある人でないと井戸の場所を見つけることは難しい状態になっていました。まず、井戸の蓋に覆いかぶさっていた雑草や木の根を取り払い、きれいにしてからその上にロウソクを2本立て、火をともしました。そのロウソクの前でアレックスさん、ビンセントさん、神さんらBFP参加者が犠牲者に祈りを捧げました。駿くんも神妙な面持ちで手を合わせていました。アレックスさんからは直接戦争に関する話はお聞きしませんでしたが、彼の戦争体験は前日にいただいた冊子に書かれていたので、だいたいの話は頭に入っており、状況を理解することができました。戦争被害者は自らの戦争体験を毎回すべて語るとも限りませんので、事前に冊子を読むように言われたことの重要性をこの時実感しました。


 その後、パガオ(Pangao)の村役場に向かい、そこでJuana Litan村長にお会いしました。その後、村長さんと一緒に慰霊碑を設置予定である小学校へ向かうことになりました。


 私たち一行が学校に着くと、まっすぐ校長室に向かい、アレックスさんと村長さんが校長先生に記念碑設置の進捗状況を聞き始めました。同校構内への碑の設置は校長一人の権限では決められないので関係者と相談して決めるとのことでしたが、具体的な設置場所の提示がありました。私はこうしたやり取り横から眺めているだけでしたが、非常に実りのある訪問であったことが感じられました。


 その後、他のBFP参加者はバウアン(Bauan)へ向かいツアーを続けたのですが、私は仕事の関係で翌朝の便でシンガポールへ向かわねばならず、朝に寄ったショッピングモールに隣接したバスターミナルまで送ってもらい、そこで今回のツアーとはお別れとなりました。
 本当に短い期間でしたが、ネグロスにもリパにも行けましたし大変濃密な時間を過ごすことができました。この旅に集まってきた方々も大変個性的で豊かな経歴をお持ちの方が多く色々と刺激を受けました。また、BFPの運営が大変丁寧で、エミリオさんにお会いする前に事前学習をしたり、アレックスさんにお会いする前に冊子の該当部分を読むように勧めてくださったり、私がシンガポール・マレーシアで行なっている戦跡ツアーの運営にとっても大変参考になりました。
 今回、マニラの追悼式典に参加できず残念な思いがあり、今後も機会がありましたらぜひ参加したいと思っています。この度は大変貴重な経験をさせていただきまして、本当にありがとうございました。
| フィリピン訪問レポート | 21:02 | comments(0) | - | pookmark |
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