NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
ここに記載される会員もしくは参加者の見方や考え方は、必ずしもBFPを代表するものではありません。
個人の自由な想いを尊重して運営しています。
Copyright(C) 2005-2015 Bridge for Peace All rights reserved.

<< 20年の節目だからこそ感じられた事と、得られた3つの収穫(神直子) | main | 初めてBFPフィリピン・ツアーに参加して(渡辺洋介) >>
BFP2020年度 フィリピン・ツアーに参加して(伊吹由歌子)
NPOブリッジ・フォー・ピースが誕生して15周年の今年、最初からの会員である私にも、多様に意義深いフィリピン・ツアーでした。参加させていただくのは、2011年からです。2007年から、日本軍に捕らわれた米軍の元捕虜とそのご家族・遺族の旅に参加して、米側の体験を聴き、「バターン死の行進」の跡を辿り、収容所や牢獄、また沈没輸送船の記念碑建立にも参加して、戦時の日米軍の戦闘も学びました。

しかし、元捕虜の方々のご参加が困難となり、BFPのツアーに参加させていただくと、フィリピンの方々とお会いし、とくにマニラ市街戦を体験された方々、戦争末期の絶望的な状況で起きた、ルソン島南部の村々の住民虐殺の体験者、ご遺族にお会いすることになりました。慰安婦とされた女性たちが集い、おしゃべりを楽しみながら作業する場・リラ・ピリピーナをお訪ねする機会にも恵まれたこと思い出します。

今年は、代表・神 直子さんの復帰ばかりか、ご一家勢ぞろい。2018年にデビューして日比親善大使だったトシ君も、今年4月から小学生に。「学校休んで来ますよ」と頼もしいお父様。利発なトシ君、「ゆかこさん」覚えていてくれて有難う!とても嬉しかったです。

2月11日から16日の日程で、メモラーレ・マニラの追悼式典は2月15日。出発一か月前ごろリパ市のご遺族アレックスさんに電話したところ、「いま近くの火山が噴煙をあげており、ラジオの情報を緊張して聞いている」と思いがけない事態が判明しました。マニラ空港では便のキャンセルも相次ぎ、ツアー中止となるおそれもあったのですが、7名で無事に決行できました。ただし、2月15日というのは、毎年、シンガポールの華僑虐殺犠牲者追悼式が行われる日です。毎年それにも出席する2名には災難で、渡辺さんは13日に移動を与儀なくされ、私は断念しました。

状況不安定のなか、直子さんがプログラムを柔軟にご準備くださり、11日は、マニラからネグロス島へ飛び、翌日、マニラ市街戦の生存者を現地でお訪ねすることに。(成田発組は都合よい便がなく、私は無理と判断し12日の夜、マニラのホテルで皆さんと落ち合うことに。)渡辺洋介さんは、是非 参加したく、若さにまかせ夜8時半のネグロス便をとられました。その間のマニラでの空き時間に、運良くも、BFPサポーターで、戦時中敵国民間人として抑留され、ご家族を失った英国人ロデリック・ホールさん、渡辺さんと、2時間ほどゆっくりお話することができました。ロッドさんはFilipina Heritage Library(太平洋戦争専門の図書館)に「ロッド・ホール・コレクション」の名で、日本で出版の図書・資料を寄贈しておられ、BFP取材班が撮りためた資料の一日も早い活用を支援したいと望む方です。15に日直子さんとの面談の約束が整い、メモラーレマニラ会場でお2人の話合いが実現しました。12日、マニラのホテルでこの数年参加してカメラを回してくださるBFPメンバー・刀川和也さんと、私も合流しました。

13日からはジュンさんという笑顔の良い最高のドライヴァーさんにお世話になりバンでの行動。バタンガス州リパ市、及び、バウアンへの出発。2日後に戻るホテルにスーツケースを預け楽な旅は、まず近くのロビンソン・デパートでお土産ショッピング。フィリピンの物価の安さを実感。直子さんがお菓子類の大きなケースを3個も用意したのは、あとで行く子供養護施設へ持ってゆくためでした。アレックスさんはこの半年ほど、フロリダの大学で医学を学ぶ3男のヴィンセントさんと暮らしておられ、とても落着いてお元気そうでした。お宅で自己紹介のあと、ランチにご招待くださり、渡辺さんは残念ながら明日シンガポールに飛ぶためその後、高速バスでマニラへ。一同はまずバランガイ(郡)の長、フアナ・リタン郡長のオフィスへ。郡長の妹さんなど村人をまじえた数人と、届いた食品の整理中のようでしたが、皆さん、笑顔で大歓迎してくださる。飲み物、スナックなど振舞いつつ、直子代表と郡長は契約書類のやりとりをなさったようです。一休みの後、近くにある放置されたバナナ園へ、アレックスさんの父上、年上の従兄などが眠る井戸へ、お参りに。平たいコンクリートで蓋がされた井戸。内部の崩壊が懸念されており、しっかり補強がされる予定です。
涙しつつ、率先して、蓋に積もった落ち葉や枝を取り除く直子さん。BFPの原点を観た思いでした。そこから近くの学校へ。改築を願うこの学校にBFPの基金を一時転用してご活用いただき、合わせて敷地内に、戦時の事実を記した記念碑を設置していただくという名案が、アレックスさんの尽力で、昨年できておりました。戦争の悲惨、平和の意義を若い世代にぜひ知ってほしい。そのために最高の案があたえられたのでした。実際には、BFPのこの動きで行政が動き、すでに改築は立派になされた学校で、校長はじめ先生方の歓迎と感謝を受けつつ、美しい校舎、記念碑を設置する予定地を見学させていただきました。
アレックスさんとヴィンセントさん。名残りつきないお2人に別れを告げ、さらに南のバウアンへ。ちょうど夕食時分に到着する。まずホテルへチェックインに向かうと、直子さんのサポーターさんが、4人で待っていてくださった。戦時中に虐殺の行われたカトリック教会の、昔は僧院だった建物が現在は小学校、ハイスクールになっており、そこで主任的な役割を担う先生、そしてその教え子さん3人のようである。みなさん、暖かいお人柄の若者たち。チェックイン後、近くのレストランで待っていてくださった彼らと早速、交流が始まった。この夜、私は佐々木苺乃さんと同室となり、いろいろお話ができたのは、とても嬉しいことでした。



14日。昨日お会いしたお弟子さんのひとりが、バウアンの戦争記念碑、教会をガイドしてくださる。もう何度目かのバウアン訪問だが、その場に立ち、当時をしのび、祈ることでまた新たな力、思いを与えられます。会堂には地元の信徒の方々がそれぞれ、深い祈りをささげるお姿が。記念碑ではご両親の説明を受け、考え込むトシ君。「僕は戦争をやめさせる」と銃を構えた兵士の像のまえで、両腕を広げて誓いました。昨夜お会いした主任教授のクラスを訪問、直子さんが生徒たちに語り掛け、素晴らしい交流でした。



フィリピンのメディアによる直子さん取材タイム。そののち、最近亡くなられた虐殺事件生存者のご遺族をお訪ねする約束ができており、全員でマーケットで白いブーケが整いました。ご遺族は一家みなさんで待っていてくださる。息子さんたち、ご長男の奥様かと思われる女性。いかに亡くなったご高齢の男性が家族に愛され、生き生きしたお人柄であったか、初めて者にもよく伝わりました。このような愛情豊かな家族、なんと素晴らしい人生があるのでしょう!
その後、親の無い子、事情があって親と一緒に住めない子供たちの養護施設は行く予定となっており、途中のファミレスでドライバーのジュンさんを交えて楽しいランチ。しかし、ここからが大変な交通渋滞。この日は2月14日ヴァレンタイン・デー。フィリピンでは、重要な家族の大イベントであることが実感できた。予定を変更し、明日のメモラーレマニラの後に子供たちを訪ねることにして、ホテルへ。夕食とショッピングを兼ねてロビンソン・デパートへ。浅井さんとトシ君が明日のため整えたフィリピン男性の正装、バロン・タガログ。その実用性と美しさがよくわかった。

15日。朝8時半から、メモラーレ・マニラ記念碑の前で式典が開かれる。昨年10月まで事務局長さんはJoan Orendainさんであった。その後、もっとお若いDesiree Manipayoさんに交替。昨年は委員会の長年のメンバーで、ドイツ人として抑留されたEdgar Krohn さんがご逝去。最近また、Jim Littonさんが亡くなられた。でも、故チャド大使の未亡人が娘さんとともにお元気な笑顔を見せてくださり、昨年は欠席だったDr. Legardaも手術後ながらご列席。ロッドさんと直子さんは無事に再会、直子さんが用意した資料を渡し、今後の進展が期待されます。

最近、米軍と比軍の合同演習が盛んにおこなわれているフィリピン。これまで、比軍兵士のバンド演奏、銃による儀式、国旗入場・退場、トランぺッターによるタップス演奏、など、毎年行われた。今年の式典に初めて米軍第一騎兵師団Kevin Black大佐が出席。大佐と直子さんは中央で隣席。久しぶりに演壇に立った直子さんのスピーチ。豊かで若い声が、住民虐殺の事実への深い悲しみと真心こもる謝罪、日本人との共有へ力強い思いを十分に伝えた。デジレー新事務局長も、Naoko’s speech was excellent, brought so many people to tarsとコメント。こののち、マラテ教会でのおミサに出席したが、これも新しいプログラム。その後、恒例のようにジャーマン・クラブでの昼食会にBFPも出席予定であったが、お詫びをしてこれは失礼する。

BFP2020年ツアーの最後を飾ったのは、ブラカン州の養護施設・サン・マルティンの訪問です。直子さんが初めてのフィリピン・ツアーで通訳としてお会いになったアリエル・ヘロニモさん。ボイエット神父さまにご挨拶。アリエルさんは心理学を学び、心に屈折を抱える子供たちのリーダーを養成する大学講座をもっておられると伺いました。しかし、要は、「一緒に遊び、愛情を注ぐ。それに尽きる。そのために、いまほしいのがウォール・クライミングの設備だ」とその構想を話してくださいました。
自然を慈しみ育てる環境のなかで、美しい花々、樹木、快適で清潔、整頓された建物群に囲まれて、生活し、音楽を楽しみ、スポーツや、勉強をする。年長者、先生方、職員さんたちに、手を、心をかけてもらいつつ、自分も人に手を貸す子供たち。しかし、親を慕い、寂しさを抱える供たちでした。「あまり計画することはない。すべては、神様が整えてくださる。」と心から、語られるアリエルさんでした。息子さんは広島の大学で学んでおられ、広島平和公園内での、英語によるボランティア・ガイドもなさる。その息子さんが、近く、帰ってこられるのを楽しみにしておられました。まるで奇跡のような、楽園そのもののサン・マルティン。圧倒され、感謝しつつ、思いにふけりつつ、後にしたのでした。
最後のディナーはマニラ湾に面したホテル庭園のレストランでゴージャスな料理とおしゃべりに最高の時を過したのでした。翌朝のミーティングで感動のときを持った後、ジュンさんのバンへ。フィリピン国立大のカルガニーラ教授は、毎年、よく、BFP参加者を学生とのランチに、また授業へと招いてくださる方。この日は、彼のお弟子さんで直子さんの友人夫妻がトシ君と同年齢のお子さんとともにロビンソン・デパートのカフェで再会。一同楽しい時を過し、お土産購入も。思い出と感動いっぱいのBFP2020を無事に終了し、この後も撮影のお仕事で残られる刀川さんとお別れ。残る直子さんご一家、佐々木苺乃さん、私は空港で、3月29日東京のJICAで行われるBFP報告会での再会を約しつつ、お別れしたのです。衰えを感じつつの私、みなさま、お世話になり有難うございました。
| フィリピン訪問レポート | 20:40 | comments(0) | - | pookmark |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
LINKS
RECOMMEND
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点 (JUGEMレビュー »)

BFPとしても2章書かせて頂いています。ご覧頂けると嬉しいです。
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
PROFILE