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フィリピン訪問レポート:Part4.フィリピンの貧困を前に、どう語り継いでいくか
child                        *2005年10月に訪問したフィリピンの訪問レポートをこれまでに3度お届けしてきました。今日はその最終回、第4弾です。


私のバックグラウンドを全く知らない人に「フィリピンのプロジェクトをやっている」というと、一瞬困ったような顔をされることがある。イタリアとか、スペインのプロジェクト、と言えば目を輝かせて「へぇ〜!どんなプロジェクト?」と明るく聞き返されるのかもしれない。

その現象一つをとってみても、日本における「フィリピン」のイメージはあまり良いとは言えない。貧しく、子どもの多い、バナナのなる熱帯の国。というところだろうか。

確かにフィリピン人の生活は貧しい。
明らかに子ども達の身体は細いし、都市部には物乞いをする子ども達が当たり前のようにいる。家にお邪魔しても一家の家財道具は、日本の私の部屋より少ないのでないか、と最初の訪問時に真剣に驚いた。そう、フィリピンは貧困が蔓延している国でもある。

しかし、その一方で裕福な層の煌びやかさと言ったら、日本のお金持ちよりすごい。プール付きの大きな家の調度品に目を奪われた経験は何度もある。つまり、貧しい国ではあるけれども、その格差も凄まじいということだ。その社会的な仕組みについては、別の機会にしたいと思うが、その格差は「戦争を語り継ぐ」という現場でも起こっている。

私が現地で出会った戦争を継承する活動をするフィリピン人は、大抵が高い教育を受けた人たちであった。家族内での聞き語りという点においては、家族のあり方が日本に比べてよっぽど豊かなフィリピンでは充実していると思う。しかし、「あの戦争は何だったのか。そして、どう活かすべきか」といった内容になると、やはり検討する機会を与えられた高学歴者からの発言が圧倒的に多くなる。

この現象は、日本でも見受けられるが、知ろうとする気持ちさえあれば様々な角度からの情報は容易に入手できるだろう。一方、その日その日が大変な毎日を過ごすフィリピンでは、本当にそれが困難なことであるということを、現地で感じざるを得なかった。

私が日本から元日本兵のビデオメッセージを持参しても、生活がいっぱいな彼らにどこまで伝えられるのか。このことが、3週間の旅を通して最後に感じた、一番つらく、悲しい現実でもあった。「フィリピンの貧困を前に、どう語り継いでいくのか」このことを前に、私は未だに身動きがとれずにいる。


| フィリピン訪問レポート | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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