NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
ここに記載される会員もしくは参加者の見方や考え方は、必ずしもBFPを代表するものではありません。
個人の自由な想いを尊重して運営しています。
Copyright(C) 2005-2020 Bridge for Peace All rights reserved.

AUTHOR: naoko_j
TITLE: 7月の予定
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 今後の予定
CATEGORY: 今後の予定
CATEGORY: 今後の予定
TAG:
DATE: 07/21/2005 00:07:28
-----
BODY:
7月は、フィリピンで出会った未亡人と同じような
境遇の日本人女性に会いに行きました。
大切そうに写真を飾り、その方の話をされるときは
少女のように顔を赤らめる姿に、戦争に加担した国に
もたらす悲劇を改めて実感していました。

その日本人女性の方の話があまりにも衝撃的で、
7月は次のインタビューに行くための充電期間が必要な
ほどでしたが、今月末、音楽隊に所属していたという
方のお話を聞きにいくことが決まりそうです。

幅広くいろいろな方のお話を伺ってきましたが、
少しずつ部隊などを絞り込んでいくことも考えています。
特にルソン島サンイシロ、ネグロス島での戦闘体験を
お持ちの方がいれば7月、8月にかけて伺いたいと思って
いますので、どんな小さな情報でも結構です。
お待ちしております。


-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 8月の予定
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 今後の予定
CATEGORY: 今後の予定
CATEGORY: 今後の予定
TAG:
DATE: 07/21/2005 00:21:48
-----
BODY:
8月は仕事の休みを取りやすいということもあり、
少し遠出をしてでも、いろいろな方の証言を聞きたいと
考えています。

戦時中、フィリピンへ行かれた方の情報をお持ちの方、
ご連絡お待ちしています。全国どこへでも伺います。

特にルソン島サンイシロ(村の人が未だに銃剣と飯盒を
保管されています。飯盒には「ミウラ」と書かれていま
した。家族の方にとっては貴重な当時をしのぶものだと
思います。もし該当者がいらっしゃいましたら、責任を
もって今秋訪問した際、持ち帰りたいと思っています)
また、ネグロス島での戦争体験をお持ちの方、お話を
お伺いしたいです。

その他、どんな小さな情報でも結構です。
お待ちしております。
-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 秋に向けて想いを新たに…
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…
CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…
CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…
TAG:
DATE: 07/21/2005 00:26:29
-----
BODY:
2000年に訪問したフィリピンで、未だ癒されない傷を抱えた
たくさんの方に出会ったことで始めたこのプロジェクト。

いよいよ今年2005年10月、元日本兵の方のビデオメッセージを
携えて再訪します。

「日本政府からの正式な謝罪がほしい」
「元日本兵は一体どんな気持ちで戦後を過ごしているのか」
「若い日本人は、今後他国とどんな関係性を築きたいのか」

様々な想いをぶつけられた大学生だった当時の私。
何もできぬまま5年の歳月が過ぎてしまいましたが、ある知人の
話から「当時の行為を悔やんでいる元日本兵もいる」という事を
知りました。そんな想いを現地に届けたい、そう思うようになった
のです。

でも、実際に元兵士の方にお話を伺うと申し訳ないという気持ちは
あっても、謝罪ということはしっくりこない様子。当時の状況を
知れば知るほど、それがどんなに酷なことであるか私も改めて実感
しています。現地では加害者であると言われている日本人も、ある
意味では被害者であったと言えるからです。

戦争の全体像を捉えることはとても難しいことだけれど、お話を
伺う中で、私は自分が感じる率直な想いを心に刻んでいきたいと
考えています。

その為にも、たくさんの方の、様々な視点からのお話を伺うことが
大切だと思っています。お話を聞かせてくださる方がいらっしゃい
ましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしています。

10月のフィリピン訪問に向けて、少しずつ具体的に動き始めました。
現地の大学生と平和に関するイベントを企画したり、2000年当時
お世話になった現地NPOでも、元日本兵の方々のビデオメッセージを
上映する集会を開いてもらえるよう準備を進めています。

残り数ヶ月となりましたが、秋の訪問に向けて準備を整え、気持ち
新たに臨みたいと考えています。帰国後も、様々な形で皆さんに
ご報告ができるよう、検討しています。
今後ともアドバイス、ご助言などよろしくお願い致します。

神 直子
FAX:048-837-1793
↑情報提供、支援などはこちらまでご連絡頂けるとありがたいです。
 お待ちしております。コメントも大歓迎です!





-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 7月のインタビュー
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY:
CATEGORY:

TAG:
DATE: 07/24/2005 22:28:47
-----
BODY:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
インタビュー(抜粋)
  Y.Tさん(男性86歳/海軍103軍需部、戦後自力で事業興す)
  T.Tさん(女性83歳/婚約者を戦争で亡くした)
  K.Hさん(男性82歳/戦闘機部隊、現在憲法9条の会所属)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●Y.Tさん(男性86歳/海軍103軍需部、戦後自力で事業興す)
「英霊が乗り移っているような気がするんや。フィリピンに行くと、どこかで
連れて帰ってくれ〜と叫んでいるような気がしてな。」
そう言って、戦後行なってきた遺骨収集について熱っぽく語るY.Tさん。
「どんな死に方したか知らない。誰も知らない。一体誰がそれをやって
くれるんや、と。ぼくにはそれがたまらなかった。」
あと2年早く終戦を迎えていれば、国民がどれほど助かったか。何で
はようやめなかったんか…と肩を落とした。
これまでフィリピンに行った回数は300回近い。
その都度、何らかの遺品や遺骨が出てくる。その活動も一筋縄では
いかず、数々の苦労があったらしい。現地の協力を得るためにも、
反日感情が湧き上がらぬよう、幼稚園にオルガンを寄付したり、様々な
支援活動を独自に行なってきている。政府の援助やODAが決して届か
ない地域での草の根の活動である。
誰もやってくれないから自分でやる、と決意したY.Tさん。
同じ体験をした同世代に向けたメッセージをくださった。
「軍隊の組織は逃亡したり、命令に背けば銃殺というひどい状態だった。
お互い戦争だから、非戦闘員も殺す。それはある意味仕方のないこと
かもしれん。だから、自分の国がされた話ばっかりするのではなく、悪い
ことも含めて、体験したこと伝えなあかん!」

●T.Tさん(女性83歳/婚約者を戦争で亡くした)
私のこのプロジェクトは、バーバラさんという結婚後すぐに旦那さんを
日本兵に連れ去られ、その悲しみを58年間、胸の奥底にずっと携えて
生きてこざるを得なかった女性に出会ったことから始まりました。
ある時、バーバラさんと同じような苦しみを味わっている日本人女性も
いるのではないか…と思い、T.Tさんと巡り会いました。
このプロジェクトの趣旨は、フィリピンの方へのメッセージを頂くという
目的で進めていたのですが、今回は改めて戦争は双方にとって苦しみを
もたらす惨いものである、と心に刻むことができました。
 
T.Tさんの婚約者であったKさんは35軍司令部の大尉でした。
戦後待てど暮らせど帰国しないKさんのことを、軍に問い合わせた
ところ、致命傷を負ったので兵隊2人をつけて洞窟に置いてきた、
というのです。戦友も置いてきたという負い目があるからか、口を閉ざ
したままそれ以上のことは話してくれませんでした。それなら、自分の
目で見てこようと何度かその洞窟を探しに戦後フィリピンへ渡ったという
T.Tさん。戦後60年、未だにどこで亡くなったのかわかっていません。
「待ってたのに…」と嗚咽すると、緊張の糸が切れてしまったように
細い身体を小刻みに揺らして涙を流されました。
戦後数年経って両親に進められて一度は結婚したけれど、娘を
身ごもって半年後には離婚したというT.Tさん。
「戦後は遠くなったとか、すでに終わったとか言われます。しかし、日々
悲しみ、怨念の炎を燃やし続けております残された者にとって、
どうして素直にそんな言葉が受け入れられましょう。残された者も
老いました。いずれ私の生命が果てたときは、フィリピンに骨を埋めて
もらおうと思っています。そのとき、私の戦後は終わるのでござい
ましょう…」
詳細な記録は、以下に掲載されています。ぜひ手にとってほしいです。
『フィリピン−悲島』読売新聞大阪社会部 昭和58年 p.107悲恋 

●K.Hさん (男性82歳/戦闘機部隊、現在憲法9条の会所属)
「原爆落とされて焼け野原になる前に、もっと早く決断していたら、もっと
被害が少なくてすんだ」大正12年生まれのK.Hさんが電話口で声を大きく
した。
死人が山積みになっているのを目撃した。
死んでいく戦友をたくさん見た。
ご自身も、足が腫れてしまい50Mも歩けなくなってしまった時期があると
いう。飢えのため、死ぬか生きるかの瀬戸際だったとき、食料が現地人の
人や元日本兵によって取り尽くされている地域で、唯一残っていた
さつまいもの葉っぱの美味かったこと…と言葉を詰まらせた。
塩もない状況の中、飯盒にその葉っぱと水だけを入れて炊いたという。
日中は米軍が砲撃をあびせてくるので隠れていたが、長期にわたる戦闘の
ため、不衛生な状況がつづき、身体にはしらみがびっしりついていた。
攻撃の間に外に出てしらみ潰しをしてました、と何とも言えない壮絶な
状況を、笑いながら話してくださったK.Hさん。
「戦争は悪そのものや。戦争が起こらんように、皆が戦争はいやだと思わな
あかん。一生懸命思わな。戦争は天災ではない。人が始めた人災じゃ。
人がやらんと思ったらそれで済むんや。」
イラク戦争が始まろうとする時も、戦争反対のプラカードを首からさげて
街頭に立った。K.Hさんが遺書のような気持ちで書いたという自伝を、
孫は「化石のようなことを言うなと言って未だに読んでくれない」と寂しそう。
若い世代は戦争にどう向き合うのか、一人ひとりが考えるべきときに来て
いるとつくづく思いました。

-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 8月の予定
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 今後の予定
CATEGORY: 今後の予定

TAG:
DATE: 07/24/2005 22:29:22
-----
BODY:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今後の予定(「ミウラ」さん探し、フィリピン大使館など広報活動)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

5月、6月、7月と元日本兵の方へのインタビューを進めてきました。
仕事の都合もあるので8月の予定がまだ立ちませんが、少し遠出を
してインタビューさせて頂くと同時に、フィリピンルソン島サンイシロに
未だ残っている「ミウラ」と名前の刻まれた飯盒と銃剣の持ち主を探し
したいと思っています。今は現地の方が大切に保管されています。
どなたかルソン島の山岳地帯へ行っていた部隊所属の方などご存知の
方がいらっしゃいましたら、情報をお待ちしています。

また、本プロジェクトのビデオ編集に加え、広く皆さまにお伝えしていく
為にも冊子のようなものを作成したいと考えており、費用的なことも
ありますのでフィリピン大使館含め、お声がけさせて頂きたいと思って
います。広く伝えていく活動も今後並行して行なっていく予定です。
10月のフィリピン訪問に向けての訪問先の選定など、具体的な
スケジュールも少しずつ決め始めています。どこかこのプロジェクトに
ついて耳を傾けてくださる現地の受け入れ先などご存知の方が
いらっしゃいましたら、あわせて情報をお寄せ頂けるとありがたく思い
ます。どうぞよろしくお願い致します。
-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 工夫して伝えていくということに重点を
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…
CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…

TAG:
DATE: 07/24/2005 22:30:20
-----
BODY:
今回新聞に掲載していただいたことで、私も色々と勉強させていただきました。
たくさんの方からの意見を伺うことで、私自身の認識も高まっていくように
感じます。まだまだ勉強不足ですが、今後ともよろしくお願い致します。

頂いた反響の中で既にフィリピン支援で活動されている方から「中国や韓国の
被害者の支援に比べると、フィリピンはあまり関心を示して頂けない」という
コメントがありました。確かにそう言われてみると、私自身は力を入れていて
も周囲の理解という意味ではまだまだ難しいものがあるように感じます。現地で
友達をたくさんつくった今の私にはありませんが、以前は私も社会的に植え付け
られた差別意識のようなものが確かにありました。私の活動が特殊なものでは
なく、自然なものとして受け入れてもらえるような見せ方も、今後工夫して
いきたいと思っています。

自分自身勉強しながら進めていますが、ゆっくり着実に。がんばります。

*ところで今年の8月15日、皆さんはどんな過ごし方をされますか。もし何か
 お考えのことがあれば教えて頂けると嬉しいです。戦後60年の今年、どう
 過ごすのがふさわしいか、考えているこの頃です。
-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 朝日新聞(05.7.21付け)にこのプロジェクトが掲載されました!
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…
CATEGORY: 日々感じること、想いのままに…

TAG:
DATE: 07/24/2005 22:31:00
-----
BODY:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
朝日新聞に掲載されました(元兵士、故郷の市長等、反響多数!)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

昨年の8月、全く何の情報も知識もない状態で、元日本兵の声を集め
たい、という想いだけで始めたこのプロジェクト。1年の間にたくさんの方々の
ご協力により少しずつ情報を頂けるようになり、ホームページを通じて公開
させていただけるまでになりました。

地味に進めてきましたが、戦後60年ということもあり、若い世代の取り組み
として朝日新聞社会部の記者の方が目に留めてくださり、先日取材を
受けました。大阪の社会部の方でしたので関西版での掲載でしたが、
朝6時台から自宅のファックスが鳴り出すほど、たくさんの反響を頂きました。
記事はこちら↓↓
http://www.asahi.com/kansai/kataritsugu/OSK200507210048.html

【頂いた反響】
●ネグロス島で戦争を体験された元日本兵のK.Hさん
掲載された日の夜、仕事から戻ると留守番電話のメッセージが入っていま
した。ぽつりぽつりと体験を語り始めるそのメッセージを聞き、早速折り返しの
お電話を。京都にお住まいの戦闘機部隊所属の方からでした。1時間ほど
お話を伺い(詳細は「2.インタビュー(抜粋)」のK.Hさん参照)、電話を切る
時のこと。
「よう聞いてくれた。ありがとう、ありがとう。」と涙声で受話器を置かれました。
フィリピンでたくさんの日本人が亡くなったということを若い世代が知らない、
という事実をとても悲しく思っていたというHさん。語り継いでいくことの意味を
教えてくださいました。

●大阪府箕面市長、藤沢純一さん
もっとも意外だったのが、箕面市長じきじきに応援メッセージを送ってくださった
こと。今回は関西版での掲載ということで、記者の方が大阪に関連した記事を
書きたい様子だったので、私が箕面市生まれということを前面に出したようです。
とは言え、正直なところ父親の転勤で2歳までしか箕面市には住んでいな
かったので、あまり大きな顔はできません。でも、それをきっかけに
「素晴らしいことで箕面市の名が拡がっていくことを大変嬉しく思います。
がんばってください」という言葉を市長から頂いて、また元気が湧いてきました。

●その他、メール、ファックスなど多数
全てをご紹介することは出来ませんが、その他にも父親が書いた未公開の
自伝があります、など貴重な情報をお寄せくださった方々がいらしゃいました。
フィリピン人元日本軍「慰安婦」だった方の支援活動をしている方からも
心のこもったお便りを頂きました。50代の女性からは「私の年代でも、あまり
知らない人もいます」とのFAX。

また、当然のことながら好意的な反応ばかりではありませんでした。
「もっと日本のよいところも知らせた方がいい」、「フィリピンが独立できた
のは、やはり日本の戦争によるところが大きい」、「誤った情報を現地に
届けてしまうのではないか」など。どの言葉も、私にとっては理解が出来るもの
ばかりでしたし、真摯に受け止め考えていきたいと思いました。ただ、私が現地
でぶつけられた苦しみや悲しみも事実。戦争を体験していない世代である
という自分の強みを活かして、たくさんの情報の中から客観的に戦争という
ものを紡いでいきたいと思っています。

上記のような意味合いでも、今後とも率直なご意見、ご助言、アドバイス
など、どうぞよろしくお願いいたします。
-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 人々の記憶から生まれる「人々」の記録が重要!
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 皆さまからの声
CATEGORY: 皆さまからの声

TAG:
DATE: 07/26/2005 19:42:50
-----
BODY:
*読者の皆さまから学ばせていただく事がたくさんあります。
 少しずつ、ご紹介していきたいと思います。

●地域研究をしていらっしゃる方(男性)より

やはり、このようなことで「歴史」ではなく、人々の記憶から生まれる「人々
の記憶」の記録が重要ですよね。
 
かつてこんなこと書きました。
 
「歴史という神話」を超えて
http://www.janjan.jp/culture/0308/0308155687/1.php

そこでもこんな会話がでてきます。
 
『もう、長いことこげな話をしたことはなかった。誰でんかいでんには話し
とうなかばい。話しても聞いてくれる者がいなくなったとたい』
『ああ聞きましょう。全部話して下さい。全部聞くから』
『そうか聞いてくれるっか。頼んばい』

-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: このプロジェクトの着地点…
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 皆さまからの声
CATEGORY: 皆さまからの声

TAG:
DATE: 07/26/2005 19:47:01
-----
BODY:
*読者の皆さまから学ばせていただく事がたくさんあります。
 少しずつご紹介していきます。

プロジェクトが軌道にのってきた今、今後の舵取りについて真剣に
考えるべきときが来ているように思っています。そのきっかけとも
なったコメントを共有させてください。以下の方のご指摘の通り、
これまで多くの方が実は同じ取り組みをしてきています。
私のこのプロジェクトの着地点…。本当に悩むこの頃です。
 
●マスコミ関係の知人(男性)より

『過去の人を凌駕する心意気で全力投球するしかないだろう。
重要なのは、なぜ謝らねばならぬことをするように至ったかという
構造的な問題を解決すること。
たしかに、戦争被害者が亡くなる前に耳にすることで慰めになる
かもしれないが、せっかく証言を集めるならば、それだけはもったい
なさ過ぎる。
ぜひとも、もう二度と戦争を繰り返させない意気込みで、
日本人の戦争責任という小さな枠にとらわれずに
人類共通の問題に対する答え探しを念頭にしてほしい。
ただ、何度も言うが、これまで多くの人が同じことを挑戦してきたが、
結局、流れは大きく変わらなかった。
もっと悪くなるのを防いだかもしれないが。』

-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
AUTHOR: naoko_j
TITLE: 40代の方からの声
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
ALLOW PINGS: 0
CONVERT BREAKS: 1
PRIMARY CATEGORY: 皆さまからの声
CATEGORY: 皆さまからの声

TAG:
DATE: 08/17/2005 17:52:37
-----
BODY:
私は40代でありますが、
その40代50代が一番戦争の事を語らないような気がずっとしておりました。
戦争の事だけではなく、政治の事も地域の事も環境の事も
一番語らない世代だと感じております。
その事に危機感を持っています

『揺籠の歌』 ホームページアドレス
http://www.saturn.dti.ne.jp/~jyt/yukago1.htm

戦禍からこの冊子を命からがら持ち出し、実際60年間保管をしている、小杉さんと
何度も打ちあわせをしました、ホームページに掲載を始めると、数社の新聞社から
取材の申し込みを受けました。


-----
EXTENDED BODY:

-----
EXCERPT:

-----
KEYWORDS:
-----

| 2006.4backup | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
LINKS
RECOMMEND
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点
私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点 (JUGEMレビュー »)

BFPとしても2章書かせて頂いています。ご覧頂けると嬉しいです。
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
PROFILE