NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
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悲しい知らせ
 昨晩、随分久しぶりに、ある兵士の方の携帯から着信があったことに気づきました。
 最後に電話でお話した時は、体調が悪いということでとても苦しそうだったことを覚えています。そんな状態でしたので、こちらから連絡をすることは控えつつも、「どうされているかしら…」とずっと気掛かりではありました。

 少し良くなられたのかな、とかけ直してみると、電話に出られたのはご本人ではなく女性の方。その瞬間嫌な予感がしましたが、それが的中してしまいました。

 「先月、主人が亡くなりました」

 とっさに返す言葉が、思い浮かびませんでした。
その方は、BFPとして初めて戦争体験を聞かせて頂いた、取材対象者の1番目の方なのです。

 右も左もわからない中、想いだけでプロジェクトを始めた私は、インターネットや知人・友人を通して、証言してくださる方を2004年8月から賢明に探していました。そんな時、当時の職場を通して面識のあった方が、思いがけずご紹介くださったのが、この方でした。

 初めての取材ということで、本当に緊張しながら待ち合わせ場所に向かったことを、今でも鮮明に覚えています。2005年3月2日に初めてお会いしてから文通などを通して交流させて頂き、時にはご自分の畑に誘ってくださって一緒にお野菜を収穫したり、私の職場の近くまでわざわざ尋ねて来てくださって、喫茶店でお茶をご馳走になったこともありました。

 これまで、奥様とは全く面識がありませんでしたが、私のことは良く話してくださっていたそうです。送った手紙類も、綺麗にファイリングしてくださっていたと昨晩の電話で教えて頂き、思わず泣いてしまいました。奥様も役所に手続きへ行った際、その方の名前が「抹消」されてしまう事が悲しくて、悲しくて、手続きをしながらポロポロと涙が溢れてきてしまったと話しておられました。

 こうして交流させて頂けたこと、私にとっては何にも変え難いかけがえのない財産です。
心から、ご冥福をお祈りしたいと思います。
| 元日本兵インタビュー&交流 | 13:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
元日本兵の方々からの年賀状
「年賀状に、『おめでとう』と書いたことが一度もない」

そう話してくださった92歳のSさんが亡くなってから、 はや3年。
「亡くなった戦友を思うと、書けないんだ」
そう、おっしゃっていました。年賀状を書く季節がやってくると、いつも私はその言葉と、
Sさんの悔しそうな表情を思い出します。

今年頂いた年賀状の中で、元軍医だったTさんが、いつになく憤りを表現されている文章に、
心を打たれました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
早速の賀状を有難く拝受致しました。
(中略)
あの戦争に駆けつけ参加させられたことを、もう自分のことと感じなくなる程、
追憶の彼方にある様に感じます。あれは今の自分ではなかったのではないか…。

夜の闇の中に目をつぶると、よくあんなところから生還出来たことだと、我ながら
不思議に思います。

三十代で死んでいった戦友の事を思うと、アホな戦争一体誰が始めたのかと、
いつも考えさせられます。絶対戦争はいけません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
| 元日本兵インタビュー&交流 | 11:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
きりたんぽ鍋セット
 ここ数日、関東でもとっても寒い日が続いています。
でも、北海道や東北は当然のことながら、もう雪とのこと‥
そんな北国から、先日「きりたんぽ鍋セット」が届きました。


秋田に住む、元日本兵のEさんからでした。
「関東では食べないだろうから」と、私が秋田にお邪魔した時も、暑い夏でしたがわざわざ「きりたんぽ」料理のお店に連れて行ってくださった事がありました。露店で、炭火で焼かれたあつあつのきりたんぽを、一緒にほおばったのも懐かしい思い出です。

今回送って頂いたセットは、お野菜もスープも、勿論きりたんぽも全てがセットになった優れもの。寒い冬に頂く、暖かい「きりたんぽ鍋セット」は格別です。Eさんとの思い出を色々と思い出しながら、家族で美味しく頂きました。

こうして気にかけてくださる元兵士の方々が全国にいらっしゃるということ。本当に幸せです。BFPの活動を始めなければ、決してこのような思いは出来なかったことでしょう。

「大変そう」と活動について言われることも多いですが、それ以上の喜びがある、ということなのかもしれません。本当に有難いことです。皆さんが、よいお年を迎えられますように!
| 元日本兵インタビュー&交流 | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
元日本兵の方から届いた、ブックレットの感想<第2弾>
先日、元日本兵の方々からブックレットの感想が続々と寄せられていると報告させて頂きました。その波は、まだまだ続いています。

09.8.25
*『頑張れ BRIDGE FOR PEACE !』という文字、見えますでしょうか。とっても嬉しい励ましの言葉を頂いています。
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戦後世代の声、だいたい二度三度読み返しています。
作家が書いた本でもなし、体験談でもなく、またこれからもあろう思わぬ戦争に、いかに書したらいいか。食い止めることができないか。戦後生まれの若い方々の思いや叫びが聞こえてくるようです。如何にすれば争わずに済むか。この老兵も想ふ処です。ありがとうございました。どうかお体をお大事に。(88歳、軍曹)

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忙しい中を、お手紙や本を贈っていただき、それをレンズの助けを借りながら、皆さん凄い方ばかりと拝読しました。皆様方のご努力が日本や、世界に拡がってゆくことを心から願っております。頑張れ BRIDGE FOR PEACE ! 祈るご発展。(85歳・上等兵)

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『私たちの歴史認識』を今日拝読。なかなかの力作ですね。
平和運動に若い人たちが集ってくれる事は、望外の喜びです。神さんの冒頭のお話。心からの声援を送ります。本村氏の的を射たお話。大学生の藤井さんの指摘には、全く同感。ご健勝をお祈りしています。(89歳、兵長)
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| 元日本兵インタビュー&交流 | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
元日本兵の方から届いた、ブックレットの感想
BFP5周年を記念し、ブックレットを発行したことはこのblogでもご報告させて頂きました。読みたい!とご連絡くださった皆さま、ありがとうございました。

これまでお世話になった方々にも、順次お届けしています。
取材させて頂いた元日本兵の方々にも先週送らせて頂きました。
今週は、続々と感想のお手紙が届き、嬉しい悲鳴をあげています。抜粋して、一部紹介させて頂きます。
09.8.22

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 朝日新聞の「社説」に掲載されていたのを見てびっくり。今度は、『私達の歴史認識』でびっくりです。中々の活動と見直し、敬服しているところです。
 しかし戦争中のフィリピン、いい話はないですね。ごもっともです。やむをえません。そのとおりでしたから。私どもは一生懸命、国の為とやりましたが、国が兵法に反し無理な戦争をやりましたので。敗戦後、私は戦犯になり、こんな合わないことはありませんでした(元将校、92歳)
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 立派な本をありがとうございました。活動の主旨に賛同され、協力を惜しまない人々が多くいることに感心しております。私たち戦場にいった者は、もう何も考えることなく徒食しているだけですが「戦後世代」といわれる若い人達がしっかりした思想と意見、それに実行に移す力を持っていることを知り、とても敬服しております(元軍曹、87歳)
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 戦時中、部隊と離れてしまい、当番兵と二人で1ヶ月半さまよいました。よく生命があったと思います。昭和19年10月でした。レイテ開戦もスリガオの丘から望見しました。えらい戦争をしたものです。支那事変もけりがつかんのに、世界を相手にするなんて、当時の軍部はどうかしていたんでせう。勝てるわけないのに(元軍医、90歳)
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 貴重な本をいただき、有り難く拝見いたしました。皆さんご熱心にご努力、心から敬意を表します。私も本年95歳、すでに垂死の身ですが、どうやら手足は動きますのでうろうろ出歩いています。
 ざっと拝見して、まことに敬服したのですが、欲を言えば「戦争責任」についての問いかけがあまり見当たらなかったように感じました。被害、加害に対する反省も必要ですが、戦争は人災ですから、それを超えた人間に対する「責任を問う姿勢」は同時に必要と思います。天皇制そのものを考えてはどうでしょう。
 お若い方々の真剣なご研究に、敬意を表します。よろしく(95歳)
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 主人に備えてから拝見いたしました。大変なことと思います。有難うといだけで、何も出来ぬのですが感謝いたしております。人は、いつかお迎えがきます。それまでしっかり生きてゆきます(元将校の奥様、80歳)
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 戦果て 六十四年 夏の空
思えば長い月日です。然し比島で死んだ友のことを想へば、幸いです。ゆっくり読まして頂きます(元上等兵・86歳)
| 元日本兵インタビュー&交流 | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
元兵士の方からのお電話
このところ、
「また話がしたい」
とわざわざ連絡をしてきてくださる方が、これまで以上に多いように感じます。

今日も、昨年初めてお会いしたMさんと再会を果たすことができました。
この方が連絡をしてきてくださった事の発端は、BFPの活動への風当たりが強まっていることにあります。

BFPの活動に対して、遺族の方数名が表面上の情報だけを受け取り、「英霊の冒涜だ」「過去を掘り起こして何にある」と数ヶ月前に手紙を送ってこられたことがありました。そのことを手紙を送ってこられた方々と同じグループに所属する兵士の方々に伝えると、

「頑張れ!」
「これから語り継いでいくのはあなた」
と励ましの手紙が複数届きました。
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letter1
*上段のお葉書には、「頑張れ!」と始まるメッセージ。
 下段の手紙は、遺族の方々へのこの方なりの反論をわざわざ書いてくださったものです。

勿論、手紙だけではなく、電話も頂きました。
そして、Mさんも同様に「くじけないで」と心配して電話をかけてきてくださったのでした。そして「若いあなたに聞いておいてほしいから」と言ってくださり、お会いする約束をさせて頂きました。駅で待ち合わせし、お店に向かう途中にも

「歴史は見る人によって、どのようにでも見える。本当のことを明らかにしようとすると、意見がぶつかるのは当たり前。そこでくじけたらだめですよ」

と、孫を諭すような、励ますような言葉に、思わずうるっときてしまいました。そして、昨年初めてお会いした時のことについて

「やっとこの時がきたと思いました。戦後30年くらいでは、みんなまだ話さなかった。今にやって、やっと話せる気がしますよ。神さんから連絡があった時、待っていた人が来たという感じだったんですよ」
と振り返ってくださいました。

今日は、メンバーであり、理事の本村公一も初同席。
Mさんが用意してくださった沢山の資料を前に、色々とお話を聞かせて頂きました。きっと、まだまだ話せていないこともあるでしょう。

でも、帰る時に
「今、とってもすっきりした気持ちなんですよ。話せてよかった。自分しかその場にいなかったから、伝えておきたいと思って」と穏やかな笑顔を見せてくださいました。

BFPの支援者の皆さんには勿論のこと、元兵士の方々からも背中を押して頂いているように思います。彼らが一番遺したいことは何なのか。それをきちんと感じられる感性を研ぎ澄ましていきたいと思っています。
| 元日本兵インタビュー&交流 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
秋田へ行ってきました。
先週末、秋田へ行ってきました。
秋田からフィリピンへ行った部隊の方々とは、本当に不思議なご縁があるのです。私のフィリピン人の友人のお爺様が、この秋田の部隊が行った南部ルソンの地域で殺されました。それがきっかけで調べ始めたのですが、「日本軍の恥部」と他の部隊の方々も理解しているほど、もっとも酷い状況にあった地域だということが分かってきたのです。

だからこそ、実際に何があったのかを語って頂くのは困難を極めました。
部隊名簿を頼りに100通を越える手紙を送り、連絡を試みました。手紙を受け取って不信に思われた方でしょう。自宅に無言電話も何件かありました。それでも、中には「話してもいいよ」と連絡をくださる方もいました。

でも、途中で気が変わってしまったのか前日や当日になって「やっぱりダメだ」と断られたケースもあります。そんな中で、唯一快く迎え入れてくださったEさんがいます。昨年もお会いし、お話の一部を聞かせて頂きました。そして、今年に入ってから
「話したいから、また来て」
と言ってくださったので再訪をしたのです。そんなEさんも、電話では
「今回は全て話したいと思っている」
とおっしゃっていたものの、

「自分が手を汚したことは言えませんよ」と
苦笑いとも、引きつりとも、何とも言えない表情で、私の顔を見ずに言い放ちました。

それでも、Eさんは全面的に私を受け入れてくださったと感じます。
彼が所属していた部隊の二等兵として任命する!と冗談を交えながら言ってくださり、到着した宿泊先には「比島戦友会」と歓迎の文字がありました。
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ホテルの方も、
「戦友会の婦人部の方がお見えになるとおっしゃっていたので…」
と、到着した私とのギャップに戸惑いながらも、にこやかに対応してくださいました。

一緒に秋田観光をし、その時々で戦時中の色々な話を聞かせて頂きました。
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同じ部隊の方々がお話をあまりしたがらないことについて、戦後世代の私からすると
「命令だったから仕方ないという方もいたでしょうに、口をつぐんでしまう位の経験をされた方々のお立場も逆に気の毒に思う」
ということをお伝えしました(これは語弊があるかもしれませんので、言葉にすると軽く聞こえますが私なりに色々な複雑な思いがあることをお含みおきください)。

それに対するEさんの回答は、私の気持ちとは裏腹に
「今さら悪いことしたの言いたくない。それだけだろう」
と解説してくださいました。

確かに、それも分かります。でも、話せない立場にいる彼らの存在があり、だからこそ、事実が明るみになることはなく、若い世代まで話が伝わっていないということも否めません。

そして、フィリピン人が赦したい気持ちをもっていると伝えると
「いやぁ〜自分が彼らだったら、絶対赦せないね。
自分の家族や娘が酷い目に遭って、赦せる訳がない。
彼らがゲリラになるのもわかるよ」
と頑なに受け入れることを拒んでおられました。

さらに、もっとも今回私が心を痛くなったのは、彼らもまた
「どうして日本政府は何もしない」と思っていたということです。
Eさんはじめこの部隊の方々は、戦後フィリピン人の方々に多額の寄付と、物的支援を行ってきました。そして、戦友の慰霊は全て自費で行ってきたのです。部隊を取り仕切っていた方々が亡くなられ、体調を崩される中、現地フィリピンの慰霊碑の管理が行き届かなくなっているそうです。それを、厚生省に依頼しても全く動いてもらえず、
「日本政府の姿勢が変わることはない。
彼らは何もしてくれなかったし、これからもそうでしょう」
と力なく、あきらめの姿勢が見受けられました。

やはり、国として動けない(動かない)以上、民間で出来ることをという気持ちで元兵士の方々も戦後動いてこられたのでしょう。それは、BFPにも通じるところがあります。複雑な想いをたくさん聞かせて頂き、あっという間に二泊三日という時間が過ぎました。

「また来てくださいね
次回来る時は、上等兵になれるかな」
と茶目っ気たっぷりに言ってくださいました。

当時の様子がわからない私に、どうして話してくださるのか。
なぜ、自分にとって心地よくない過去について話してくださるのか。

率直に聞いてみましたが、まともな回答を頂くことはできませんでした。まだまだ、話せていないと思うこともあったと思います。次回、お会いできる機会を楽しみにしたいと思います。現在87歳のEさん。持病もあります。末永く、お元気でいて頂きたいと願うばかりです。
| 元日本兵インタビュー&交流 | 18:26 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
みかんの贈り物
毎年この時期になると、愛媛のYさんからみかん一箱が届きます。
とっても甘くて美味しいみかん。
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Yさんは、BFPの活動主旨に共感してくださっている元兵士の方です。
こうして交流を続けさせて頂き、また気にかけてくださることを本当に有り難く思います。BFPのような活動がもっともっと広がるように、とお手紙をくださいます。

戦後世代として何が出来るか…Yさんの声に応えるためにも、寒い冬を乗り越えてますます頑張っていこうと思います。
*みかん箱の隣は、お礼状として送った絵手紙
| 元日本兵インタビュー&交流 | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
東北への旅
9月13日〜16日にかけて、2度目の東北取材へ行ってきました。

今回は、ある部隊に絞っての聞き取り。フィリピン・ルソン島南部で虐殺のあった村について知っている人を、ずっと探しており、ようやくその部隊の方々と連絡がついたのです。

具体的に、その村で起こった教会爆破事件について知る人は、その中でもほんのわずか。でも、これまでフィリピン人側だけの証言だったのが、両方合わさることによって見えてくるものもあり、とても有意義な取材だったと感じています。具体的な内容は、以下ご参照ください。

東北で聞いたルソン島南部での虐殺について


そして今回、一つ気付いたことがありました。
東北は農民出身の方々が多く、彼らの階級がほとんど上がっていないこと。そして、彼らには恩給さえ支払われておらず、そのことについて憤りを感じている方が多数存在していたこと。その恩給未払いをなかったことにするかのように、国の事業として、その時の総理大臣の名前入りで表彰状が贈られていたのです。


表彰状について聞いてみると、
「有り難くもなんともない。ただ、自分が戦争に行っていたことの証。その程度ですね」との返答でした。東北の方特有の大らかさのためか、「国に言っても何も変わらないから」とそのこと自体をはなっからあきらめている様子。

軍隊の中に存在する序列。複雑な戦争の構造。
今回、これまでフィリピン人から聞いていた話を、逆の立場−元兵士の方々から聞くことによって、一層その複雑さを実感しています。伺った貴重な話を、今後またどうフィリピンの方に伝えていくのか…
10月18日〜の再訪を控え、頭を悩ませています。
| 元日本兵インタビュー&交流 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
M.Oさん(海上挺身隊・軍曹・90歳)
「私たちの部隊の本が出来た時、亡くなった戦友の家にも届けましたが『ご苦労さま』というのは一言もなかったですね」

いかに、戦争から帰ってきた人たちが肩身の狭い思いをし、恨みを持たれたか…ということを述べるM.Oさん。

しらみがビッシリついた状態で死んだ人。
食糧がなく、栄養失調になり、身体中イボだらけで死んだ人。
「自決する」と弱音を吐く19,20歳そこそこの兵隊に
「自殺するなんてもっての他だ!」と殴りつけた上官…

戦場での無情を、一つひとつ思い出すように、紐解くように語ってくださいました。

「戦争なんて、やるもんでない。
人殺しだから」
| 元日本兵インタビュー&交流 | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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